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徳川家のゆかりの地「芝」/ 信仰の地としても発達した。

「芝」という地名は現在の東京都港区の田町周辺を指します。


東京都の「芝」には平安中期創建といわれる古社「芝大神宮」が鎮座し、江戸初期には徳川将軍家の菩提寺(※)の一つ「増上寺」も置かれるなど、信仰の地としても発展した。

(※)菩提寺(ぼだいじ)とは、先祖代々のお墓があり、葬儀や法要をお願いするお寺のことを指す。

明治期に入ると、広大な「増上寺」の境内は国内最初の公園の一つ、「芝公園」となった。


〈目次〉
1.平安中期創建の古社「芝大神宮」
2.徳川家の菩提寺として知られる「増上寺」  
3.国内最古の公園の一つ「芝公園」

1.平安中期創建の古社「芝大神宮」

「芝大神宮」 江戸時代の錦絵


「芝大神宮」の歴史は古く、「伊勢神宮」の「内宮(ないくう)」と「外宮(げくう)」からそれぞれ「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と「豊受大神(とようけのおおかみ)」を勧請して1005(寛弘2)年に創建された。

創建当時の鎮座地は、現在の「芝公園」内にある「芝丸山古墳」付近であったが、1598(慶長3)年に「増上寺」が芝へ移転してきたため、現在の社地へ遷座した。

かつては「飯倉神明宮」「芝神明宮」などと称されたが、1872(明治5)年に現在の「芝大神宮」となった。

現在の「芝大神宮」


2.徳川家の菩提寺として知られる「増上寺」 

大正期の「増上寺の三解脱門」


「増上寺」は1393(明徳4)年、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって江戸貝塚(現・千代田区平河町付近)に創建された。

徳川家康が関東を治めるようになり、徳川家の菩提寺となった「増上寺」は、1598(慶長3)年に芝の地に移された。

徳川家の手厚い保護により大隆盛を迎え、最盛期には三千人もの修行僧がいたといわれている。

増上寺には、二代将軍の徳川秀忠をはじめ、6人の将軍が埋葬されている。


現在の「増上寺の三解脱門」


「増上寺」は1945(昭和20)年の空襲で甚大な被害を受けたが、1974(昭和49)年に大殿を再建。「大門通り」からは戦災を免れた「三解脱門(さんげだつもん)」の重厚なたたずまいが見える。

3.国内最古の公園の一つ「芝公園」
「芝公園」は1873(明治6)年の「太政官布達(だじょうかんふたつ)」により、上野、浅草、深川、飛鳥山とともに指定された日本で最初の公園の一つで、「増上寺」の広大な境内が公園地となった。

画像の路面電車は東京市街鉄道(のちの都電三田線)で、「芝公園」付近は1904(明治37)年に開通している。

明治後期の芝公園


なお、「日比谷通り」を通っていた路面電車の都電三田線のうち「芝公園」脇を通る区間は1967(昭和42)年に廃止となった。 

現在の芝公園


参照元: 「写真でひもとく街のなりたち」Webサイト

以上

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