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知識を求める読書に興味はない。

ひと昔前なら、何でも物を知っている人はそれだけで尊敬された。

しかし、今は指先一つで何でも調べられる時代。

知識の多さよりも、どの知識をどんな視点で結びつけるかがその人の面白さであると僕は思う。

知識を競い合うなら、その道の専門家には遠く及ばない。

そして、どんな人も全てに通じているわけではない。

先日、あいみょんが関西ローカルの『よ〜いドン!』というテレビ番組に出ていた。かねてからこの番組に出たかったのだという。関西人として親しみ深い。

この番組を知らない人に説明すると、円広志さんを始めとするレギュラー陣が月曜日から金曜日まで地元関西を練り歩き、街角にいるおもろい人達を取り上げていくものだ。

円さんと一緒に西宮市を歩くあいみょんに誰もが驚く。

あのあいみょんが、目の前にいるのだ。

すでに400曲のストックを持つあいみょんに円さんが曲作りについて尋ねる。(当たり前だが、円広志さんの方がミュージシャンとして大先輩であるので、あくまで司会としての立場と興味?から聞いているのだけど)

あいみょんはそこらじゅうに作曲のきっかけがあると言う。

たとえば目についたブラインド。

カーテンは歌詞で見かけるけど、ブラインドはあまり無いなぁ、と。

カーテンは揺れると書けるけど、ブラインドならどう書くか。

そこから生まれる表現に彼女は関心を寄せる。

そんな些細な日常の中にある彼女ならではの視座が世代を超えた心を揺さぶる名曲を紡ぎ出す。

たしかに。

あいみょんが作る曲は僕の知らない風景ではない。

歌詞に使われている言葉も難しいものではない。

メロディはどこか懐かしく、声には独特の響きがある。

それでいて、同じものを目にしているのに経験しているのに、違ったものとして心に残る。

それは知識があるから、理論があるからできるものではない。

僕にとっては読書も同じだ。

何かの一節が心に触れる。

何だかモヤモヤして、僕は何とか言葉にしようと頭の中の辞書をひっくり返す。

そう言えば、これはどこかで読んだ本に書いてあったあのことではないか?

そこから僕の思考はいろんな所に飛んでいく。

回って回って回って回る〜ぅ〜

そう来たか。

分かる人だけついてくればいい。

あの本にこんなことが書いてありましたよ、ならそれは単なる紹介にすぎない。

ブックガイドならそれでいいけど、僕はそれを読んでその人がどう考えたかに興味がある。

自分が読んで分かりきったと思った本が、ある人から見れば全く違ったものに見えたのであれば、僕はそれが知りたい。

こうして僕の読書は本の仲間を呼び込んで行く。

そしてなかなか進まない。

でもそれでいいのだ。

天才ではない僕はバカでもない。

少なくとも文字を読んで考えるくらいならできる。

せっかく時間をかけて読むのなら、何か一つでもさっきまでの僕とは違った価値観のものに触れていたい。

読書は冊数でもなければ、読んだページ数でもない。

いくら読んでも心に響かなければ読んでる意味がない。

どうせ読んだら全部は覚えていられないのだ。

心に残るものがどれだけあるか。

それは知識の量ではない。

思考の量だ。

どれだけ今の自分にとって心に刺さったか。それを自分の人生にどう活かしていくのか。

心のしおりを挟んだ分だけ読書の愉しみは増えていく。

だから読書はやめられない。

読書とは、僕にとってそういうものである。


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