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簡単に/ 「朱子学」とは?

「陽明学」についてもあわせて解説いたします



〈目次〉
1. 「朱子学」とは?
(1)朱熹が構築した学問 
(2)基本的な考え方
(3)朱子学の負の側面
2.朱子学と日本の関係
(1)いつ日本に伝わったのか?  
(2)どのような影響を与えたか?
3.「陽明学」とは?  
(1)王陽明が構築した学問   
(2)陽明学に影響を受けた人物


1. 「朱子学」とは?

(1)朱熹が構築した学問
朱子学は、南宋の儒学者、「朱熹(しゅき)」が構築した学問である。

朱熹は、それまで別々に存在していた儒教の経典を体系的にまとめ、独自の解釈や新しい概念を加えて再構築した。


(2)基本的な考え方

朱子学の基本的な考え方は、「理気二元論(りきにげんろん)」である。

「理」は、万物がこの世に存在する根拠のことで、「気」は万物を構成する物質。それぞれ別のものだが、単独では存在し得ず、互いに作用し合う関係にある。

理気二元論を人間に当てはめたことを性即理(せいそくり)」と言う。

「性」とは人間の本質で静かな状態、すなわち「理」。性が動くと「情(気)」となり、情のバランスが崩れると「欲(悪)」になる。

このため、人は常に情をコントロールして、性に戻さなければならない。

また、朱熹は理気二元論をもととして、すべての物事には、上下関係があることもあわせて論じた。上下関係は当然、人間社会にも存在する。

自分よりも身分が上の人や父親の言うことは絶対、とする「君臣父子(くんしんふし)の別」を重んじている。


(3)朱子学の負の側面

朱子学は、後に、中国の国家の公認学問として「科挙(かきょ、官僚登用試験)」に採用されたことをきっかけとして、中国で広く学ばれるようになった。

しかし、科挙に合格すれば、将来が安泰ということもあり、受験のために朱子学を学ぶ風潮が根付いてしまった。さらに受験にはお金がかかるため、一部の恵まれた人しか挑戦できなかった。

このため、朱子学は、経済力と成績によって人生が決まる、学歴社会・官僚社会を生み出す一因となったと言われている。

また、朱子学が重んじた「君臣父子の別」は、上に立つ者にとって、都合のよい考え方だった。

中国では、朱子学が広まったことで、他の学問が排斥された。そして人民統制がの色彩が強まっていった。


2.朱子学と日本の関係

(1)いつ日本に伝わったのか?
朱子学は、鎌倉時代前期に宋に渡った禅僧「俊芿(しゅんじょう)」が伝えたと言われている。

鎌倉時代後半には、広く学ばれるようになり、鎌倉幕府倒幕に動いた後醍醐天皇にも影響を与えた。

室町時代にも、禅僧によって朱子学の研究は続けられた。

江戸幕府を開いた徳川家康は、幕藩体制の基本理念として、朱子学を採用した。

朱子学者の林羅山を登用し、家臣や大名に広く学ばせた。


(2)どのような影響を与えたか?
徳川家康以降、歴代の将軍や老中たちも、社会秩序を維持するために、朱子学を奨励した。例えば、5代将軍・徳川綱吉は、朱子学を学ぶ場として「湯島聖堂」を建設した。


湯島聖堂


また、11代将軍・徳川家斉の時代には、松平定信が、他の学問を規制する「寛政異学の禁」(1790)を出した。

しかし、上下関係を重んじる朱子学の思想は、幕末に「尊王攘夷論」に発展し、幕府が倒されるきっかけになった。

明治維新を迎え、西洋の文化が入ってくると、朱子学は影をひそめていった。

一方、日本人の行動や考え方には、未だに、朱子学の思想が根付いていると思われる。

自己主張せず、周りに合わせたり、上司や親、先生など、上の立場にいる人が高圧的な態度を取ったりすることもある。これらは朱子学の影響が少なからずあるだろう。 


3.「陽明学」とは?

朱子学と陽明学は、どちらも儒教がベースの学問だが、考え方は大きく異なる。

(1)王陽明が構築した学問
陽明学は、明の儒学者「王陽明(おうようめい)」が構築した学問である。

権威や秩序を重んじる朱子学と異なり、陽明学では、「心のままに、自分の責任で行動すること」を説いている。

当時の朱子学は、支配階級に都合よく解釈され、本来の理想とは、かけ離れた姿になっていた。形骸化した朱子学を憂い、真っ向から否定したのが陽明学である。

朱子学では、知識を学ぶことが大前提とされ、学ぶ機会を得られない下級層の人々は、いつまでたっても偉くなれなかった。

一方、陽明学では、学ぶことはすべてではなく、行動することが大切と説いている。

また、目上の人にただ従うのではなく、間違っていると思ったら従わなくてもよいと定めた。このため陽明学は、身分制度に縛られて思うようにならなかった人々にも受け入れられ、人気を集めることになった。


(2)陽明学に影響を受けた人物
陽明学は日本において、江戸幕府の統治体制に疑問を感じていた人々に、大きな影響を与えた。

寛政期には、陽明学を学んだ元大坂奉行東組与力・大塩平八郎が、幕府の役人でありながら、幕府の不正を暴くために乱を起こした(1837)。

幕末には、吉田松陰が「松下村塾」を開いて陽明学を広めた。門下生の多くが倒幕運動に参加し、明治維新へとつながっていった。

同時代に活躍した西郷隆盛や岩崎弥太郎、渋沢栄一も陽明学の影響を受けた。


参照元: 「HugKum」Webサイト

以上

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