見出し画像

読書術のまとめ。

この記事は20分で読めます(が、引用文を探したり、考えながら書いたので6時間かかりましたw)

僕は読書が好きです。そして読書術というものにも関心があります。

そこで今まで読んできた本(全部ではないですが)をちょっとまとめてみようと思いたち、あふれるイメージを書きつけてみると、

画像1

走り書きなので、僕にしか読めないようなぐちゃぐちゃ感満載になってしまいました。これらを基に今から少しずつまとめていこうと思います。ちなみに紙のメモは複数ページにまたがっています。

興味がある人はかなり長い記事になるので、余裕のある時に読んで欲しいです。目次機能はつけるので、続きからでも読めます。どうぞよろしく。

読書術の本についての紹介

ところで、ちょっと書いてみようかなと思わせてくれたのは最近読んだこちらの本がきっかけでした。

最近というより昨日発売されたばかりなんですけどね。

これを読むとDaiGoさんの分析力に勝るとも劣らない中田さんを知ることができます。彼の動画がなぜ教育系のものになったのかうなずけます。なんと有料noteまで読んでいるというのだから驚きです。

あと、

東大読書というと何だか物々しいですが、著者の西岡さんは偏差値35から2年浪人して、どうすれば東大に受かるか、東大に行くのに必要な能力とは何かを考え実践した経験を基に書いているので、エリートの自慢話ではなく、僕のような凡人には参考になる点が多いです。

と、ここまではイントロです。

では、始めますね。

本の種類について

本にはたくさんの種類がありますが、ここでは大きく二つに分類したいと思います。

「漫画・小説・エッセイ類」と「実用本・参考書・専門書類」です。

もちろん他にもありますが、僕が言いたいのは、前者については最後まで読まないと気が済まない本であり、後者については自分が必要な情報だけ学ぶ読み方ができる本ということです。

そして、これから書く読書術は実用本の類いに重点を置いた読み方です。

本を読む前に準備すること

多くの読書術に共通することは、「目的をもって本を読む」ということです。その本から何を学びたいのかを明確にしてから読書を始めるのです。

料理を学びたいなと思って哲学の本を読む人はかなり特殊でしょう。料理哲学なるものを求めるために読むのなら話は別ですが、普通は料理本を買うと思います。しかし、料理という括りではあまりに広すぎます。家庭料理を作りたいのか、カフェを経営したいからコーヒー豆にこだわるのか、目的を明確にしないと学べません。

そこで参考とするのが、装丁(表紙カバー)、帯、タイトル、目次、著者のプロフィールです。受験勉強で現代文を経験した人なら周知のことだと思いますが、本文を読む前に問題文を読むと何を聞かれているのか?という問いかけが頭の中にできます。

よく言われる現代文の弊害に、書いた本人が問題を解いたら不正解だった、だから入試問題はおかしいというのがあります。文章を恣意的に読むのなら、確かにそうです。詳しくは過去記事に譲りますが、

本を読むということは、論理的に読むということであり、自ら問いかけながら作者の主張を捕まえるということです。

そこでここまでの文章を読んでいるあなたに逆に問いかけます。

僕が書こうとしているテーマはなんですか?

料理ですか?

人生ですか?

違いますよね。

当然のことながら「読書術について」です。

みなさんは文章を読みながら、自分にとって役に立つかもしれない「読書術」はないかと、早く書けよ!とツッこみながら読んでいるはずです。

ツッコミを入れて読む

自分にとって合いそうな本だなと思ったら、ツッコミを入れて読んで下さい。

読んで眠たくなる本は、あなたにとって興味のない本かまだ早すぎる本です。

たとえば「表見代理」「心裡留保」という言葉を聞いて分からない人は民法の本を読むには基礎知識が足りません。

いわゆる専門書には基本書の学習が必要です。特に勉強には段階があります。英単語や英文法も知らない人が英語の文章を読めるはずはありません。

もし読めない本に出合ったら、知識が無いか、興味が無いかのどちらかです。

ただし、興味があれば知識を習得しようと勉強するはずです。そんな時は、関連本や入門書を最低三冊は読みましょうと多くの人が薦めています。

たとえば、外山滋比古(とやましげひこ)さんは、こちらの本の中でこのように語っています。

かりに、関連文献が十冊あるとする。これを一冊一冊読んで行く。三冊目くらいから 、互いに重複するところが出てくる。そうすると、これが常識化した事柄、あるいは定説となっているらしいと見当がつく。前の本と逆の考えや知識があらわれれば、ここでは諸説が分かれているのだとわかる。
はじめの一冊がもっとも時間を食う。したがってまず標準的なものから読むようにする。同じ問題についての本をたくさん読めば、あとになるほど、読まなくてもわかる部分が多くなる。最初の一冊に三日かかったとしても、十冊で三十日、などという計算にはならない。一気に読み上げるのは、案外、効率的である。

DaiGoさんは1日に10〜20冊の本を読みます。

その膨大な読書や論文から得た知識は動画を見ればうなずけますよね。

あっ、こちらはモノマネの方だったw

また佐藤優さんは、こちらの本の中で、

献本を月平均100冊、速読で全ページ。新刊本を70〜80冊、古本を120〜130冊くらい購入し、全部読むとおっしゃってます。一ヶ月に300冊ですよ。500冊を超える時もあるとか。スゴイですよね、しかも洋書も含めてです。とても人間技とは思えない。しかし熟読するのは数冊だと言います。その本を探すために速読をするのだと。ここで読書術に欠かせないキーワードが出ました。「速読」です。

速読とは?

速読と言えば、ものすごい速さでページをめくり、何冊もの本を短時間で読みこなすというイメージがありますよね。読書好きの人にとって多くの本を読めるのは憧れです。もちろん僕もいわゆる速読本やゲームなどで、フォトリーディングや眼球の動きを学んでみようとしたことはあります。

でも結果として、身についてはいません。ただし、多くの読書術を読んできて安心したことがあります。

それは速読には二つの意味があるということです。

①本を選別するための読書テクニック

②理解力の向上が速読につながる

①については、佐藤さんもDaiGoさんも実は熟読する本を探すために一般的な速読をしています。もちろん読み方のテクニックは人それぞれです。大事なのは、その本から何を学びたいのか。

まず、本屋さんでタイトルをざっと眺めます。スッと自分の目に飛び込んでくる本もあれば、後日何かの拍子に浮かび上がってくるものもあるでしょう。そして、気になった本を手に取ります。

帯や表紙にはその本を凝縮したエッセンスが詰まっています。プロフィールを読むとさらにどういう人が書いているのか、具体的なイメージができます。

目次を開けば、著者の主張がズラリと並んでいます。ここでそれぞれに自分なりの予測をします。

たとえば、西岡さんは思いついた内容を付箋に書いて表紙裏に貼っていきます。また、全てを読み終えると帯コメントを考えるそうです。帯はその本を宣伝するために作られるキャッチコピーですから、深い理解なしには作れません。

DaiGoさんは主張について細かくツッコミを入れながら、内容をマインドマップにまとめていきます。

僕の場合は、

画像2

というように本に自分なりの感想や疑問点を書き込んでいきます。

共通するのは、「自分なりの」です。自分の言葉で本の内容を説明してみると記憶に残ります。自分の考えと合っているところはすでに知っている事ですから、むしろ大事なのは自分と合わないところや、疑問点の解決です。

漫然と読んでいるだけでは全ての箇所になんとなく線を引いているのと同じです。本と対話するつもりでどんどんツッコミながら読めば、興味がわいて中断する気持ちも無くなります。

ちなみにペンはフリクションを使っているので後から消すこともできます。書き込む以上は図書館の本を利用できないので買います。身銭を切った分、本から何かを学ぼうという意欲が強くなります。

本というのは言わば著者の主張の繰り返しです。後から読むと主張の伏線であったり、よりうまくまとめている事もよくあります。気になって線を引いたり、付箋を貼ったところは、後で自分なりにまとめるのに役立ちます。

まとめるということ

まとめるとは理解しているということです。要約ですね。しかし、要約は簡単ではありません。だから速読とは相反します。なぜなら熟読して、内容を理解しないと要約できないからです。そして内容を深く理解するには、本にツッコミを入れながら読まないと、

読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。

ということになりかねません。

自分に合いそうな本を流し読みだけで探すのはなかなか難しい。そこでDaiGoさんはさらに真ん中の章を読んでみることを薦めています。なぜなら大抵の本は「はじめに」で読者のハートをわしづかみにしようと力を入れるからです。

たとえば、この記事のタイトルは「読書術のまとめ」というシンプルなものですが、読書に関心のある人なら気になるはずです。

これが「あなたの本の読み方、本当にそれでいいですか?」みたいなタイトルでもいいかもしれない。もっと過激に「本を読む時に絶対にやることリスト」みたいなのもありかもしれない。

とにかく本は手に取ってもらわないと読んではもらえないから、タイトルにはものすごく力が入らざるを得ません。

そして、結びとなる部分についてもそれなりの読後感がないと、「なんだ絶対にやることって書いてるけど大したことないじゃん」みたいな失望につながりかねません。

そういうわけで、真ん中というのはダレる部分になりやすいのです。ネットの記事と違って、本には厚みがないといけません。薄い冊子なら安い価格にするしかなくコストに見合わないわけです。

時々、大きな文字でページ数をごまかしている本もありますが、ネタ切れをごまかすよりはマシかもしれません。その意味で、真ん中の章をじっくり読んでみて、購入を決めようという意見は一理あると思います。

そこで僕が利用しているのが、電子書籍サンプルのダウンロードです。サンプルデータは、タイトルや表紙、「はじめに」、目次くらいは見られます。

だから僕は気になった本があれば、とりあえずダウンロードしておきます。で、何かの折にそういう本があったなと思い出し、ざっと確かめて本屋さんへ足を運び、ページをめくり、気に入れば購入します。かさばらない積ん読サンプルですね。

次に「②の理解力の向上が速読につながる」という事について話を進めましょう。

先の外山滋比古さんの引用にあるように、関連本や同じ著者の本、入門書を読むと理解は早くなります。それは、重複している箇所や分かりやすい言い換えにたびたび出合うからです。

入門書に関してはマンガを薦める人も多いです。小説と違って、実用書の類いは抽象的すぎてイメージが浮かばないから読みにくいのです。これは、小説でもアニメや映画の助けを借りた方がよりその世界に入りやすいのに似ています。

これらの入門書は映画やドラマにもなりました。

そうして、あるテーマについて理解が深まると読み飛ばしていい箇所が増え、結果的に速読につながります。熟読すべきところが見えてくるわけです。接続詞や論理展開の流れがつかめていれば、繰り返されるキーワードや論旨は把握しやすくなります。

本は最後まで読まなくていい、どこから読んでもいいという意見も多くあります。一冊の本には著者の意見が繰り返されるので通して読んだ方が理解しやすいとは思いますが、もし興味を失ったのなら別の本に移ればいい。

本は、一つでも学んだことがあればそれで十分です。経験から言っても、知識の断片が別の本の理解を補完してくれることもあるし、全く違う分野の本が意外なつながりをみせることもあります。アイデアの発想術に同じですね。

つまり、僕がイメージする「速読」とは、選別するための「乱読」であり、理解を深めるための「併読」を増やすものであって、高速に本を読むことではありません。そのようにして熟読した「多読」が思考の幅を広げます。

熟読すべき本とは

では、どのような本を熟読すべきかについては多くの人が古典を挙げています。

古典というのは、時代を経て多くの人に読み継がれてきたものです。情報という意味では古いものもありますが、再考に値するものが多いです。

また全く対極にあるベストセラーの本には時代が反映されます。多くの人の心を惹きつけるものには何かがあるはずです。仮にそれがつまらないものであっても、流行を知ることができますし、それがきっかけとなって何かを思いつくかもしれません。

もしドラや嫌われる勇気を読んで原典を読んだ人も多いのではないでしょうか。あるいはその手法をまねて自分の詳しい分野を誰かに紹介しようと思った人もいるかもしれません。

本を読むだけではショーペンハウアーの言うように、他人の考えをなぞるだけで終わってしまいます。それはインプットに過ぎません。そこで大事なのがアウトプットです。

アウトプットについて

中田敦彦さんは意外にも本を読むのが苦手だそうです。

先ほど紹介した本で彼はこう語っています。

僕のことを「読書家 」だと思い込んでいる人が多いようですが、僕は先輩のピ ース ・又吉直樹さんのような「読書好き」ではありません。活字中毒でもないですし、むしろ、文字を読むこと自体は苦痛だったりします。メディアに登場する 「読書家 」がたいてい「読書好き 」なので、「読書は、読書好きのもの 」というイメージを持ってしまう人が多いのでしょう。でも、別に、本を読むのが苦手でも読書はできます。僕には「情報収集の手段として本が優れている 」「教養を勉強するのは面白い 」という考えがあるので、「割り切って 」本を読めるのです。
あと、「身につけた知識を人に話したい 」という欲もあります。僕は、話すのが大好きな人間です。どうせ話すなら、相手を感心させたいとか、驚かせたいという気持ちを強く持っています。そのために必要だと思えば、本を読み込む苦痛も我慢できます。本を読んでいる間は苦痛ですが、それを自分の知識として落とし込んで人前で話している時間は、とてつもない快楽です 。一度人に話す気持ちよさを味わうと何度でもまた味わいたいと思います。その楽しさを思うと、苦痛な読書も頑張ることができます 。

動画を見た人なら彼の卓越したプレゼン能力はお分かりだと思います。驚くべきことに台本はなく、ストックもないそうです。彼の動画はまるで誰かが乗り移ったように我々の頭の中に人物のイメージをわかせます。落語のようだと思ったら、本の中にも自然にそうなったとあり腑に落ちました。

そしてDaiGoさんもどう見てもアドリブで脱線していくトークです。二人に共通するのは「面白いでしょ!ねっ!ねっ!役に立つでしょ!ねー!」という熱意です。

自己啓発本のベストセラーとして君臨する『思考は現実化する』にも、限りなき熱意が夢を叶えるとあります。

その熱意があるからこそ、彼らは誰かのために見聞を広め、ひいては自分のために役立てるのです。誰かに話そうと思いながら読むだけでも理解力は深まるそうです。noteを利用しているみなさんにとって身近な公開場所はブログですよね。

ブログの効用については数多くの本で述べられています。先に紹介した本はもちろんのこと、今思いつくだけでも、noteでも有名な

phaさんと堀正岳さんの本にも散見されますし、

も本屋さんでよく見かけると思います。逆のタイトルの『インプット大全』もありますよね。

noteを書いているみなさんなら実感されていると思いますが、自分が力を入れて書いた過去記事って結構覚えているものだと思いませんか?理解が深い証拠ですね。

誰かに向けて文章を書くということは、いかに自分の主張を理解してもらうかに苦心しているはずスラです。

ん?

そう、はずスラのここまでの主張もどうやって文章を読んでもらうか、例示や本の紹介で巧みに引きずり込んでいます。

よね?

しかし、どんなに長い文章も本の情報量には負けます。

本の情報量ついて

『知の整理術』の中でphaさんはこう語ります。

本がネットより優れている点は、「質の高さ」と「断片的な情報ではなく、まとまった情報があること」だ。今はネットを使えば、誰でも無料で文章を書いたり読んだりできる時代だ。それはとても素晴らしいことなのだけど、情報の質としてはやはりネットよりも本のほうが上回ることが多い。
その理由は、やっぱり個人がお金をもらわず趣味で気ままに書いているものよりも、プロが報酬をもらって時間をかけて書き上げた上で、出版社が「この内容なら出版しても採算がとれる」と判断したもののほうが、やっぱり質が高くなるからだ。

出版社には校閲する人もいます。

こんなにぶっ飛んだ校閲ガールは実際にはいないかもしれないけど、

これらの作品で垣間見られるプロの人達が出版する書籍や辞書には信頼がおけます。

また『読書はアウトプットが99%』の中にも、

私は「本にあって、ネットにないもの」こそ、今の情報社会に必要なのではないかと考えています。ネットはいくら使いこなしても浅い思考になりがちな一方、本では深い思考をすることができると思うのです。本は心の中で対話しながら読むものなので、物事に疑問を持つ習慣が身につきます。
本の情報のほうがネットよりも信憑性は高いと思います。ブログやメルマガにしても、字数は多くても4000〜5000字くらいでしょう。ネットの記事が1万字を超えると読むほうがつらくなります。対して、一冊の本では400字詰め原稿用紙200枚以上あるので、約8万字分の情報が詰まっています。本は圧倒的に情報量が多く、このボリュームの差こそが信頼できる理由のひとつでしょう。
また、匿名性の差も情報の信憑性と大きく関係しています。もちろん、本でもペンネームを使う著者はいますが、その人も編集者と会ってやりとりをしているはずなので、素性がまったくわからない著者が本を出すことはないのです。どの出版社も情報の誤報には敏感になっているので、その裏を取り、一定のレベルになっているでしょう。

とあります。本との「出合い」は無数の人との「出会い」です。

本と出会う意味

先日、『デスストランディング』というゲームを発売した小島秀夫さん

の本の

冒頭には、こんな素敵な文章が載っていました。

世界中に、本や映画や音楽は無数にある。それらを全て体験するのは、到底無理だ。だから、自分が死ぬまでに、どんなものと出会えるか、というのが僕の人生において、重要な意味をもっている。
出会いというのは偶然で、運命的なものだ。どこで何が、どんな縁で繋がっているのかわからない。だから僕は、ただ漠然と待っているのではなく、自らの意思で行動し、選択した上での出会いを大事にしたいと思うのだ。これは、人との出会いと同じだ。
だから僕は毎日、本屋に通う。出会いを創るために、通い続けるのだ。毎日、いろいろな本とすれ違う。何か引っかかる本、訴えかけてくる本、素通りしてしまう本、それぞれに違う絆がある。それを確かめていくうちに、自分にとって意味のある出会いを見つけられるようになる。自分の感性が磨けるようになるのだ。

ここまでは過去の記事で紹介しました。

しかし、この文章には続きがあります。

本も映画も、音楽も、人が創ったものである以上、全てが「当たり」であるはずがない。むしろ、9割が「はずれ」だ。しかし、残りの1割には、もの凄い作品が存在している。僕も物創りをなりわいにしている以上、その1割に入る作品を創り続けたい、と常に思っている。

そして、その1割の「当たり」を求めて、また本屋に行くのだ、と。

ミステリ作家の森博嗣さんも『読書の価値』の中で

次のように語っています。

書店よりも多種類の商品を並べている商売はない。ほとんどの店は、なんらかの目的を解決するためにあって、そのジャンルがだいたい決まっているのに、書店というのは、ただ本と呼ばれる共通の器に入っているだけで、中身がてんでばらばら 、何の統一感もなく、世に存在するもの、存在したもの、否 、存在しないものまで 、なにもかも取り扱おうとしている。そういう人間の興味の無限さが、土に埋まった化石のように残っているもの、それが本なのだ。
だから、変化に富んだ、バラツキ豊かな偶然性を活用するのに、本ほどうってつけのものはない。その恩恵を最大限享受するには、とにかく、なんでもかんでも読んでみること。自分の勘を信じて、背表紙のタイトルだけで手に取ってみること。それが大事な姿勢だということになる。時間には制限があるから、実際にはなんでもかんでもとはいかない。だから、そこは、「面白そうだ 」という抽象的な判断でふるいにかけるしかないだろう。このふるいが、個人の勘であり眼力だ。ジャンルを選んではいけない。どんな分野へも飛び込んでいく姿勢が優先される。

もっとも森博嗣さんの読書論は、今まで書いた論考とはまた違っているので、この文章だけを読んで納得するのは早計です。気になる本があれば是非とも自分の目で確かめてみて下さい。

以上、簡単にまとめると、

自分にとって「当たり」だと思う本に出会ったら、ツッコミながら熟読し、アウトプットする、というベタな話になりました。

文章を書くというのは恣意的な行為です。ここまで書いてきた全ての文章を鵜呑みにすること自体、ツッコンで読んでいないことの証明に他なりません。

僕は自分の意見を受け入れられるために都合のいい箇所を引用してきました。あなたにとって全てが「当たり」であるならありがたいことですが、むしろ「はずれ」の部分があって当然だと思います。

画像3

本との出会い、そしてその中の文章との出会いはこれからも続きます。はずれスライムとの出会いもできれば続けて下さいね。

ここまでで、引用文を含め9000文字近い文章が書けたのは、誰かに少しでも役に立てばという熱意です。その熱意を支えてくれているのは、いつも(あるいは時々、初めて?)読んでくれるみなさんの存在です。

こんなにも長い文章を最後まで読んでくれたとしたら、あなたにはこの先どんな苦行にも打ち勝つだけの忍耐力が備わっていますね。

どうか素敵な本に巡り合って知的好奇心を育んで下さい。僕の過去記事を読んではずスラ愛を育んでくれてもいいのですよ。

自分の思ったことを誰かに発表できて、ともすれば誰かからコメントがもらえるなんて、ひと昔前なら素人には到底できないことですね。素晴らしい時代だと思います。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。これからもまた何か書きますので、お互い刺激しあいながらnoteを続けて行きましょうね。

僕が論理的な文章の読み方を教わったのは出口先生のおかげです。

参考書のように見えて、一般の方向けにもこんな本があります。

どんな現代文の本でも自分に合う本ならいいと思いますが、論理を追いかける訓練はあらゆる勉強を助け、読解力を鍛えてくれます。日本語から離れるわけにはいかないのですから、一度学んでみてもいいかもしれませんね。

スキはログインしていなくても押せます!ワンちゃんでも押せるほど簡単です。励みになりますので、ここまで読んでくれた記念に押して下さい。いくつになっても勉強は楽しいものですね。サポート頂いたお金は本に使いますが、読んでもらっただけでも十分です。ありがとうございました。