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踏み出すまでの道のり

私がnoteに参加することになったきっかけをメモしておこうと思う。
約1か月前、同僚との何気ない会話の中で、アウトプットについての話からnoteの話題になった。
同じ頃、古い友人の本にまつわる企画に参加。
簡単に説明すると、自分が読んで影響を受けた本を町のコワーキングスペースに預ける仕組みを作ろう、という企画だ。
大事な本だから誰かにシェアしたい。というところがブックオフ等との違いである。
この活動は新しい本に出会う機会=インプットでもあるし、同時にシェアする=アウトプットでもある。
そしてそのイベントで久しぶりに会った別の友人との間での「noteやってる?」「やってるよ~」の会話。

ここ1か月ほど、自分の中で「noteと本」がキーワードになっており、じわじわと文章を書きたい欲が高まっていた。

おそらく、これはアウトプットの欲でもある。
ここ数年、考えや思いをまとめる場が持てておらず、文字通り仕事に没頭してきた。
毎日平均12時間デスクワークしていて、繁忙期は明け方近くまで作業してまた翌日も仕事に行く。
言いたいことを言いづらい中言ったところで、苦虫を噛み潰したような顔が並ぶ。
自分の正義は誰かの悪なのかもしれない。
絶対的な不調が無いため見過ごしてきたが、もうずっと心も体も調子が良くない。
それでも、喜んでくれる電話の向こうの人たちや、取引先の人たちの懸命な姿を知っているから、わたしはどうにかしたいと思って挑み続けている。

わたしは、子供の頃から話すことが苦手で書くことが好きだった。
「あなたは会話より文章で伝えることが向いているね」と担任の先生からコメントされたことがある。子供心にも、そうなのか…これは生き辛い未来が待っていそうだな。というようなことを感じていた。
自分の考えや意見を話して伝えることが苦手。
でも、伝えたい気持ちは人一倍ある。
伝わらなかったときの、相手の不可解で訝しげな表情にはうろたえてしまうし、そんなことはないだろうに否定されたような気持ちにさえなる。
だから、書くことに浄化や救いのような役割を求めているのかもしれない。
整理できない頭の中をリセットするために。
消化できない気持ちを鎮めるために。

今、年齢的にちょうど人生の折り返し地点に立ち始めている。
思えば、これまでのわたしは、やってみたいことよりやらなければいけないことを優先してきた。
本当にやりたくないことは、必然避けてきたことも事実だけれども。
息苦しいとのであれば、そろそろ違う方向を向いてみてもよくないか。漠然とした興味関心を具体化してみるのもいいのではないか。
まわりの誰かや何かではなく、自分自身を大切に。自分が何を大切にして生きていきたいか。経済的なことや世間体にとらわれ過ぎず。

まずは、書く習慣を生活に取り入れることで、自分の考えを少しだけうまく伝えられるようになりたい。

ということで、noteをスタートします。


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