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真の「不労所得」を得ているのは誰か

医師の働き方改革が始まったものの、病院当局による斜め上すぎる発想の改革の実態が露わになって来ています。

江草の観測範囲では、特に先日出たこの報道に対する反響が大きかったですね。

医師の位置情報を常に追跡し、医局(※病院内にある医師たち専用のスタッフルームみたいなもの)に戻った瞬間に休憩時間扱いにすることで、働き方改革の労働時間規制を免れようとするなかなかに斬新な発想です。

これに対し、医師アカウントたちの嘆き、怒り、皮肉の声が鳴り止みません。


法律上は職務から完全フリーでない限り待機時間も労働時間とみなされるということや、特に医師の働き方改革は医師の過労を防止するためのものであることから、こうした小手先の「働き方改革」が許されざる稚拙な対応であることは言うまでもないでしょう。

外形的な制度面だけいくら変えても、各自の内面的な思想が変わらないと、改革が上手くいかない典型例と言えましょう。


ただ、こうした「実働時間じゃないと報酬を払うべきではない」VS「待機時間だって労働だから報酬をもらうに値する」の対立は医師に限らず労働における永遠の難題ではあります。

たとえばこちらの『Q=A 問いこそが答えだ!』という書籍では、小売業界の経営幹部が戦略上の課題を考えていたら「いつ仕事に取りかかるんだ?」と尋ねられたエピソードが紹介されています。

ひとりきりになって深く考える時間を作るのもたいせつだ。それはつまり、自分自身の考えに耳を傾けることを意味する。先日、わたしは「考えにふけっているのを見つかった」と話す、あるヨーロッパの小売り企業の経営幹部を気の毒に感じたことがあった。それは絵に描いたように典型的なオフィスの一コマだった。彼女は自室の椅子に深々ともたれて、窓の外を眺めながら、戦略上の課題を真剣に考えていた。そのときたまたま上司であるCEOがそこを通りかかって、「何もしていない」彼女の姿が目に入った。CEOはドアから顔をのぞかせて、尋ねた。「何をしているんだ?」。深く考えにふけっていた彼女は、その声に飛び上がるほど驚き、とっさに「考えています」とだけ答えた。CEOがその次にいった言葉──「で、仕事には、、、、いつ取りかかるんだ?」──は、このCEOに率いられている会社がどういうタイプの会社であるかを雄弁に物語っている。わたしは思わず首を振って、「まさか!」と叫んだ。しかし彼女はあきらめたようにいった。「いいえ、そのまさかです。そのときも、今も、変わっていません」


つまり、世の中では一つの優勢な立場として、現実世界の中で実際に物理的に動いていないと(「何もしてない」ように見えない状態でないと)、仕事をしているとはみなされない立場があるわけです。その立場からすれば、医師が患者がいるはずがない医局に居るならば、それは「何も医療行為をしていない」のだから労働時間であるはずがない、という理屈です。

「現実世界で実際に働いてこそ仕事だろ」というわけですね。

実は江草としてもこの立場自体には一理はあるとは思うのですが、どうせやるなら徹底的にその立場で考えるべきだと思うんです。

すなわち、「実際に何か具体的な仕事をしないと仕事でない」とみなすなら、ちゃんと現実の物理世界での仕事量を見ないとダメでしょうと思うわけです。

幸いなことに、この考えを押し進めるのにふさわしい概念がすでにこの世にあります。それは物理学で言う「仕事」です。

物理では、物体に一定の力F〔N〕を加えて力の向きにx〔m〕移動させたとき、「力は物体に仕事をした」という。

もちろん、私たちの日常生活における「仕事」の言葉の意味と、物理学で言う「仕事」の言葉の意味は通常異なるものとして扱われています。
しかし、どうしても世の中では「実際に仕事をしているかどうか」「現実世界で何もしてない状態は仕事とは言えない」と考える立場の方が多い。その意図を汲んでちゃんと突き詰めるならば、純粋にこの世界での物理現象を客観的に記述している、この物理の「仕事」の概念こそ「仕事を測る」にふさわしいでしょうとあえて提示しているわけです。
逆にこれ以外の定義を持ち出すなら、必然的に「物理世界での実際の仕事」から自ずと外れますから、立場を徹底できてないわけです。それは「実際に仕事をしているか」にこだわる皆様からすると、とても良くないことですよね。


さて、社会的な「仕事をしているかどうか」評価に、この物理学の「仕事」の概念を適用するとどうなるでしょう。

「仕事」は、ざっくり言うと「力×距離」ですから、重い物を長距離動かした人が「よく仕事をした」と言えるわけです。そういう人にこそ高い報酬を与えるのが「医局に居る時間や考え事をしている時間は仕事時間でない」と判定する実働主義者としてふさわしい態度ですよね。

この評価方法でまず高い報酬となることが考えられるのは、引越し業者や宅配便などの重たい物を己の肉体で運ぶ仕事の方々ですね。明らかに「力×距離」を稼いでいます。工場や農業などでの労働をされてる方も、重たい物を運んでることはままあるでしょうから、報酬が伸びることが期待されます。

あとは育児や介護もありますね。子供を抱っこしたり、高齢者を介助したりする時は力をかけてうんとこしょとしないといけませんから、そこそこいけそうです。

ここで注意して欲しいのは、評価対象が本人が実際に行った物理の「仕事」であることにこだわることです。

たとえば貨物列車の運転をされてる運転手は、列車全体で見れば大変な量の荷物を運んではいるわけですが、運転そのものはレバーやペダルやボタンなどを押す操作しかしてませんから、肉体的な「力」はさほど発揮してないですよね。この場合は、物理的な「仕事」を担ってるのは電車という機械の方であって、運転手という人間個人はそのマネジメントをしてるに過ぎず、申し訳ないですが、物理世界での「仕事」はあまり行なってないことになります。

違和感があるかもしれませんが、これはあくまで「仕事とは実際に当該人物が現実に何かしてるべき」と考える人たちの立場を徹底すればそうなるという話ですから、文句はそういう方々に言ってくださいね。

で、この話を進めていくと、ホワイトカラー的な仕事はことごとく「仕事」をしていないことになります。行なっていることといえばキーボードのキーをカタカタ打ったり、書類を運んだり、人同士でお話をしてるぐらいです。たまーにオフィスでも力仕事的なことが発生することはあるかもしれませんが、「力×距離」はどうにも伸びそうにありませんね。ちなみに、江草の生業としている画像診断という仕事もキーボードカタカタ系なので悔しいですが大したお仕事とはならないようです。

ただ、この話が皮肉なのは「現実に仕事をしているかどうかの認定を無理くり捻り出したりする管理者たち」こそ、物理世界での実際の仕事をほとんどやってない職種になるということです。医師の働き方改革をどうにか誤魔化そうとして「せや、病棟に居る間だけ労働時間ということにしよう!」などと言ってる人たちが最も物理世界での仕事をしてないタイプの人たちなのです。

つまり、物理世界の理屈で客観的に「仕事量」を測るとするならば、こういう管理者たちは大した仕事をしてないにも関わらず、えてして高い報酬を得ている不当な不労所得層ということになります。これは、彼らご自身の「現実に仕事をしてるかどうか」を重視する立場と矛盾しますから、早急に報酬を返納していただかなければなりませんね。


こう言うと、おそらく、物理学の「仕事」概念での評価はやり過ぎだ、物理的な「仕事」の観点では大したことなくても内容として意義のある仕事はたくさんある、みたいな反論が出ることでしょう。

ふむ。それはごもっともではあるんですが、みんなからすると「だから、それは最初からそう言ってるじゃないですか」という話になります。

医局に居るときには物理世界的には何もしてないように見えてもその時間に無形の意義はありうるんだと誰もが思ってるから今回の小手先の改革に反発が広がっているわけです。労働法が「待機時間も労働時間とみなす」というのは、つまりそういう「非物理的な仕事の価値がある」という思想に基づいてのことでしょう。にも関わらず、現場管理者が物理世界での現象面だけを強調して労働時間判定を逃れようとするからおかしくなるのです。

繰り返しますが、その方針を徹底するなら、真に客観的判定たる物理学の「仕事」みたいなものを持ち出すしかなくなるし、それならあなたたちこそが「不労所得」を得てるでしょうとなるというだけのことです。そこはちゃんと一貫性を持って考えて欲しいなと思います。


もっとも、先ほどこの「実働時間じゃないと報酬を払うべきではない」VS「待機時間だって労働だから報酬をもらうに値する」の対立は永遠の難題と述べたように、これ実際にややこしい困った問題ではあるんですね。

「非物理的な仕事の価値」を容認すると、本質的な意味で本当に働いてなくても、その労働時間に応じた多額の報酬が支払われるという事態も多発しちゃうのです。

ほぼ休憩時間に等しい待機時間でも同じだけの報酬が得られるなら、実働要素が少ない仕事が好まれるのは自然な流れで、皆から忙しい「実働部隊」が忌避されるという問題に繋がるわけです。医師だって、同等の報酬なら、全く寝てられない忙しい当直(もっとも本当はこれは「夜勤」のはずですが)よりも普通に寝られる暇な「寝当直」の方を往々にして好みますからね。
こうした「実働時間が少ないタムパの良い仕事を作るように働きかけたり追い求めたりする現象」を江草は勝手に「フリータイムレントシーキング」と呼んでます。

ともかくも、「実働」と「待機」を同じ待遇にしちゃうと、それはそれで社会的な矛盾を生じてしまうわけですね。ここに働き方問題の最大のジレンマがあります。

江草個人的には、労働時間に応じて労働を管理したり報酬を紐づけようということ自体にそろそろ限界が来てるようにも思うのですが、今回はこの話は深追いせず、また別の機会にでもといたしましょう。

というわけで、ある意味、現実世界に徹底してフォーカスして考えると、ホワイトカラージョブや管理職が最も不当に「不労所得」を得てしまってますよね、という皮肉を込めたお話でした。

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