ロスジェネ氷河期世代が考察する「DDRがもはや踊れない現実」
かつての栄光 DDRが全盛期だったあの頃
DDR(Dance Dance Revolution)が世に出始めた頃、私はまだ20代中頃。身体は軽快に動き、譜面がどれだけ流れてこようが楽々とこなしていた。特にビーマニよりもDDRを好んでプレイしており、あの頃の自分には「動ける自信」があった。当時、ゲームセンターで人前に立って、汗だくになりながら踊る自分が誇らしかった。2ndMIXの頃には「PARANOIA clean mix」のアナザーをクリアするのが限界だったが、それでも頑張っていた。今思うと、あの頃はまだまだできる余力があったはずだ。
今の現実 身体も視力もついてこない50代の壁
しかし、50歳を迎えた今ではまるで別の話だ。あの頃と同じDDRの筐体に立つものの、流れてくる譜面を視認することすら厳しい。リズムに合わせて足を動かそうとするが、かつては簡単だった動作も今や追いつくのがやっとで、ボロボロの状態だ。気持ちではまだまだ踊れるはずだと思っていても、現実は身体が言うことを聞かない。これが年齢というものだろうか、と感じずにはいられない。
得意ではなかった音ゲー、それでも続けた理由
正直に言うと、私はもともと音ゲーが得意ではなかった。DDRもビーマニも、どちらかといえば苦手だった。それでも続けた理由は、あの独特のリズム感や達成感、そして何よりゲームセンターでの人との交流だ。あの頃、少しでも難しい譜面をクリアしたときの感動、周りのプレイヤーからの拍手、そうしたものが自分を突き動かしていた。友達もハマっている人が多かったのも大きい。
思い出す「PARANOIA clean mix」 限界を超えた挑戦
「PARANOIA clean mix」のアナザー難易度をクリアしたときの達成感は、今でも鮮明に覚えている。あれが私にとってのDDRのピークだったかもしれない。どれだけ努力しても、それ以上の難易度に挑戦することはできなかった。しかし、あの時はまだ若かったからこそ、もっと上を目指すことができたのではないかという後悔が少し残っている。
歳を重ねてもなおゲーセンに立つ理由
今ではDDRに挑戦しても結果は散々だ。流れてくる譜面を追うのが辛く、足も思うように動かない。それでも、なぜまたゲーセンに足を運び、筐体の前に立つのだろう?それは、ただ「踊る」ことそのものに価値があるからだ。あの時代の自分との対話であり、過去の自分がどれだけ頑張ったかを思い出すためだ。そして、今は結果を求めるのではなく、楽しむことを大切にしている。とはいえ実際に行くのは年一回程度。年末に気心のしれた学生時代の中と集まり忘年会をやる時くらいだ。この年になれば少々恥ずかいいものだし。
音ゲーの進化と自分の限界
音ゲー自体も進化している。DDRはもちろん、他のリズムゲームもさらに複雑化し、速度が増している。若い世代がどんどん高難易度に挑戦するのを見ると、もうそのスピードにはついていけないと感じる自分がいる。視力の低下、反射神経の鈍化、足腰の衰え──それでも、こうしたゲームに挑戦し続けるのは、やはり「あの頃」を捨てきれないからなのだろう。
歳を重ねても挑戦し続ける自分を誇る
DDRがもはや踊れなくなった現実は悲しい。しかし、それは過去の自分との比較に過ぎない。50歳になった今でも、ゲームセンターに足を運び、少しでも踊ろうとする自分の姿を誇りに思いたい。結果がどうであれ、挑戦し続けること自体が価値であり、そこに「歳を重ねた自分の美学」がある。これからも、結果ではなくその過程を楽しむことを忘れずに、少しずつでも動ける限り、DDRに向き合っていくつもりだ。
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