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あの人のコンテクスト ─ アートディレクター・村上 真輝

企業やサービスが持つ文脈を活かした「ブランディング」を大切に考えている、EXIDEA。その中心を担うクリエイティブチームは、変わった経歴の持ち主ばかりです。本企画では、そんなメンバーたちそれぞれの“コンテクスト(文脈)”をご紹介していきます。第一回目は、デザイン会社、事業会社のインハウスなどを経て、2024年1月よりEXIDEAにジョインした、アートディレクターの村上氏。



眠気からの逃避中、デザインの興に目覚める。


__デザイナーを志したきっかけは?

小さな頃から絵を描くことが好きでした。デザインに興味を持ち始めたのは、中学一年生の時。数学の授業があまりに眠かったので、気分を紛らわせるために辺りを見渡していたら、ノートや消しゴムなど文具のパッケージに面白さを感じました。そして、なんとなく「こういうものを作れるといいな」と思い始めた記憶があります。

でも、当時の美術の授業がつまらなかったんです。好きな場所を描くという授業なのに、誰も描かないであろう非常階段を描いたら、「なんで非常階段なんて描くの!」と不思議がられて。本当は階段を描くこと=難易度が高いからこそ挑んだんですけどね。それをきっかけに、美術がちょっとつまらなくなったのは苦い思い出です。

その後、中学二年生になり、美術の先生が変わりました。新しい先生の授業は真逆で「とにかく何でも楽しく、自分の思いを込めて描いていい」というスタイルだったので、改めて絵を描くことやデザインへの興味が深まっていきました。


後悔を抱えながら、デジタルデザイン科を卒業。


__高校を卒業した後、専門学校に進学した理由は?

高校は理数科でしたし、当時は美大についてまったく情報がない状態でした。担任は美術の先生だったのですが、入学するためにデッサンの試験が必要とか、そういう情報をまったく教えてくれなくて。それで専門学校へ進学したのですが、間違えてデジタルデザイン科に入学してしまいました。CG専攻でも、グラフィックデザインを学べると思ったのが甘く、CGの授業についていけないことばかりで。途中、当時描いていた絵などの作品を一切合切持って行って、「デジタルデザイン科を辞めさせてください」と交渉したのですが、断られたのでやむなく通いました。

そして、なんとか卒業はしたものの、「このままではクリエイターとしてやばい」という不安があり、大学で言うところの大学院にあたる研究室に進学することに。ちょうどその頃に「タイポグラフィ」という分野に興味を持つようになりました。ヘルムート・シュミットという巨匠の本に出会い「けばけばしいカラーワークより、地味な時刻表の方が美しい場合がある」ということに感銘を受けたのがきっかけです。

『タイポグラフィ・トゥデイ』(誠文堂新光社)

そんな矢先に、外部講師のゼミを受けて、配布されたスケジュール表の綺麗さに感動し、「この人の弟子になろう」と思うようになりました。その恩師が、CIデザイナーとして活躍していた清水清さんという方。彼を納得させるために、ゼミの制作でグランプリを取り、卒業後に直談判してアシスタントの地位を獲得しました。そこから、僕のグラフィックデザイナーとしてのキャリアが始まりました。


出発点は、美しく、気持ちよく見せること。


__デザインをする上で心がけていることは?

タイポグラフィって、たとえば「あ・い・う・え・お」と文字を打った時に、「あ」と「い」の空間をどう調整すると、全体が美しく見えるかという世界。「あ」と「い」と「う」の内、「い」を少し寄せるとストレスなく読めるとか。フォントは完璧ではなくて、それぞれの文字に小さい、太いなどクセがあります。もちろんピシッと詰まっている方が面白いという考えもありますが、とにかく視覚的に美しく、気持ちよく見せることを考えてデザインしています。

グラフィックデザインに関しても同じで、基本的にはすっきりしていて、見やすいことを心がけています。そこをベースに、時には崩したりすることもありますが。もしかすると、地元にある海水浴場の近くで育ったことが関係しているかもしれません。環境省選定の「快水浴場百選」で全国第2位に選ばれたことがあるほど綺麗な海で、小さな頃からよく砂浜で色々なものを作って遊んでいました。直接的には関係ないかもしれませんが、蓄積されるものってありますよね。

とはいえ、デザインを必要とされる状況によって変わるので、やり方に固執しているわけではないです。デザインはコミュニケーションだと思っていて、その領域も最近ではグラフィック、WEB、動画、店舗などさまざまです。僕はそんなに自己表現欲が強いタイプではないですし、クライアントが企業でも個人でも、とにかく喜ばせたいという思いでデザインに臨んでいます。


何を以て、“いいデザイン”なのかの葛藤。


__EXIDEAに入社した理由は?

「デザインはコミュニケーション」と感じた理由が、自分だけでデザインすることに葛藤を感じたからです。たとえば、どれだけデザイン視点で“いいもの”を出せたとしても、マーケティングや戦略を理解していなければ、本当の意味でクライアントを喜ばせられないですよね。

納品した時は「ありがとうございます」と言われても、後から「WEBのここにボタンが必要だった」とか「検索に引っ掛からなかった」とか、そういった理由で自分で提案したデザインが後から変えられることが何度かあって。それでは役に立てないし、悲しいじゃないですか。

だから、マーケティングやコンサルタントの意見をデザインに取り入れたいと思い、EXIDEAへの入社を決めました。はじめは聞きなれない用語が多くて勉強しないといけないと思っていましたが、最近はそういうプロフェッショナルの人がいるから頼ればいいかと思うようになりました(笑)。


5年間、懐で温め続けたロゴ刷新。


__アートディレクターとして、思い出深い仕事は?

この会社に入る前の仕事ですが、Leave a Nest(リバネス)という企業のロゴ制作。なにせ、変えるまでに5年の月日をかけたので(笑)。初めて訪れた際に、「科学技術で世界に貢献する」と掲げられていて、とてもいい企業だと感じました。本当は初期の段階で、「ロゴを変えましょう」ともちかけたかったのですが、話をしていて現状のロゴを大切にされているということが分かりました。だから、このタイミングで「ロゴを変えましょう」と提案するのは対応として雑かもしれないと思い、一度飲み込みました。

それから一年くらい経った頃に、サービスロゴの制作依頼をいただくことに。「リバネスユニバーシティ」という名称のプロジェクトだったのですが、これからもっとサービスやプロジェクトが増えていくだろうと感じました。なので、パーマンの「P」じゃないですが、「L」のシンボルをつくり、どれだけサービスが増えても「リバネス社のプロジェクト」ということが強調されるようなデザインを提案しました。

その後、初めてお会いしてからちょうど5年くらい経つ頃に、「このLを使って会社のロゴを制作して欲しい」とご依頼をいただきました。ロゴ刷新の際に、『日本経済新聞』に15段広告を出たのを見た時には、相手のことを考え雑な対応をしなくて良かった、と心から感じました。

そんな経験もあり、打ち合わせの時はクライアントの顔をずっと見ています(笑)。相手の目が変わる瞬間が好きなんですよね。クライアントと一緒に、最適な解決策を見つけていく。それが、自分の考えるデザインなのかもしれません。

村上 真輝(Masaki Murakami)/ アートディレクター
宮城県生まれ。グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタート。現在はブランディングを中心としながらWEB、広告、雑誌、動画等のアートディレクション、デザインに携わる。過去に某アイドルグループのブックレット制作で、6万枚の中から写真をセレクトした経験により、「なんとかならないことはない」という教訓を得る。無類のタイポグラフィー好き。2024年にEXIDEAへ入社。「雑な仕事をしない」がモットー。


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