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Wrong side of history

Don't be on the wrong side of historyというような事をいつも漠然と思っている。そしてそれを思う時には「初めて黒人と白人が一緒に学べるようになった日、淡々と登校する黒人の女生徒をとりまいて憎悪の目を向ける白人達の写真」を思い出す。長い時間が経って、遠い過去の歴史になってみて思えるのは「彼らはwong side of historyにいた人間」として歴史に刻まれてしまったんだろうなって。

https://www.history.com/.image/t_share/MTU3ODc3NjU2NzQ1ODc4ODU3/this-day-in-history-09251957---central-high-school-integrated.jpg

ナチスに熱狂するドイツ国民の写真も、戦時中に日の丸を必死でふる日本国民も「ああ、今思えばon the wrong sideだったんだなあ」と感じるけど、上の写真は対比がくっきりしてるから印象が深い。奴隷制賛成も戦争賛成も男女不平等も同性愛反対もそれが疑う余地なくright sideである時代があった。そしてright sideにいる恩恵は大きい。自分がいるsideがrightであることを疑いもしなかった人も多かっただろうが、たとえ疑問に思っても"当時のright side”にいることの恩恵を受けるためにしたことで、"今おもえばwrong side"の人間として歴史に刻まれてしまった人々もいるんだなと思う。

なぜこれを書いてるかというと、いま日本の世論のsideが分断されてるから。そしてsideが急にかわって右往左往する日本の”偉い人”たちを見た時に息子がどう思うかなと思ったから、母ちゃんの考えを書いてみた。

母ちゃんが思うWrong sideにいると刻まれた人たち。偉い人の友人の罪を握り潰して出世した警察庁長官、彼の夫人をかばって嘘をついて栄転した外交官、証拠を隠すために公文書を廃棄して出世した政府職員、彼と関係の深い反社カルトに便宜をはかる約束(借りをつくったんだから、そりゃそうだろ)をして当選した政治家、五輪絶賛映画を作った監督(レニーリーフェンシュタールみたいな感じ?)、心の奥底ではうっすら「悪い事なんじゃないかな」「自分の信念とちょっと違うな」と思ったとししても、お金や保身や出世や当選のためには、彼がいる側(今思うとカルトの教え側)がright sideだったわけだから、当然のことのように、たとえば「LGBTは生産性がない」「夫婦別姓は社会を破壊する」とか言い放てば、たとえ世界ではwrong side だとしても、日本のright sideには非常に受けがよくて次の当選も確約されて(自分と友達が)すごく恩恵をうけられたわけだ。世界がどっちに進んでいようと、たとえ逆行していようが、日本が衰退に向かおうが、それが明らかな悪だったとしても、自分が彼のいる側(right side) にいることで日本では勝ちすすめるんだから、むしろうまく立ち回ってる出世して行く自分が得意だったのではないかな。

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そして彼が突然いなくなった。あっという間にwrong sideの人として歴史に(たぶん)刻まれてしまった。right sideだったはずのとりのこされた人々は自分のいたsideを隠そうとしたり、無理な言い訳で開きなおったり、総理大臣までが国葬をごり押ししてwrong sideをむりやりright sideの印象に引き戻そうとしたり、”偉い人々” が右往左往している。信念をもって選んだsideだったのなら堂々としていればいいのに、逃げ回ってる。

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いま自分がいる側がどっちかなんてわからないかもしれないし、上の写真みたいに歴史だけが教えてくれる事だってある。でも強いモラルコンパスをもって嘘をつかずに正直に生きれば、どっちの側であったとしても堂々としていられると母ちゃんは思うんだよ。それに、悪だとおもってるのにお金や保身や出世のために選んだsideは、長い歴史(人生)の目から見たらwrong sideだったねという事がほとんどじゃないかな、と私は信じたいし信じてる。だからDon't be on the wrong side of history. インターネットの時代では君がなにをしたか、何を言ったか、どちらの側にいたかは延々と存在し続ける。