「自分」と社会

最近自分がとても周りの声に左右されていると感じる。でも自分だけではなくて、みんな同じことなんだと思う。一人一人がそれぞれ対処法を見つけて、自分で気持ちの切り替えをしたり、
そのことで悩みすぎて疲れないように程々にやっているんだと思う。それぞれの人に、合う人、合わない人がいる。私はまだ学生で社会の経験がないけれど、社会に出たら出会いがたくさんあると言われるように、自分と合わない人とも関わる機会が格段に増えるのだと思う。

つまりいい出会いもよくない出会いも同じくらいあるってこと。でもその合わないな〜と感じる人のいうことをいちいち聞いて、悩んでいたらどうしようもない。それこそしんどくなって社会から置いていかれてしまうかも。

私は特に人間関係で悩む方だから圧倒されてしまって、もうどうしようもないとなっている状況が容易に想像できるんだよな〜・・でもそうなりたくはない。

今も自分に対して心ない言葉を聞くこともたくさんある。でも私は誰かに言われたこと全て自分に意味があると考えてしまう傾向にある。今回は自分の何がよくないのかなとか、じゃあどうするべきだったのかとか、本当にその人の言う通りかもしれないとか・・・

反省するというと聞こえがいいが、その一つ一つを重く捉えすぎてる気がしてる。上手くかわせない。つまり全てストライクで飛んでくるどんな球でも真っ直ぐに捉えようとしてしまう。笑 だから今からマインドの練習をしておかないといけないなということが最近の課題。ゆっくりやっていこう。


さて。最近の社会を見ると、こういう(私みたいな?)人が苦しむ社会だなということを感じる。特にSNSの存在は大きいと思う。一番は「匿名でなんでも書けちゃうこと」その内容にに正確か不正確かは関係ない。

周りの声が大きくなっていくことで自分の声や、自分の理解者の声は聞こえなくなってしまう。

これが一番問題だと思う。まずインターネットの「自分」は本当の自分じゃない。SNSで自分のことを100%曝け出してる人なんていないんじゃないかな。それに、自分を理解しているのはたった一人の自分でしかないのに、そのオンリーワンの声よりも、マジョリティの声に流されてしまうこと。SNSがなくても、私たちは初対面の人に対して、「この人は〇〇かな」という勝手なレッテルを貼りたがる。うーんまあ、「貼りたがる」と言うより、それが人間の性質なのかもしれない・・・?

それで、数回会話をしたり、遊びに出かけたりして、周りの意見(噂など)を耳にして、「その人像」を勝手に作り上げていく。その場所に本人がいてもいなくても。

でも、SNSが普及したことによって、匿名性を使えるようになって、「その人像」を作り上げることが簡単になって、プラスなこともマイナスなこともなんでもすぐ作り上げられる。

(それに正確性よりもネットに書き込む人たちの各個人が抱えるストレスの解消のために行われることも現実なのではないかと思う。
各人のストレスの捌け口として誰かの批判をする。匿名で。)

そして、その周りの声が大きくなって、その心ない声が本人に届いたときに圧倒されてしまう。「本当の「自分」って(ネット上の)みんなが言うみたいにひどいやつで、社会に存在している意味って、生きている意味って、なんだろう・・」って。

こんなに悲しいことはないんじゃないかと思う。それで、自分の命を絶ってしまうこと。どうして救えなかったのだろうか。社会の残酷性を最近改めて感じる。

この社会でいらない人なんていないし、それぞれの人が感じる理不尽と戦っている。時には、信じて。時には、うまくかわして。とにかくかわすこと。私はこれを目標にもう少し頑張ってみよう。


🍀

りゅうちぇるさん、
安らかに眠られますように。

そして被害者となる人が少なくなり、
各人が神様と自分の声に従うことができますように。
そして、辛い思いを抱えている全ての人が癒されますように。


🍀


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?