見出し画像

論語から学ぶ「生き方」とは。

『論語』

誰もが人生で何度も耳にする本の名前。孔子が言ったことがまとめられている言行録。すごい昔の徳の高い人が何だかいいこと言ってる本。

子曰く、で始まる国語の授業で一節くらいは聞いたことがある言葉。

でも、あんまりよく分からなかった言葉。

十五で志を立て、四十で不惑と言われても若すぎる僕には理解できなかった。

そして40歳を遥かに超えてもやっぱり未だに惑ってばかりの僕は論語を読む度に頭が下がるばかりだ。

論語の本はたくさん出ているし、いくつか持ってはいるけれど、僕が原文訳を読み返す時は、癖が無くて読みやすい野中根太郎さんの全訳シリーズを愛用している。

今回はこちらの訳本を引用しながら、生き方について書かれた文章を一緒に学んでいきたい。

各タイトルは野中さんがつけられたものです。いいなと思われた言葉があれば是非読んでみてください。あなただけの気づきがきっとそこにあります。

毎日反省すべき三つのこと


孔子の弟子である曾子(そうし)が言った。

私は一日に何度も次の三つのことを反省する。

・人と話していい加減なことを言わなかったか
・友人と接していて信義に欠けるようなことをしなかったか
・学んでいて、まだよく身につけていないのに人に教えていないか

こうした反省によって私は日々成長していきたい。

学而第一・四


三省堂書店の社名の由来として有名な一節。ネットで調べたことを気軽に誰かに話す前にもう一度ちゃんと理解をしているか考えた方がいい。

自分の利益だけを考えてはいけない


自分の利益だけを考えて行動してはならない。

必ず人の利益も考えていかないと、人にうらまれることになり、結局、おかしなことになる。

里仁第四・七十八

『七つの習慣』の第四の習慣は「Win-Winを考える」だ。

本の中では人間関係において次の6つの考えた方が紹介されている。

Win-Win 自分も勝ち、相手も勝つ
Win-Lose 自分が勝ち、相手は負ける
Lose-Win 自分が負けて、相手が勝つ
Lose-Lose 自分も負けて、相手も負ける
Win 自分が勝つ
Win-Win or No Deal 自分も勝つ、それが無理なら取引しないことに合意する

『七つの習慣』第4の習慣より

この中で一番最後の決断はなかなか難しい。両者の得となることがないなら今回はやめておきましょう。これはお互いに約束しておかないと誤解を生む。

Winというのはお金だけとは限らない。互いに価値があると納得すれば成立する。ケースバイケース。

論語を読むと紀元前550年ごろに、すでにこんなことが考えられていたのかと驚くけれど、むしろ昔から人間社会は変わらないとも言える。

孔子のこんな言葉がある。

私は昔から伝わる古典や歴史に学び、それを基本として述べているのであって、何もすべて自分で創作しているのではない。殷の時代に古典、歴史好きの老彭(ろうほう)という賢人がいたというが、私もそのような人になりたいとひそかに願っているのだ。

述而第四・百四十八

よく人が言っているようだが、私は別に生まれながらに何事も知っていたわけではない。ただ、古典、歴史を好み、一生懸命にそれを学び続けている者にすぎないのだ。

述而第七・百六十六

孔子もまた歴史や古典から学んでいたのだ。人類の歴史は学びの上にある。

論語には自戒の書かれた言葉も多い。

自分を常に戒める


自分を戒めて、行きすぎないようにしている人は、失敗が少ない。

里仁第四・八十九

いつも自分を省みる基準を持ちたい


・道徳が身につかなくなっていないか
・勉強と学問がとどこおっているのではないか
・正しいことを聞いても実践できないのではないか
・よくないことと気づいているのに改められないのではないか

この四つのことをいつも自戒している。

述而第七・百五十

自分の能力を自分で見限ってはいけない


弟子の冉求(ぜんきゅう)は言った。

「私は先生の教える道はすばらしいものだと喜んでおりますが、力がないためについていけません」

孔子先生は言われた。

「本当に力がないのなら、力尽きてやめることになろう。しかし、お前はその前に自分の力はこんなものだと勝手にあきらめてしまっている。自分から見限るな」

雍也第六・百二十九

スラムダンクより

安西先生の有名なセリフだ。孔子がスラムダンクを読んでいたはずはないけど、絵にしたら三井との会話に似ているのかもしれない。

進むも、停滞するもすべて自分次第


人生におけるすべての物事は、たとえば山をつくるようなものだ。あと一杯の土でできあがるのに完成しないのは、すべて自分でやめているからだ。

また、これは地ならしにもたとえられる。

穴を埋めたのが一杯の土だけであっても、地ならしを進めることができたのは、自分でやったからに他ならない。

子罕第九・二百二十三

過度のぜいたくとケチはよくない


ぜいたくをしすぎる人は、傲慢で醜くなる。

一方、倹約をしすぎる人は、頑固で人が寄りつきにくくなる。

どちらも良くないが、傲慢はとくに良くない。

述而第七・百八十二

論語がすごいなと思うのは、両極に触れているところだ。何か一方だけを勧めるのではなく、比較する。

この考え方は後に出された僕の大好きな『菜根譚』にも影響を与えていると思う。

たとえば、こんな一節がある。

地位が高くて勢いのある人やお金がいっぱいあって派手な人に近づかない人は、清潔で良い。

もっとも清潔なのは、それらに近づいてもまったく影響を受けず、自分を通し続ける人である。

また、権謀術数を知らない人は、高尚な人だ。
もっとも高尚なのは、それを知っていても使わない人である。

前集・第四条

知っていた上でそれを使わない人。知らなければいいことはあるかもしれないけど、知ってしまった時にどうするかにはその人の生き方が表れる。

バランス感覚を保つのは難しい。アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言った。論語ではどう言っているのか見ていこう。

過ちは素直に改めたい


まごころと信義を第一にして人と付き合うべきで、自分に都合のいい人だけを友人とするのはよくない(自分の目標になるような立派な人とも付き合うようにしたい)

もし、自分に過ちがあると分かった時、それを素直に改めることができれば、すばらしいことだ。

子罕第九・二百二十九

本当の過ちとは過ちを改めないこと


過ちを犯して、その過ちに気づいたのに改めないのが、本当の過ちである。

衛霊公第十五・四百七

目上の人と話す時には注意がいる


目上の人と対している時に犯しやすい過ちが三つある。

・まだ先方がその話をしていない時に、先にずけずけ言うのは、躁(そう・さしでがましい)という。
・話しかけられているのに黙っているのを隠(いん・隠しだてしている)という。
・相手の顔色も見ずに、口をきくのを瞽(こ・何も見えていない)という。

季氏第十六・四百二十五

困難な時にこそ人の真価がわかる


気候が寒くなってきて初めて、(常緑樹の)松やカヤの葉が落ちないのがわかる(人も困難を迎えた時にその人の価値がわかる)

子罕第九・二百三十二

窮地に立たされた時ほど、人に対して疎かな態度を取ってはならない。リストラや倒産した時に社長の真価は問われる。リーダーの立場にいる人は戒めとなる。しかし、なかなか難しい。

最後に人生についての一節を紹介する。

先のことを見通し配慮しなければならない


人は遠い先のことまで見通して配慮しておかないと、必ず近いところでつまずくことになる。

衛霊公第十五・三百九十

転ばぬ先の杖ですね。視野が狭いことを自覚できるか。そのためには落ち着いて考えることが大切だ。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。何か気づきがあれば幸いです。

音声でまとめて聞きたい方はこちらを↓

文字で読みたい方はこちらから↓

菜根譚についてもまとめてみました。ご興味あれば↓


スキはログインしていなくても押せます!ワンちゃんでも押せるほど簡単です。励みになりますので、ここまで読んでくれた記念に押して下さい。いくつになっても勉強は楽しいものですね。サポート頂いたお金は本に使いますが、読んでもらっただけでも十分です。ありがとうございました。