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50年というサイクルとパラダイムシフト

高度成長期に建てられた高層ビルがそろそろ50年経つということで、取り壊されるビルも多いですね。
鉄筋コンクリート(RC)の寿命が50〜100年と言われていて、その関係から今のような状況になっているのかなという風に認識しています。

僕が中学〜高校生ぐらいの頃にすでに人気があったミュージシャンも、50周年という人が多くなっています。
ミュージシャンを第一線で50年やることって、並大抵のことではないと思いますが、果たして60周年までうまくいけるかな?と心配にもなります。

20歳+50年=70歳

そんな感じで時が経過しています。

本当の意味で世代が代わる節目

こんなことを言うのは切ないわけですが、初期の高層ビルや高速道路はやがて失われて、街は新しいフォルムに生まれ変わります。

僕がよく行く大阪・梅田の風景もずいぶん変わりました。古いビルが壊されて新しいビルが生まれてきていて、ここ数年〜10年ぐらいの間にかなり風景も変わったと同時に、そこを行き交う人々の身なりや言葉も変わったと思います。

僕らが好きだったミュージシャンも今や「レジェンド」と呼ばれ、さすがにメインストリームからは外れていっているようにも感じます。
今後また新しいレジェンドが生まれてくるとしても、やはり70年代から80年代にかけて隆盛を極めたミュージシャンが引き起こした怒涛の波と同じものは、それ以降には現れていません。

そのようなことから、高度成長から50年が経過したことの重みをひしひしと感じる今日この頃です。

次の世代が背負うもの・担うもの

社会全体として、高度成長期の隆盛のレガシーを、持て余していると感じます。
これからの発展のために、捨て去らなければならないものは多いでしょう。
まったく歪みなく、滞りなく移行することは不可能だと思います。

次の世代が背負うレガシーはとても多いのですが、やはりそこは新しい選択をしつつ、他を選択しないという選択も考えていくべきですね。

産業のパラダイムシフトは、全然うまく行っていないようにも感じます。
事前に計画できないのなら、出たとこ勝負で個人がそれぞれに判断して道を変えていく必要があるのでしょう。
そうすれば、苦しむ時間と人々は多いにせよ、なんとなく産業も生活もシフトしていくことになるのでしょう。

最終的に、残るものは残り、失われるものは失われる。
その自然の流れを止めない方が、神の加護があるような気もします。

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