多少知識があったとしても、ゼロから教わる人間でありたい。

驕らず生きよという話です。


生き恥なんだよなぁ…と思いつつ、どうせ相手も察しの顔なるんだろうな…と卑屈に感じつつ、恥を忍んで申し上げたら肯定されてしまった時の複雑な感情を噛みしめる。
なんだなんだ、世の中の人みんなが冷たいわけじゃないんだ。


得意なことに対峙したとき若干自分に酔ってしまうのは人間みんなにありがちなことですが、私出来るんだぜ!ドヤッ!と思った直後
「確かに私は少しこの作業が得意ではある。が、だからと言って自分が優れていると誤認するんじゃないよ。謙虚さを忘れるんじゃない、周りも他人も在っての自分だろう」と心の私が語りかけてきます。
自信満々の人間には遠いという話。


出来ない子として長年過ごしていると出来ない子でいることに慣れてしまうのですが、ちゃんと羽ばたく努力をしましょう。


「しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない」

アラン【幸福論】

私は素晴らしく誇れる人間ではないし、この世の特別な人間でもないが、素敵な他の人間たちや、沢山の書物や様々な事象に立ち会えた自分の存在は面白いと思っています。
そしてそういう自分をほんの少しだけ好きだと思っています。
常に自信はないのだが。


卑屈で負けまくりの惨敗人生でも最高な瞬間は時々ある。そのために生きている。そのために生き延びている。
明日最高な出来事があるかも知れない、三年後かも知れない。十年後かも二十年後かも知れないが、とにかく生きていなくてはその瞬間に巡り会えない。


変な例えをする。
とても悲しく痛ましい出来事でさえ、その出来事を見てこれからの先に何をして何をどうすべきかを思考する。

考えすぎて息が詰まる時が多々ある。
思考を言語化しようとするが、段々自分の理屈っぽさに自分で嫌気がさしてくる。

手放しで非難したり、批判したり、賞讃したり出来る簡易な人間になりたかったと僅かに思う。

嫌味でなく、ある意味単純で刹那的な人間であれば、自分の力ではどうにも出来ないような事に対して心を痛めずに済んだのに。



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