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【集中内観体験談】自分と向き合う7日間の修行

はじめに

2019年3月31日(日)午後から4月6日(土)午前までの1週間、大和内観研修所で寝泊まりさせていただきました。集中内観と呼ばれるもので、修行と言ってもいいと思います。

研修要項をご覧いだくとわかりますが、朝6:00〜夜9:00過ぎまで屏風の中に籠もってひたすら過去を振り返ります。

壁と屏風で囲まれた空間は畳 半畳です。そう、1畳ありません(汗)

▼屏風の中はこんな感じになってます▼

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この中で、食事も摂ります。屏風を出るのは、トイレ、お風呂、睡眠、掃除です。ネッ、修行でしょ(笑)

では、内観では何を振り返っているのか?
そして、私の場合・・・

母、父、兄弟・姉妹、祖母、祖父、
身内ひとり1人に対して、
以下の3つの問いについて振り返ります。
・自分がお世話になったこと
・自分がして返したこと
・自分が迷惑をかけたこと

さらに、丁寧に振り返るために、
期間を区切ります。長くても5年ぐらい。
 ▼小学校/低学年
 ▼小学校/高学年
 ▼中学校
 ▼高校
 ▼大学
 ▼社会人/1〜5年
 ▼社会人/6〜10年
  ・・・
 ▼社会人/現在まで

で、ですよ。
私の場合、母の世話になりっぱなしなのに、
して返したことが圧倒的に少ないぃ!!!
もうスズメの涙レベル・・・。

母以外にも、
母方の伯母、母方の祖母を振り返りました。
この2人にも、返したことがほとんどない。
しかも、祖母にいたっては亡くなっているので、
もう返しようがありません。

そして、母、伯母、祖母と振り返って
わかったことは、
この3人に私は育ててもらったということ。
また、自分が思っていたほど、
悲惨な家庭環境ではなかったなと。
とても可愛がってもらってた。

振り返る中で、こんなことにも気づきました。

感情的な記憶がほとんど出てこない。
思い出せない。

何をしてもらったという出来事が出てきても、
そのときにどんな感情だったか、
どんな会話をしていたのかがあまり出てこない。
情景から楽しかったんだろうな、
うれしかったんだろうなと推測しているに過ぎず、
心から思い出しているわけではないのです。

そうか、私は幼少期のころから感情的な情報を
さほど扱っていなかったんだなと。

これは内観に行く前から自分を振り返って
なんとなく感じていたことで、
そうなった仮説も持っていました。
周りの大人の感情や自分の感情を扱いきれず、
自己防衛本能的な対処法だったのだろうと。

メルマガでも何度か書いていますが、
身内で酒癖の悪い人がいたのです。
そんな環境から母は私を守ってきた。
そういう環境から感情ブロックを
身に付けたのだと推察しています。

あと、こんなことにも気づきました。

あなたは何歳のときに、
どんなことをしていたかを思い出せますか?

学校だと季節ごとの行事があるし、
何年=何歳って換算できますよね。

では、社会人になってからはどうですか?

私の場合、新卒社員という経験がないのと、
仕事を転々と変わっていたこともあり、
20代の記憶が
時系列で出てこないことがありました。
基準は2001年3月31日にオープンしたUSJです(笑)
これよりも、前か後か。

私の記憶はあまり価値ないなぁと(汗) 
決して記憶力が悪いほうではないと
思うんですけどね。

集中内観を始める前の準備、
そして壁はスグ目の前に。

写真でもお分かりのように中は凄く狭いです。
ホントに狭いです!!
(大事なことなので2回言いました・笑)
でも、あの中に座ってみると
けっこう落ち着きます。
今回は私ひとりだったので、
周りが気になることもありませんでした。

さて、集中内観を始める前の準備ですが、
自分の人生を振り返ります。
思い出せる1番古い記憶から
現在までを書き出していきます。
実は、内観中はメモができません。
なので、書く行為はこの生い立ちを振り返る
ときだけになります。
しかも、書き上げると提出するので
手元には残りません。

ちなみに、集中内観研修中は、
連絡、読書、日記、飲酒などが制限されます。
貴重品と一緒にスマホ、パソコンは
ロッカーに入れて鍵をします。
その鍵は、研修所の方が管理されます。

この人生の振り返りを1日目の午後から2日目の
お昼ぐらいまでかけて、私は書き上げました。
さあ、ここからひたすら内観の時間が始まります。
まずは小学校/低学年のときの母に対することを
振り返ったのですが、集中できない!!
もう雑念がありすぎる・・・(汗)

過去を振り返っているのに、
なぜか未来に思考が移ってしまう。
それが自分の長けた能力だとわかっていても、
そのせいでうまくいかない。
さらに、何かが切っ掛けで妄想が拡がってしまう。
こりゃダメだぁ〜
と、のっけから壁にぶつかったわけです(笑)

3日目ですかね、
そんな自分を諦めました。

ここで思考の傾向性を変えることは
非常に困難ですからね。
集中できていない、深い内観ができていない、
何のために来たのか、
そんな風に自分を評価しているのを
やめようと思ったんです。

集中、深い・浅い、そんなことに囚われず、
ただ振り返ってみよう。
ずっと振り返ることができなくても、
対象となっている母や祖母、
伯母のことを考え続けよう。
そして、自分のことについても考えてみよう。

過去からの逃避と言われればそれまでです。
自分としては、
メンタル的なブロックというよりも、
思考の特長によるところが大きいと感じています。

そこから、こんなことを思ったのです。
私は空想すること、未来を想像することで、
自分の寂しさや家庭環境の現実から
回避していたのではないかと。
あと何日でお母さんは仕事が休みだ!
そのときは何をしよう♪
幼少期の場合、ポジティブ要因からではなく、
ネガティブ要因から傾向性が発達するのではないか
という仮説を私は持っています。
生きるために必要なサバイバル能力とも言えます。

食事の時間になると、
内観に関する放送を流してくださいます。
とても古いものから新しいものまで。
内観体験者の声はもちろん、
大和内観研修所 所長 真栄城 輝明さんの講演など、
内容は様々です。

はじめのころは陰気くさいなぁと
正直思ってたんですが(汗)、
段々と面白くなってきたんですね(笑)。
だって、外からの得られる情報は
これだけですからね。
途中で質問したんですが、
放送の内容は参加者に合わせて
変えているそうです。

そうそう、言い忘れていました。
内観中は、1時間半〜2時間おきに
面接と呼ばれるものがあります。
このときに、内観で振り返った事実を伝えます。
この面接での報告から
放送内容を選ばれているわけですね。

ありのままの自分でいいんだなって。

3日目のお昼だったかな?
このときの放送を聴いて
大粒の涙が溢れてきて、泣きました。

その瞬間、「どうありたいか?」
という質問に違和感を感じました。

私たちは、ありのままでも十分に特別であり、
価値ある存在なんだと思ったとき、
どうありたいかという問いが作為的というか
人為的な感じたしたからです。
ありのままの自分を受け容れられてから、
どうありたいかを自分に問う。
そういうステップなのかなと。

内観の真髄とは?!

母、伯母、祖母、ふたたび母を終えたとき、
次はどうしようかと思ったんです。
それが確か6日目の午前だったかな。
それを真栄城所長にお伝えすると
内観の真髄である、
以下のことについて振り返ってみないかと
提案されました。

・嘘と盗み 

これについては身内など対象はとくに絞らず、
期間だけを絞って振り返っていきます。
私は折角だから、やってみようと思ったんです。

で、お昼の放送で嘘と盗みについて
内観した方の面接の様子が流れたんです。
それを聴いていて私が感じたことを
正直に言うと、
“反省してるようには思えない”そんな感覚でした。

イザ自分がやってみると、
自分も反省している様子がない・・・。

このとき、自分の中で何が起こっていたのか!?

「子どもだったし」
「相手をそこまで傷付けたわけじゃないし」
そんなセリフが頭の中に浮かんだんです。

当時はドキドキしながら嘘をついたことも、
何かを盗んだことも、今では終わったこと。
過ぎたこと。
私たちは、そうやって生きてきているんだなと。
たとえ子どものころの話しでも、終わったこと、
過ぎたことにできず、
現在まで引きずっていることもあると思います。
それを振り返るのは非常に辛く、
感情を揺さぶることになるだろうなと。

だから私は、
現在に近づくにつれて恐れがありました。
子どもだからと言い訳ができないからです。
大人になれば善悪もわかり、
明確な意思を持って嘘をつき、
盗んでいるからです。
 
中学、高校と振り返り、
これも何かの機会だと思い、
正直に話すことを選択しはじめていました。
面接者にどう思われるかを気にせずに
話してみよう。
そして、直近の3年間ぐらいのことを
振り返るのが1番辛かったです。
まだ終わったことにもできず、
相手に対する申し訳なさがあったからです。

さらに、
それが自分のエゴや嫌われたくない
という思いからやっていたからです。
とても自分勝手な行為です。
私にとっては“好かれたい”よりも
“嫌われたくない”というのが圧倒的に強い!
それを再認識させられました。

▼内観中の様子▼

画像3

この写真は集中内観終了後の最終日に撮っていただきました。正座していますが、内観中はどんな姿勢でも構いません。自分が集中できるかが大事です。そして、実際はもっと薄暗いです。

集中内観から数日が経ち、
私がどうなったのか?

今回、7日間の集中内観を通して、
あらためて気づいたこと、
感じたことがありました。
そのすべてが貴重な体験でした。

劇的な変化は起きていません。
(2019年4月10日現在)

俗世にまみれ、それを享受しています。
ですが、以前よりも自分の内側を
感じられるようになっています。
 イラっとしてるなぁ
 評価してるなぁ
 恐れてるなぁ
なので、ジワジワと沁みてきている感覚です。

そして、半年が経って感じていること。
(2019年7月28日現在)

私は他力本願だった。
どんなに厳しい修行だったとしても、
それをやること・受けることで
変われるんじゃないかという発想が
もうイケてなかったなぁと。
実際、ここまで自分を追い込んだら何かが
変わるんじゃないかって期待をしていました。
それだと変容は難しかっただろうなと、
今の私は思うのです。

集中内観は意味が無いと
言っているのではありません。
勘違いしないでくださいね。

私の取り組む姿勢に問題があったことや、
私の思考パターンに合わないところがったのが
要因だと思います。
あと、どんな体験も自分の人生に
影響を及ぼすでしょうから、
集中内観を体験した私が今の私だとも言えます。

画像1

集中内観を終え、自宅に帰る前の1枚です。情報を遮断していたので新元号が「令和」だと知ったのもこのときでした。


内面探索の旅はつづく・・・
Insight Journey continues・・・

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

〜 Vol.0749 2019年4月8日配信 〜
〜 Vol.0750 2019年4月9日配信 〜
〜 Vol.0751 2019年4月10日配信 〜
本内容は『エクシる』メルマガ Vol.0749〜751 を
再編集して1つにまとめています。
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