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熱く騒々しい1970年代

noteで音楽記事を読んでいて、渡辺美里の雨のライブを見て、そういえば1980年代ぐらいまではこういう熱いシーンが多かったなあと振り返ります。
僕の記事でも70年代が熱い時代だったとどこかで書いた気がしますが、80年代もその熱さが残っていたんでしょうね。

全体的な世の中のイメージとして、1970年代は熱いけど悶々とした産みの苦しみのような時代、1980年代は制約から解放されて熱く自由に振る舞うことが出来た時代のような気がしています。

1970年代の騒音と公害

子供の頃の街は発展途上にあって、とても騒々しい空間でした。その理由を挙げてみると

  1. ビルのボーリング工事

  2. パチンコ屋と居酒屋のBGM

  3. 車の音とクラクション

  4. 電車の継ぎ目とモーターの音

  5. セスナや飛行船からのコマーシャル

  6. その辺で喧嘩している人

などが思い出されます。

1. ビルのボーリング工事

ボーリングなのかどうか正確でないかもしれませんが、工事現場に高い塔が立ち、「ダーン!ダーン!」というおそらく杭を打ち込む音なんだと思いますが、そんな音が聞こえる日が多かったです。

2. パチンコ屋と居酒屋のBGM

なんかうるさかったですね。パチンコ屋 = 軍艦マーチ というイメージでした。家の裏に居酒屋もあったのですが、そこから毎晩、港町ブルースが流れてきたのを覚えています。

3. 車の音とクラクション

車の騒音と排気ガスは多かったですね。あとクラクションもやたらビービー鳴らす人がいたような覚えがあります。
幹線道路沿いで、珍しく霧が出た日があって、空がグレーに見えた日がありました。

4. 電車の継ぎ目とモーターの音

今みたいにロングレールじゃないので、ひたすら「ダダンダダン」と鳴るし、モーターの音が大きくて特に発車するときに「モ〜〜」と唸るんです。

5. セスナや飛行船からのコマーシャル

今の人は信じられないかもしれませんが、アドバルーンは知っていますよね?ビルの屋上に上げる広告ですが。
同様に、セスナや飛行船を飛ばして、そこから拡声器でコマーシャルメッセージや音楽を流すんです。
セスナが飛ぶことが多かったので、たまに飛行船が現れると喜びました。

6. その辺で喧嘩している人

街で喧嘩している人を比較的よく見ました。
繁華街だとチンピラ風のお兄さんが文句つけては喧嘩になってるとか。そういう場所に行くときにかなり緊張感がありました。

人間の表現が自由

「表現の自由」ってよく言われますが、考えてみると1970〜80年代の表現って今から比べるとずいぶん自由があったように思います。
80年代に昭和天皇が亡くなった際に、自粛ムードというのが初めてクローズアップされたような印象があるんですね。
それ以前っていうのは、あんまりそういうことも言わなかった気がします。

だんだん見えにくい時代になってきている(現代)

情報化社会と関係があるのかもしれませんが、構造物やインフラが全て出来てしまって情報が発達するのに伴って、人の心は見えにくくなっているような気がします。
というか、多様化した結果として特定の象徴されるものが無くなったのかもしれませんが。

二次元では様々な情報が流れてきていますが、体感することが少ないのですね。日常的に人と人・社会との間で直接的に交わされるナマの情報が少なくなっているような感じです。
だから余計なことを心配したりしてすっきりしないものが絶えず残るような生活になっているのかなあとも思うんですね。

あからさまに人前で泣くとかも出来ない時代なんですよね。今は。

PS. ヘッダ画像は最近の街の様子ですが、イメージがそんなに違わない場所なので・・

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