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自分のSNSを好きになったり嫌いになったり

たとえば自分の Instagram は、以前は「いまいちだなあ〜」と、いつも思っていたのですが、最近はそうでもなくて結構、気に入っています。

一方、X はグダグダなのが自分で嫌になっており、非公開にしたり公開にしたり、フラフラしていましたが、現在は非公開になっています。
このままずっと非公開にしておきたいですが、どうなることやら。

基本的に私の場合、自分のSNSやブログを批判的に見ていると思います。
だからもっと良くしたいなとか、理想的なものにしたいなという欲求があるわけですが、現実はなかなか思うようにいきません。
自分の嫌なところがSNSに表現されていると、もうやめようかと思ってしまいます。

X にいると〇〇になってしまう

コミュニティとは不思議なもので、そこにいるだけで一定の価値観を持ってしまったり、振る舞い方が決まったりしていまいますね。
影響されやすい人と、されにくい人がいると思いますが、空気を読む人は自然に影響されるのではないでしょうか。

X には、なぜか批判的なものの見方をする人が多くて、それをストレートに表現する人や、婉曲表現で伝える人など、さまざまな人がいるという印象が強いのです。

たしかに、頭が良さそうな人が多い印象はありますし、ためになる話が流れてくることも多いのですが、それと引き換えに傷つくことが多いと思います。

私も、X で投稿するときは異なる自分がそこにいるような気がします。
ずっとそれは「ありのままの自分」「自分の本音」だと思っていたのですが、実はそうじゃない「X スタイルに染まった自分」なんだということに、最近は気づいています。

同様に、note にいるとこんな感じ、インスタにいるとこんな感じ、みたいなものがあります。

だから、嫌な自分が垣間見られるような SNS は、やっても気持ちよくはならないだろうと思います。

自分の良いところが出せるSNSは少ない

きっとそれは、リアル社会でも同じかもしれません。
世の中にコミュニティは数々あれど、本当に居心地のよいコミュニティに巡り会えることは稀です。
ラッキーにも巡り会えた人だけ、そのコミュニティで輝く感じです。

そういうことを考えると、SNSは沢山やってもしょうがないということになります。
たとえビジネス用途であっても、むやみに幅広く発信すると効率が悪くなるだけで、決して相乗効果とか倍々ゲームみたいな話にはならないでしょう。

近頃だいぶ分かってきた

自分自身は去年の末あたりから、SNS選びや方向性の修正など、いじりまくってきましたが、ようやく最近、落ち着きいてきました。
自分がやって心地よいSNSは1つかせいぜい2つぐらいだなと。

Threads とか Bluesky とかにも手を出しましたが、違うなと感じ、どちらも辞めました。

note は以前からわりと良いSNSだなと思っていて、印象はそんなに変わりません。
X は仕事周辺で頑張ろうと思っていましたが、意外に鬼門だったかもしれません。(笑)

Instagram

インスタは意外にも、いい感じになってきています。
一時期はおすすめが混沌としていましたが、現在はほぼ、好きな感じの投稿が毎日流れてきています。
自分の投稿にも満足できるし、いつも「いいね」してくれる常連さんも数人います。

インスタはメッセージ性が薄いところがよいのかもしれません。
写真家の方はメッセージだと思って投稿されている方もいると思いますが、言葉のように意味を決めつけるものではないため、人によってさまざまに想像できます。

皆が自分の好きなものを撮って投稿しているから、皆の好きなものが集まっている感じです。
カッコいい人を羨ましく思ったり妬ましく思ったりするようなことさえなければ、とても心地よく居られる世界でしょう。

まとめ

SNSにはアルゴリズムがあって、長くやっていると自分が関心を持つ世界が広がるようにできています。
だから上記で私が感じている印象と、違う印象を持っている人がいても当然です。人によって見えている世界が違うから。

逆にいうとそれがSNSの面白いところなんだろうとも思います。
皆が一律に同じ情報を手にするのだったら、従来のテレビ・雑誌・新聞と何ら変わらないメディアになってしまいますよね。

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