鉄道少年だった頃
小学校4年生ぐらいの頃に鉄道にのめり込んでいました。
昭和50年前後です。
あの頃は「鉄オタ」という言葉はありませんでした。「撮り鉄」という言葉もありません。
最初はやっぱり写真を撮ることと、本を読むことから始まりました。
一番最初のカメラは、拾い物で(笑)警察に届けてしばらくしたら返ってきたのですね。
それを使って、モノクロフィルムを入れて、東海道線の写真を撮っていました。お金がないからモノクロというのもあったけど、なぜかモノクロしか撮れないカメラだと思っていたんですね。
小学校の課外活動でカメラ部に入って「モノクロ用のカメラを使ってます」って自己紹介したら、担当の教師から「カメラにモノクロ用もカラー用も無いよ」と言われて泣きそうになりました。
その後、キヤノンのキヤノネット28というレンジファインダー機を伯父に買ってもらって、カラーで写真を撮っていました。
この辺りの写真は、多分、それで撮ったのではないかと。。(うる覚え)
劣化しているのでなんとも言えないですが、当時はクッキリとても綺麗に写るカメラでした。
それで、東海道本線とともに、福知山線をよく撮りました。
本といえば、当時の愛読誌は「鉄道ジャーナル」「鉄道ファン」「旅と鉄道」「鉄道模型趣味」などでした。
それで、HOゲージの模型を買ってもらって、レイアウト(ジオラマ)を作っていました。
SLのレコードも何枚か持っていました。当時は北海道や九州などごく一部の地域でしかSLは走っていなかったので、レコードもその辺りのSLの音が多かったような気がします。
その他、切符を集めていました。
集め方は、駅に「使用済み切符をください」と直接手紙を書いて返信用封筒を入れて送るのです。
使用済み切符は、本来はもらえないし、都会の駅(笑)にお願いしても「ダメです」という断りの紙が返ってきたのですが、ある程度の駅は、ちゃんと送ってくれたのですね。
また、当時は「愛の国から幸福へ」というキャンペーン(?)があって、幸福駅の切符を手に入れたり、四国の学駅の入場券に「入学」と書かれていて、その5枚セット(ご入学)を手に入れたりしました。
変わり種では、長野電鉄の長野駅の入場券がハガキぐらいの大きさのでっかい切符だったので、そういうのも持っていました。(今も持ってます)
前にもちょっと書いたことがありますが、鉄道の知識だけじゃなくて、旅にも興味があって、鉄道ジャーナルや旅と鉄道の旅行記事に食いついていました。
鉄道の旅はロマンチックなんですよね。
レイルウェイライターの種村直樹さんの文章がとても好きで、憧れていました。
そういえば鉄道写真家の広田尚敬さんは、その頃の鉄道雑誌では頻繁に目にしました。SLをよく見たような気がします。
小学生の頃は、電車の運転士になりたいと思っていましたね。
あるあるですね。
それがなぜか、中学ぐらいになるとBCLに取り憑かれて、放送局に勤めたいと思ったりして、ミーハー全開少年になっていきました。
ロマンチックな時代だったなあ
鉄道にロマンが多い時代だったような気がします。
そういえば「遠くへ行きたい」という国鉄提供の旅番組があったり、「高原へいらっしゃい」という小海線が舞台のドラマがあったりしました。
あの頃からエモいのが好きだったんですね。
というわけで、「遠くへ行きたい」でよく流れていた森田公一とトップギャランが歌う「一枚の切符から」のカバーを貼っておきます。
いくつか探したのですが、この方の歌が一番、森田さんの歌唱のイメージに近かったです。
森田公一さんの歌声は、鉄道に乗って車窓を眺めているような雰囲気があって、とてもロマンチックな響きがありました。
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