錦糸町とか精工舎とかその辺り変遷
新年早々、懐古モードになっていますが、世の中的に今年はあまり期待感がないのと、自分自身にもそんなに期待してない(汗;)という両面があるような気がします。
というわけで、今朝なにげに YouTube を見ていたら、こんな動画が出てきましたよ。
【昭和の錦糸町】錦糸町が発展した意外な理由
個人的に、1980年代は関東にいて、当時錦糸町にあった精工舎に6年弱、勤務していました。松戸に寮があったため、錦糸町と松戸を往復する毎日でした。
僕が勤務していたのは錦糸公園の北側にあった工場の東側に設けられた新しい事務棟です。錦糸町駅から錦糸公園を斜めに横切って通っていたのです。
そんなわけで、この動画を見て久しぶりに懐かしい気持ちになりました。
今までも錦糸町に関する動画を見ていましたが、ここまで体系的に歴史を解説してくれている動画は無かったので、これはいい動画だなと感じています。
提供しているのは東京を中心として町の歴史などを紹介しているこちらのチャンネルです。東京の町に思い出がある人には、目から鱗な動画チャンネルではないでしょうかね。僕も早速チャンネル登録しました。
Old Japanese Memories
錦糸町駅南口そして北口
動画のなかで、楽天地ビルについても紹介されていたのですが「東京楽天地」は、阪急阪神東宝グループに入っていて、ルーツは小林一三が作った前身の「江東楽天地」なのですね。
そのことを僕はわりあい最近知ったのですが、いつも暮らしている阪急沿線民としては、なんだか親近感を覚える施設なのです。
僕が錦糸町にいた頃に、そのことを知っていたら、もうちょっと楽天地のことが詳しくなっていたかもしれません。惜しいことをしました。
楽天地ビルに行ったことは、映画を見に行ったのと、当時あったファミリーレストラン(デニーズかスカイラーク)で食事をしたことぐらいしか覚えがないのですが・・
あと、今はないロッテ会館も懐かしいですね。会社訪問のときにここでご馳走をしてもらいました。その後も折に触れロッテ会館で食事をした記憶があります。
動画で見る限り、1980年代に比べると南口の方はあまり変わっていない印象があります。
北口は再開発されたために大きく変わりましたね。
僕がいた頃は、北口は比較的静かで、通り沿いに今もあるような雑居ビルが並んでいましたが大きなビルはなく交通量も少なくて、夜はわりあいひっそりとしていました。
錦糸町というと、スナックに行ったなあ・・とか、カラオケいったなあ・・とか、仕事で遅くなったときに同僚と温泉付きのカプセルホテルに行って遊んだ後、一泊したなあ・・とか、そういうやはり歓楽街のイメージがあります。
錦糸公園では、一度イベントを見て、日野皓正が来ていたなあ・・とかいうのを思い出しました。
ということで、動画を見ていろんなことを考えましたが、錦糸町もおそらく十数年前に訪れた以降、行っていないので、またいつか東京に行く機会があれば立ち寄ってみたいなあと思っています。
今は非常に賑やかな若者の街になっているそうですね。
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