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『松方コレクション』 について/ 国立西洋美術博物館


国立西洋美術館は、1959(昭和34)年、フランス政府から日本へ寄贈返還された「松方コレクション」を保存・公開するために設立されました。

「松方コレクション」を築いた松方幸次郎(慶応元年12月/1866年1月〜1950年)は、明治の元勲で総理大臣も務めた松方正義の三男です。

松方幸次郎


旧制一高の前身である大学予備門からアメリカに留学して、エール大学で法律の博士号を取得し、ヨーロッパ遊学を経て帰国後、父親の秘書官などを務めましたが、神戸の川崎造船所の創業者である川崎正蔵に見込まれ、1896年(明治29)年、同社の初代社長に就任しました。

一時は神戸新聞、神戸瓦斯などの社長も兼ね、神戸商業会議所の会頭や衆議院議員にもなった人物です。

松方幸次郎が美術品の収集を始めたのは、第一次世界大戦中のロンドン滞在時のことです。 

第一次世界大戦の時、造船事業で莫大な利益を得た松方は、1916(大正5)年から約10年の間にたびたびヨーロッパを訪れては画廊に足を運び、絵画や彫刻など、膨大な数の美術品を買い集めました。

ペーテル・パウル・ルーベンス「豊穣」


現在は東京国立博物館が所蔵する、パリの宝石商アンリ・ヴェヴェールから買い受けた浮世絵コレクション約8千点を含め、松方が手に入れた作品の総数は1万点におよぶと言われます。

しかし、松方が美術にこれほどの情熱を傾けたのは、自らの趣味のためではありませんでした。

松方は自分の手で日本に美術館をつくり、若い画家たちに本物の西洋美術を見せてやろうという明治人らしい気概をもって、作品の収集にあたっていたのです。

松方は購入した作品を持ち帰り、美術館を建てて公開する準備をしていました。

その美術館は「共楽美術館」と名づけられ、松方が敬愛する友人で美術品収集の助言者でもあったイギリスの画家、フランク・ブラングィン(1867−1956)が設計案を作り、東京の麻布に用地も確保されていました。

しかし、松方の夢だった「共楽美術館」が日の目を見ることはありませんでした。

1927(昭和2)年の昭和金融恐慌が状況を一変させたのです。

メインバンクの十五銀行の休業によって、川崎造船所も経営危機に陥り、松方は社長の座を降りて自らの財産を会社の財務整理にあてました。

日本に運ばれていた美術品は数度にわたる展覧会で売り立てられ、散逸してしまいました。

松方が収集した美術品のうち、かなりの数がヨーロッパに残されていましたが、ロンドンの倉庫にあった作品群は1939(昭和14)年の火災で失われ、現在ではその内容や数さえも確かではありません。

一方、パリに残された約400点の作品は、リュクサンブール美術館(当時のフランス現代美術館)の館長レオンス・べネディットに預けられ、彼が館長を兼任したロダン美術館の一角に保管されていました。

この作品群は第二次世界大戦の末期に敵国人財産としてフランス政府の管理下に置かれ、1951(昭和26)年、サンフランシスコ平和条約によってフランスの国有財産となりました。

しかしその後、フランス政府は日仏友好のためにその大部分を「松方コレクション」として日本に寄贈返還することを決定しました。

このコレクションを受け入れて展示するための美術館として、1959(昭和34)年、国立西洋美術館が誕生したのです。

国立西洋美術


オーギュスト・ロダン 「考える人」


参照元: 「国立西洋美術館」ホームページ

以上

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