見出し画像

『給料はあなたの価値なのか』読んだよ

『給料はあなたの価値なのか』読みました。



アメリカの社会学者のジェイク・ローゼンフェルド氏の著した本書はタイトルの『給料はあなたの価値なのか』のそのままの通り「誰がいくらをなぜもらうのか」という壮大な問いに挑んだ意欲的な一冊です。


世の中には「もらっている給料がその個人の能力や功績あるいは仕事内容の重要性を反映している」という暗黙の共通認識がひろく行き渡っています。たとえば、「スキルアップして自分の付加価値を高めて高収入を得よう」とか、「こんなに高い税金を納めるぐらいがんばって働いてるんだから国は我々に報いろ」とか、よく耳にするこうした言説は「能力が高い者」や「貢献度が高い者」こそが高収入であるという前提を有しています(納税額は所得に相関していることから納税額の高さを謳うことは高収入者の貢献を強調することと同義です)。

しかし、本書はそうした「もらっている給料がその個人の能力や功績あるいは仕事内容の重要性を反映している」という世の中のいわば「常識」を「神話」であるとして批判します。もちろん能力や貢献の影響が皆無というわけではないとは留意しつつも、給料というのはもっと他の要因で決まることの方が多いのだと指摘するのです。


その具体的な給料決定の4大要因として本書は「権力」「慣性」「模倣」「公平」を提示します。
本書の中でもとても重要かつ面白い箇所なのでぜひ詳細は書籍にあたっていただきたいのですが、ざっくり言えば「権力」とは「反対に直面しても自分の意見を通す力」、「慣性」とは「給与が時間とともに固定化する傾向性」、「模倣」とは「業界内の相場で賃金を払う慣習」、「公平」とは「従業員が感じる公平感」です。

つまり、給料は主にこれらの4大要因で決まっており、「能力」や「重要性」が給料の決定要因かのように語る世の中の「常識」は「神話」にすぎないというわけです。「給料の獲得」は実のところ権力闘争の側面が強く、みんなが思うような素朴な市場原理や人的資本モデルに基づいたものではないのだと。(極論すれば「給料の獲得は経済的な競争ではなく政治的な競争にすぎない」と言えそうです)


本書は、主張の根拠として、労働組合の解体だったり、株主資本主義の隆盛だったりといった、実際の歴史的事例を紐解きながら、自説を実証していく内容となっています。(つまり、労働組合の解体で労働者の「権力」が失われた上に、株主という「ボスのボス」が「権力」を握って労働市場が歪んでしまったのが現在というのが著者の見方です)

たとえば、著者はそもそも前提となるべき労働市場の競争原理が全然働いてないことを指摘します。
会社の給与情報や財務状況が開示されてなかったり、転職防止規約を雇用契約に含ませるなどして、雇用主サイドはとにかく「労働市場の競争原理を阻止して安い給料のままで雇えるよう」に暗躍しているのだと。また、多くの組織で具体的な「同僚の給料」が分からないようになってるせいで、公平性の原理による給料の上方圧力を防ぐ効果を発揮しているのだと。
確かに、日本でも求人情報で肝心の給料の箇所が「当院規定による」みたいな記載で明示されず隠されてる印象があります(医療界だけ?)。
一番大事な給与の情報が開示されてない「情報の非対称性」があるならば能力や貢献度に応じて優秀な人材が行き交うという素朴な「常識」が成り立ちえないというのはその通りでしょう。
面白かったのはノルウェーでは全国民の税務情報が公開されてるという試みがなされてるという話。税務情報が開示されることで自分の収入の立ち位置が如実に分かります。それでノルウェーでは収入が低い人がもっと良い仕事を探すきっかけとなったのだそうです。日本の「常識」ではにわかに信じがたい文化ですが、確かにそうでもないと労働者が賃上げを要望したり、収入UPを目指して流動することはないのかもしれません。


このように本書は「実際のところ給料は能力に基づいたものではない」と様々なファクトを押さえつつ、さらに「そもそも給料は能力に基づくべきでもない」とも著者は主張します。

これは現代の多くの人々の常識的な労働観を大きく揺るがす問題提起と言えるでしょう。

端的に言えば、「能力や貢献度の完璧な測定」というのは現実的に不可能だし、無理にそれにこだわればこだわるほどただの権力闘争に陥ってしまう危険があるというのが本書の趣旨です(と江草は解釈しましたが咀嚼しきれてないかもです)。

このあたりの雰囲気は、ある意味、マイケル・サンデルの『能力主義は正義か?』に近い香りを感じる能力主義批判本とも言えますが、哲学寄りの『能力主義は正義か?』よりは、より一般市民の肌感覚に沿った労働市場の現場に近い話がなされるのが本書の特徴です。



なかなか刺激的な主張の本書ですが、江草個人的にも前からそうだろうなと思っていたところなので、うんうん頷きながら読みました(確証バイアスの可能性は分かりつつも)。

最終的に「真に能力や重要性に基づいた給料体系にすべきかどうか」については人によって好みが分かれるかもしれませんが、本書が示す通り今まさに現実として「能力や重要性に基づいて給料が決まっていない」のであれば、「自分は高収入だから」とか「納税額が多いから」という理由でなぜか偉そうにしてる人たちは滑稽でしかありません。
たとえば、医師の世界でも「毎日働き詰めで年収が○千万円突破した俺優秀だよね」とか「医師しか診療報酬を請求できないんだから病院の全利益は俺たち医師のおかげってことをわきまえるべきだよね」みたいなイキったことを仰る方はしばしばいますが、「給料が能力や貢献度に応じて決まっている前提」が怪しい以上、ただ「俺は偉いんだ」と言いたいだけのみっともない姿と言えましょう。


というわけで、総じてとても重要なテーマを扱い、私たちの「常識」をくつがえす素晴らしい洞察に満ちた本書ですが、「じゃあ具体的にどうしたらいいのか」という解決策の部分は個人的にはあまりしっくりきませんでした。

解決策として提示されていたものの中で「最低賃金の引き上げ」や「労働組合の再興」あたりはまだしも、「年功序列の採用」は「え~~~」と、首を傾げてしまいました。文中にわざわざ「年功序列制度」に批判や反発が多いのも分かってる上であえて提言してると書いていて、著者自身も覚悟の上での提言のようなのですが、それでもやっぱりどうにも納得できませんでした。

たとえば、著者は「年功序列型賃金制度は、人生の展開にうまく合致することが多い」だとか「仕事の経験を積むにつれて、私たちはその仕事をうまくやれるようになる」などと年功序列制度を擁護します。しかし、江草は「それらが成り立たなくなったから年功序列制度が見直されるようになってきてるのではないか」と思うんですよ。

健康寿命が伸びて60代になっても働き続けており、さらにもっともっと長く働くことになると言われている世の中で、育児や教育など支出負担が大きい30代40代の世代はむしろ労働人生の中において前半戦であるでしょう。とても年功序列制度が「人生の展開にうまく合致する」とは言い難いと思います。

また、「仕事の経験を積むにつれてうまくやれるようになる」というのも、昔ながらの熟練工的な発想(古き良きフォーディズム)でしかないでしょう。矢継ぎ早にモデル刷新や市場環境が変動するために毎回やり方を変えなきゃいけない世の中(『暇と退屈の倫理学』でも指摘のポストフォーディズムの問題)になったから「熟練」の価値が下がり、「生涯教育」や「リスキリング」といった「変化」の価値が上がったのが昨今です。そもそも「うまくやれるかどうか」という「能力に給料を比例させる発想」は本書を通じての主張からしても矛盾すら感じます(江草の解釈違いだったら申し訳ないですが)。

このあたりから垣間見えるように、著者の主張は全般「古き良き労働のあの時代を!」という懐古主義的なところが強い印象で、総じてまだまだ「身を粉にして労働して金を稼ぐ」のスタイルに強いこだわりがあるように思うんですよね。
確かに現行の労働文化がおかしいとしても必ずしも「古き良き時代に戻る」が最適な解決策であるとは限りません。むしろ、時代の変化に応じた新しい労働の形の可能性をクリエイティブに模索する必要があるのではないでしょうか。
たとえば「労働せずにお金をもらっていい」とする「ベーシック・インカム」への言及が見られなかったのは惜しいですし、あと「ブルシット・ジョブ」の問題がある中で「賃金の上昇」よりもむしろ「労働時間の短縮」を労働組合の目標設定に取り入れようという発想もなさそうだったのは残念でした。

もちろん、あくまで労働市場と賃金の現状にフォーカスをあてた本であるので、そこまでメタな話題展開をするのは本書の役割ではないかもですが、読者個人としてはそこまで期待しちゃったんですよね。



……っと、やっぱりついつい個人的に思い入れのあるテーマであるために熱く長く語ってしまいましたが、そろそろまとめましょう。

解決策の是非についての議論はともかく、労働市場を巡る私たちの「神話」の脆さを露わにした本書の分析は、大変刺激的で検討の価値あるものであると思います。
あくまでアメリカの労働市場を念頭においてる本であることや、ちょっと懐古主義気味なニュアンスをまとっているところには注意は要りそうですが、日本にも十分当てはまる部分が多いテーマでありますし、収入額を自分の人間的価値と一体化させてしまうことで社会の多くの人々の苦悩の源泉ともなっている重要な問題かと思います。

日頃から、「働くことの意味」や「給料の多寡」に違和感や疑問をお持ちの方は、ぜひ一読をオススメします。


個人的にも今後も折に触れて引用しそうな重要な一冊だと思うので、めでたく再読予定リスト入りとなりました。再度読み込んでもっとしっかり咀嚼していきたいです。

いいなと思ったら応援しよう!

江草 令
江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。