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夢を見失ったロスジェネの軌跡

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「ロストジェネレーション」
いったいどこの誰が名付けたのか?全くもって失礼な話だ!

私たちは自ら社会からロストしたわけじゃない。世間という顔の見えない誰かが勝手に「失われた世代」と言い始めただけ。どちらかと言えばロストさせたのは、その時代に権力を持っていた誰かだ。

ロストジェネレーションとは、バブル崩壊後(1990年代初頭)の就職氷河期に学校を卒業して就職活動をしていた世代(主に1970年代生まれ)を指す。

私は、このロストジェネレーションの真っ只中で就活をしていた昭和50年生まれの48歳。

私は、カーデザイナーになる夢を抱いて芸大に入ったものの、自分の才能の無さを痛感して夢を早々に諦めた。芸大という狭い世界で通用する気がしないのに、世界に出れば尚のこと。

夢を諦めた私は大学にも行かず、神戸の高架下や心斎橋のアメリカ村の古着屋で日々過ごしていた。お陰さまでジーンズ、フライトジャケットにはかなり詳しくなった。今はもうなくなってしまったけど、アメリカ村にあった「NYLON」という店が大好きだった。好きなアイテムを扱っていたのもあるが、輸送用の木箱に納められた旧車のハレーが店内に飾られた店舗デザインが気に入っていた。

色々なショップを観て回っているとウィンドウディスプレイやインテリアに興味を持つようになっていった。私は商業建築に携わりたいと思うになっていた。

碌に大学にも行ってなかった私が就職氷河期に希望の会社から内定をもらうなんて奇跡は起こせなかった。世の中そんなに甘くは無いのだ。芸大卒業後も商業建築に携わる夢を諦めることができずに職を転々としていた。この頃、USJの建設が本格的になってきており、映画好きの私は自分が携われることを夢見ていた・・・。

USJ関連の求人を私は来る日も来る日も探し続けていた。当時、登録していた派遣会社のエージェントにも求人があれば何でもいいから紹介して欲しいと伝えていた。これは言い換えると、どんな仕事でもやるという決意表明だった。

私は焦っていた。
建設に携われる期間は限られている。USJが完成してしまったら夢を叶えるチャンスは永遠にロストするのだ。
タイムリミットが迫る。
カーデザイナーの夢を諦めたように、私はまた諦めるのか。もう建設に携われなくてもいい、オープニングスタッフとしてでも中に入りたいとまで考えるようになっていた。

でも、子どもの頃からモノ創りが好きで映画が好きな私は、自分の手でUSJをつくることを諦められなかった。

2000年2月某日。
アルバイト雑誌でひとつの求人を見つけて私は震えた。
「造形制作(未経験OK)」 勤務地 此花区
此花区は言わずと知れたユニバーサル・スタジオ・ジャパンの建設地。
私はスグに応募した!

そして、奇跡は起こった。

私は造形制作スタッフに採用された。しかも「E.T.ADVENTURE」だ!
初めて現場に入った日のことは、今も忘れられない。
シートで覆われた壁をくぐると、鉄骨や鉄筋が剥き出しで、これから創られる世界にワクワクした。この世界の住人に私もなれる。現場では辛いこともあったけど、夢のような毎日だった。

卒業旅行で訪れたユニバーサル・スタジオ・ハリウッド、それと同じものを自分たちが造っていくのだ。

「運命は努力をした人だけに偶然という橋を架けてくれる」

私が好きな韓国映画『猟奇的な彼女』(2003年公開)に出てくるセリフだ。偶然は棚ぼたでは無い。行動があってはじめて起こるのだから。言い換えると、偶然は自らの行動で手繰り寄せることができる。

夢を叶えるのは才能ではない、念いの強さだ。

念いは、より強いほうが届く。時間を掛けてその念いを育んできたヒトはいつだっている。そんなヒトが自分の隣を全力で駆け抜けていく。気付いて自分も走りだすが決して追いつくことはできない。
「あなたが人生の1分1秒を掛けてきたことは何ですか?」

最後に私から伝えたい。

「才能で、夢を諦めないで!」

自己探究の旅はつづく・・・
Insight Journey continues・・・

Vol.0963/2023年8月25日に配信したメルマガを加筆・修正したものです。
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< 編 集 後 記 >


エッセイまたはエセーは日本語では一般に「随筆」の意味で用いられ、文学の一ジャンルとして確立している。英語のessayはフランス語の「試す、試みる」を意味する動詞essayerから発している。フランス語のessaiはessayerの名詞形である。これが最初に「随筆」の意味で用いられたのは16世紀後半、モンテーニュのEssaisであり、邦訳では『随想録』というタイトルで親しまれている。しかし当時は文学様式としての「随筆」はなく、エセーとは「試行、吟味、試験、経験、実験」などの意味を含んでおり、モンテーニュ自身のことばによれば「判断力の試み」であった。つまり、『随想録』は自分自身が何者であるのかを知ろうとする基本的な態度から発して、思索を展開しているのである。

日本大百科全書より

今回のメルマガからの転載は、まさに初の試みとなるエッセイです。西沢泰生氏の『人に読んでもらえる』エッセイ講座を受講した際の課題作品で、同氏のリライトを踏まえたこの第3版には、著者が「初めて念いの強さで願いを叶えた経験」について書かれています。

彼はいつも自分の仕事を、「夢の舞台裏」の頃も、今現在も「人に体験を届けること」だと言います。そしてその届けた体験を通してそれぞれの人が知る「自分」とそこから拓かれる可能性について信じているのだと思います。彼の次なる「試み」がどのような体験を私たちに届けてくれるのか乞うご期待!!

これとは全く異なることを書いていた初稿。気になる方はこちらもぜひ。



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