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「過ぎたるは及ばざるが如し」を実感する

今までは納豆を大量に作って長期間冷凍していたのだが、この頃は納豆の残りが四分の1ぐらいになると次の納豆作りを始めるので、だいたい2週間に1回ぐらいタッパー2つ分ぐらいの納豆をつくる。

先日、時間がなくてすべての工程が短くなってしまった納豆を食べた。大豆を水に浸す時間も蒸す時間も発酵の時間もすべて短くなってしまった。失敗したなと思ったのに、なんと、その納豆を食べたらなんと今までで一番美味しかった!なんとなんとなんと!!

(自作納豆の写真)今までは大豆の発酵をすすませて粘りを出すことばかり考えていた。


発酵しすぎた納豆は実は苦い。苦い事をしっていたのだから、発酵を途中で止めれば美味しくなることはわかりそうなはずなのに、なぜか”頑固に” 発酵させて粘りを出す事ばかり考えていた。とにかく発酵をさせれば美味しくなると思い込んでいた。何度もいうけど、発酵しすぎたら苦いことを知っていたのに不思議だ。

そうやって作った(たぶん)苦めの納豆を日本人の方々にもタダでどんどこ差し上げていた。

単に「過ぎたるは及ばざるが如し」って事なんだけど、納豆作り以外にも自分の思い込みで見えなくなってる事は多いんだろう。他人にあげてた納豆みたいに、思い込みに気づかずに他人に押し付けてることもあるんだろう。

自分で経験してわかりました。