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永 六輔の人生


作詞家・放送作家(1933~2016)
昭和8年 東京浅草のお寺の次男として生まれた

永 六輔の至言(※)
本当に戦争に関わるのはよそう 
戦争手伝うのもよそう 
どっかの戦争を支持するのもよそう 
それだけを言い続けていきたい

(※)
至言(しげん): 正しいところを言いあてた言葉


世界的な大ヒット曲「上を向いて歩こう」の作詞家 永 六輔。

テレビやラジオなど放送の世界を中心に活躍した。軽妙な語り口と歯に衣着せぬトークで人気を集めた。

また、短く簡単な言葉で物事の本質を突く、短文の名人としても知られ、膨大な著作を発表した。「大往生」は200万部を超える大ロングセラーとなっている。

永 六輔は、昭和8年東京浅草のお寺の次男として生まれた。
12歳の時に学童疎開先で終戦を迎えた。疎開先から戻ると、東京は焼け野原で、生家は跡形もなかった。

食べるものも満足になかったこの時代の体験が永  
六輔の人生観を決定づけた。

中学生の時、NHKラジオの「日曜娯楽版」に投稿したコントが採用され、放送作家の道が開けた。

昭和34年、一人の天才との出会いが運命を転回させた。早稲田大学の先輩 中村 八大(※)である。映画の挿入歌の作詞を頼まれ、書き上げたのが「黒い花びら」である。水原 弘が歌って大ヒットし、第1回レコード大賞を受賞した。

(※)中村 八大は、日本の作曲家、ジャズピア
     ニスト。 『上を向いて歩こう』、『こんに 
   赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日
   があるさ』など、1950年代末から1960代  
   にかけての数々のヒット曲を作曲した。

同じ年にスタートした、バラエティー番組「夢で逢いましょう」で、「八大・六輔」の「86コンビ」で次々にヒット曲(作詞)を発表した。
代表作として上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」「こんにちは赤ちゃん」など。1960年代の日本歌謡界を代表する作詞家となった。

以後、ラジオ・テレビ番組の企画・演出した。軽妙な語り口を生かしたタレント活動など、多彩な分野で活躍し続けた。

特にラジオのパーソナリティはファンも多く、「スタジオで考えるのではなく、全国津々浦々を訪ね、貴重な意見を拾って電波に乗せる」
このことを使命とした。

「聞き上手は、話し上手」。
放送人として巷(※)の人々の声に、全身全霊で耳を傾けた人生だった。
(※)巷(ちまた): 意味は「街の中」


以上

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