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私にしか見えぬ風景がある(笑)

私にしか 見えぬ風景がある
私にしか 聴こえぬ風の音がある

はい、なんのパロディでしょうか?

ま、冗談はそれぐらいにしておきまして・・
一応、写真の話をしていきます。

霊感の強い人(?)

よく霊感の強い人が「〇〇が見える!」って言うけど誰も見えない、みたいなことがありますよね。
ほんとに霊感がある人もいるかもしれませんが、大抵の場合は「思い込み」なんじゃないでしょうか。

賑やかな風景と寂しい風景

賑やかな場所にいると、いろんなものが目に入ってきて、そこに自分の想像を挟み込む隙間はありませんが、寂しい、シンプルな風景を目にすると、想像力が湧いてきませんか?
人間って、想像する生き物なので何かをそこに見出そうとする本能みたいなものがあるのかもしれませんね。
それで、実際には無いものがそこに見えたりする。あるいは見えなくても、別の何かを想像したり、心が動いたり。

「暗闇でしか見えぬものがある」と誰かが言っていましたが、真っ暗な場所では、自然に何かを見出そうとするんだと思います。

余白の美

日本の芸術を西洋の芸術と対比して評価するときに、よく「余白の美」とか「アシンメトリー」とか言われますね。
それで余白は、単なる空間ではなくて、そこに何か思いのようなものが詰まっている、と考える美学が「余白の美」なのでしょう。

想像の不一致

写真家が何もない所になにかを想像したとして、その構図をそのまま撮って現像し、他人に見せた場合に、写真家が想像したものを、見る人は想像できるでしょうか?

できないですよね

想像したものをタイトルにしたとしたら、もしかしたら見た人は「なるほど、この写真家はそういう見方をしていたのか」と気づくかもしれませんが。
だから何かしら具体的に分かるものを提示しない限り、写真家の想像は、共有し得ないのです。

写っているものが全て

であって、何も特別な感情を持たない第三者が写真を見た場合に、写真を撮った人が感じたものは、ほとんど伝わらないはずです。
写っているものの意味をお互いに知っていれば、そういう見方も可能だと思いますが、そうでなければ、そこにある画像は単に画像でしかなく、見た人は勝手にその人が持っているイメージを当てはめて見るでしょうね。

唯一、その風景を見たときに湧き上がるイメージが同じ人同士のみが、イメージを共有できるんだと思います。

作品って難しい

芸術作品っていうのは難しいものですね。
どれくらい多くの人が共感してくれるか、という辺りが、その作品の評価になっていくので。
だけど、見たらすぐイメージできるような表現だと判りやすすぎて、説明的すぎて、面白くありません。解らない部分があるから、深みが出るし、面白いのだと思います。

また、お互いのイメージの一致を追求する必要は無いとも言えます。
それぞれ勝手に何かを想像するだけで、それは芸術作品になり得るのかもしれません。

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