論語をテーマ別に紹介するシリーズも第四弾。
今回も野中根太郎さんの訳本を基に学んでいきます。
人からよく学びつつ、自分でもよく考える
バランス感覚を保つ。偏りはよくないというのが論語の根底にあると僕は思う。特に学びは狭窄した視野では考えが上書きされず、時代に取り残された使えない知識に留まってしまう。
論語読みの論語知らずとはよく言ったものだ。
流行ばかりを追わず、基本を無視しないこと
理解していることと理解していないことを区別する
本をよく読み、自分を高め、礼を忘れない人は正しく成長する
幅広く学ぶ
まず何のために学ぶかというと、それは自分を高めるためである
少しずれるかもしれないが、最近の若い人には教養を手軽に手に入れようとする風潮があるらしい。
自分で学んだものならどのようにでも加工できる。しかし、誰かの受け売りから学んだつもりになっているものは、ギニュー隊長が悟空の体と取り替えてうまく使いこなせないようなものだ。
自分で確かめる
自分で考えて答えを出す。とりあえずでもいい。その積み重ねがその人を造る。自己修養のために学ぶのは損得からではない。
ふと『自助論』の一節が浮かんだので紹介する。
指先一つで誰でも知ることができる知識は知っておいて損は無いかもしれない。しかし、僕はその人にしかない考えにこそ知性を感じる。知識の整頓はAI技術がなし得る時代。論語に何が書いてあるかは検索すれば出てくるが、それをどう自分の人生に活かすか、それこそが古典から学ぶことではないだろうか。
先達や他人に学んで進歩する
教育で人は違ってくる
環境や経済力により受けられる教育もあるのは確か。それは才能か実力か。
しかし、せっかく恵まれた環境があっても本人のやる気が無ければどうしようもない。このことは論語ではこう書かれている。
学ばない人は変わりようがない
原文は「上知と下愚とは移らず」という短文。野中さんの注釈によると、
上知(じょうち)とは、生まれながらに道を知っている聖人
下愚(かぐ)とは、困っても苦しんでも学ぼうとしない者
とある。少し分かりづらい気もするので、同じ箇所を他の訳本から紹介してみる。
論語の訳本を読み比べてみるとニュアンスが違って面白い。まずは自分にしっくりくる本を選んで一冊読み通してみるのもいいと思う。解釈は思考の補助輪に過ぎない。渋沢栄一さんの『論語と算盤』もお薦めだ。
どうあっても学ぼうとしない人は手がつけられない
学問好きは日々の向上心と復習を忘れない
学びは学問だけではなく、読書だけでもなく、人から学ぶだけでもなく、日常の風景からも学ぼうと思えば学べる。向上心があれば、全ては学びのきっかけ。僕はそう思っている。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
あなたにとっての論語があれば、今すぐ手にとってみてくださいね。