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アメリカってスケールでけぇ


私は過去アメリカでは2回ホームステイを経験しており(あと1回はカナダ)遊びにくるのは2回目で計4回訪問している。
ファミリーの友達やら教会繋がりの人やら、その辺の人やら短期間で日本では考えられないくらい色んな人に会った。


その中では、日本で絶対聞けないようなエピソードを持っている人が、アメリカでは大体1人ぐらいはいるもんだ。

せっまい島国ジャパンでしか生きてきた事のない私は話のスケールのデカさに何度も驚かされた
日本じゃこんな経験した人どこ探してもおらんやろ!

盛って話をしている人も恐らくいると思うが、中でも信ぴょう性が高いものを今回いくつか紹介したい。


超有名ロックバンドとの繋がり

おじさんを紹介する記事を読んだ方はすでにご存知かと思うが、

おじさんは高校時代に転入した学校に
伝説のロックバンドニルバーナのフロントマン 
カートコバーンがいたというのだ。

タイミング悪くおじさんが転入してすぐにカートは退学をし、バンドマンの道へと本格的に進めていくのだが
カートコバーンの地元はかなーり田舎なので
中々同じ時期に同じ学校に通った人は限られるのではなかろうか。

おじさん曰く田舎すぎて本当にやる事がなくて、退屈だったらしい。ワシントン州の冬は寒いし、年中通して雨が多い、かなり寂しく暗い廃れた雰囲気の町だったようだ。
お店もチェーン店も少なくローカルレストランが多かったんだとか。
おじさんはグランジロックには興味がなく、あまり聞くことは無かったようだが、世界的に有名になっていき驚いたそうな。

名前は知らなくともこのロゴは見たことある人多いはず
1番有名なジャケ写




ミシガン州にホームステイしていた頃は、
直接知っている人に会ったわけではないが、滞在していた町でレッチリのボーカルアンソニーが生まれてカリフォルニアに移るまでそこで過ごしていたらしい。親の酒癖が悪いとかなんとか。。。
レッチリのバンドで成功してから、ライブをホームタウンで行う事が何回かあったそう。

dani californiaが日本では有名


すごくマイナーな町だったので、話を聞くまでは知らない出来事だった。
そして当時はロックバンドには微塵も興味が無かったため、話もよく聞いていなかったしあまり信じていなかったが、Wikipediaには書いてあったので事実である。



超有名豪華客船での出来事

ミシガン州の教会の牧師さんのお家にホームステイしていた頃の話
ホストマミーに好きな映画はあるの?と聞かれた私
あまりマイナーなものを答えてもなと思ったわたしはタイタニックが好きと答えた。

日本はタイタニックファンが多い

そうすると、タイタニックについてあるエピソードを持っているのとホストマミーが話はじめた。

ホストファザーの曽祖父母か高祖父母(記憶が曖昧)が旅行でイギリスに行ったときのお話
帰りはタイタニック号に乗ってアメリカに帰ってくるプランで、行く前に親戚や家族にそう伝えて旅行に行ったらしい
当時電報や手紙しかない時代だから、行った後の様子は帰ってくるまで分からないのだ。

タイタニック号出航の日が過ぎ、そろそろアメリカに帰ってくる日程が近づいた矢先
新聞にタイタニック号沈没のニュースが一面を飾っておりホストファザーの親戚や家族達大パニック
助かった人数も少なく、客室は一般客室をとっていたようだから優先的に助かるとは到底思えず

ホストファザーの曽祖父母か高祖父母の家族はもう無理だ助かっていないだろうと諦めている中

数週間後、なんと死んだと思ったホストファザーの曽祖父母か高祖父母が生きて帰ってきたというのだ!!
親戚一同幽霊かと思ったらしいwww

なぜ生きて帰って来れたのかというと、
タイタニック号に乗るため機関車で出航する町まで向かう予定だったらしいのだが、その機関車がなんと動かずタイタニック号に乗ることができなかったのだった。

その後別の船のやら機関車の手配やらでバタバタしていて電報を送れなかったと。
昔は今みたいに毎日運行してなくて、機関車とか船も決まった日まで待たないといけなかったみたい。
大きい豪華客船が沈没したもんだから、客船業界がパニック状態だったらしい。

ホストファザーの曽祖父母か高祖父母もイギリスで
タイタニック号沈没のニュースを見たらしく、神が守ってくださったと言っていたみたい。

ホストマミーがこの時生き延びてくれたから、今私は旦那と一緒にいる事が出来ているし、旦那も存在しているから感謝していると。、

この話はこのファミリーの中では代々引き継がれているお話らしい。

恐らく今後タイタニック号と関わった話を聞くことはないだろうから、貴重なお話を聞くことが出来て光栄だった。



日本にもある超有名会員制スーパー

今回行ったフロリダ旅行であった出来事

おじさんおばさんの友達の家にお呼ばれしたのだが、その友達の奥さん(Cさんと呼ぼう)のお話

Cさん夫妻は元々シアトルに住んでいて、おじさんとおばさんより先にオーランドに移住したらしい
おじさんおばさんが引っ越す際に、色々サポートをしてもらったことがきっかけで仲良くなったんだとか。

今回ディナーを一緒に食べたり、ゲームをしたんだが私たちの他に5組くらい家族がいた。

その中にCさんの両親もいて、少し英語が得意ではないようだった
私はCさんのお父さんからどこから来たの?と聞かれて日本だよと答えると東京に行った事あるよ!と
それしか会話をしていないが、明日シアトルに戻らないといけないからという事ですぐにホテルに帰ってしまった。(Cさんの両親はシアトル在住)

その後Cさんに、コストコって行ったことある?と聞かれた私
もちろんあるよ!日本にもあるからね!と答えたら
Cさんが実は私の両親はフランス人でお父さんはコストコで働いていたの!今はリタイアしたけどねとの事
まあコストコは大きいし、なんか補充とかしてたのかなあと思っていたら
スイーツの開発部門にいて、今コストコに並んでいるスイーツは全て私のパパ監修の元作られたのよ

びっくりしすぎてreally?としか返せない私

どうやらビジュアルや味はCさんのパッパが全て決めたよう
もちろん1人でやっているわけではないが、決定権のある上の人だったことは間違いない

こういうスイーツ
コスコのマフィンは有名やね


今はリタイアされているが役員ポジション?かなんか偉いとこにいるみたいで、時々行かなきゃいけないんだとか。
その関係で明日両親はシアトルに戻らないといけないのという事らしい


コストコはシアトル発祥なので本社勤務的な感じなのかな?

そしてCさんの両親はフランスからアメリカに移住したらしいので、両親はフランス人だけどCさんはフランス系アメリカ人という感じ

この話を聞いて思ったが、やはりフランス人はスイーツ強し!!!!
コストコはアメリカの企業だけど、スイーツはやはりフランス人だったか!とこの上なく納得した


恐らく日本に並んでいるスイーツとアメリカのは一緒なので、次回からあのCさんのパッパの味や〜と思いながら私は食べるであろう



以上が私が思うアメリカってスケールでけぇな激選した出来事である。

やはり日本は小さいし出会う人も限られるが、アメリカに一歩出ただけで、世界的な企業と繋がりがある、スーパースターと繋がりがある、歴史的出来事と繋がりがある人と出会う事ができるのだ。


人脈ありきの話ではあるが、こういう出会いが
あ〜アメリカって夢あるわ〜と感じる私であった

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