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大学の平安の人

大学の時の平安の人(中古文学の教授)が、ロマンも何もない人だった。

『枕草子』は随筆、随筆というとエッセイと訳されがちだけれど、清少納言の主観だと思わない方がいい。ただ彼女が中宮定子のサロンの記録係だった、というだけ。よく読んでください、全てそうです。「春はあけぼの、夏は夜」も、サロンのみんなで「春といえば?」という議題に順々に答えていき、採用されたのが誰かの「あけぼの」だった、そんな風にして記録していっただけ。

とか、

『蜻蛉日記』は夫婦の共同作。(とてつもない根拠がたくさんあったんだけど忘れちゃった)

とか。

同じ授業を受けていた、その先生のゼミに入っていた先輩が「『蜻蛉日記』はあのメンヘラ加減が好きなんじゃん?!共同作?ふざけるなよ!」とキレていて面白かった。浪漫を感じるから平安をやりたいのに、先生はいつもそういうのを否定してくる。でも根拠を並べられたらもうそうとしか思えない。悔しい。とのことだった。

まあ上記のどっちの説も先生が発明したわけじゃないと思うんだけど、先生はとにかく貪欲にどの文学に関してもそういう説を推していた。女性の感性で主観感情的に書いたと思われている文章も、感情を排除して出来るだけ現実に即そうとする。この時代になぜこれだけの記録を残す必要があったか、の答えを見つけている。先生のこの態度はリベラルの社会への向き合い方としてすごく憧れだったんだよね。先生は年齢的にはおじいちゃんだったけど若ければ惚れていた。中古文学に関してこんな考え方をする人、性格が悪くて誠実で面白いに決まっている。

私たちはなんとなく先生が冷めた人だと思っていたんだけど、当時文科省の文学部不要論に1番怒っていたのでその時陰でみんなで泣いたんだよね、ありがとう。救われました。そう言って。

もちろん他の教授がみんなこうではなくて、いろんなスタンスの人がいたから良かったんだけど、この人の、芸術論より社会学としての日本文学論調は他の学問の人に1番受け入れられやすいだろう。ということが良かった。我々日本文学科は、殆どの人がみんな大学でやりたい文学があって大なり小なり夢を持って入学するのに、親や高校の先生や親戚に「役に立たないこと勉強してどうすんの?」とか、嘲笑されたりする。本当に嘲笑されるんだよね、大人が高校生を嘲笑したらだめじゃないですか?普通に。でもするんだよ。まあ大人も忙しいしね。嘲笑する気持ちもわかるし全然恨んではないけど とにかく日本文学なんて4年間も何すんの?みたいな

文学を通して自己と他者と社会に向き合う方法を知るんだよ!!!!4年で足りないでしょうが!!!!!ということを、この教授は冷静に教えてくれた。

愛子さまが日本文学科に進学したとき、なんか大人たちやインターネットが「賢いって聞いてたから日本文学って意外〜」みたいなことを言っていた。日本文学は皇族こそ研究するべきだ。学習院の日文にも我々の教授のような人は居るでしょうから、なんだか私は勝手にほっとしたんだよね。古事記を、源氏を、大鏡をやったとき、それら全て自分の祖先周りの記録だったとき、どういう気持ちになるんだろうな。面白すぎるよね。祖先めちゃくちゃすぎ!!!と思ってウケてくれ、どうか。







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