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『日本人のための経済原論』読んだよ

小室直樹『日本人のための経済原論』を読みました。

同氏の『日本人のための宗教原論』が面白かったので、その流れで経済の話も読んでみることに。

いやー、こちらもとても面白かったです。

経済学の解説入門書的な扱いの一冊にも関わらず、有効需要や需要曲線を説明するグラフや数式に混じって、いきなり中国の科挙の歴史の話が出てきたり、ヨーロッパの絶対王政の話が出てきたり、キリスト教や仏教などの宗教ネタも出てきたりと自由奔放さが凄まじい。20世紀を代表する「知の巨人」と評されてるのも納得の教養の広さ深さを存分に体感できました。

なお、本書、『小室直樹の資本主義原論』(1997年刊)と『日本人のための経済原論』(1998年刊)とを合本した新装版であり、あくまで20世紀末の視点での経済解説です。

だから、どうしても内容が少し古いと言えば古いのですが、20世紀末の頃にどのように経済が語られていたかを知れるという意味で味わい深い読書になりました。

なにせ本書初出当時はちょうどバブル崩壊から間もない頃。一世を風靡した日本経済が一挙に大破綻したのを皆が目の当たりにしたわけですから、「何が問題だったのか」「これからどうしたらいいのか」と日本経済の「そもそも」を見直す機運が高まっていたはずです。

そんな時代に書かれた本書はまさしく日本経済の何が問題で、今後どうすべきかを鼻息も荒く語りまくってくれてるのです。

これが非常に面白いんですよね。

だって、結局その後も「失われた30年」とか言って、ずっと日本経済が下火のままだったのを私たちは知っているんですから。本書の答え合わせがすでに済んでいるわけです。

残念ながらその後も日本経済が思うように復活しなかったのは、小室直樹氏の見立てが誤っていたのか、氏は正しかったけど日本経済がそれに従わなかったからなのか、そういう目線で本書を読むと本当に面白いのですね。

もっとも、もちろん江草はそんな上から目線で小室氏を見れるほど偉いわけではありません。本書の様々な解説、たとえば「資本主義とはなんぞや」とか「完全自由市場とはなんぞや」とか「乗数効果とはなんぞや」とか、は普通に勉強になりまして、ほんとありがとうございますという感じです。

ただ、江草はただの不勉強な凡夫ではあれど少し未来から日本経済を見ている者の優位性がありますから(後医は名医というやつです)、小室氏の見立てや主張について多少の評価はしうるわけです。

で、つまるところ、小室氏の論には、妥当だったところと誤算があったところとどちらもあるなあというのが正直な所感です。

小室氏は、日本が前近代的であって、近代化できてないこと、特にそもそも資本主義経済にさえなってなかったことを問題視されています。それゆえに、自然な流れとして、日本の近代化、経済の資本主義化を訴えられています。

つまり、小室氏は端的に言うと「資本主義が足りてない」という立場なんですね。

ただ、皆様もご存知の通り、21世紀初頭には小泉改革が象徴するように、新自由主義的な空気が一挙に広がりました。市場原理を重視している当時の空気は資本主義的な態度と一般的には見られるでしょう。しかし、それでもなかなか日本経済が浮揚しなかったからこそ(なんならそうこうしてるうちに資本主義の本場の米国でもリーマンショックまで起きました)、「失われた30年」なわけですね。

これはまさしく「資本主義化による失敗」ではないか。
そうした批判から、今や反-新自由主義、脱成長などのアンチ資本主義ムーブメントも勢いを増している状況です。つまり「資本主義はやりすぎた」という立場が出てきているわけですが、これは小室氏の言う「資本主義が足りてない」という立場と非常に対照的です。

じゃあ、やっぱり小室氏の「資本主義が足りてない」という見立てが間違っていたのかというと、江草的にはそうではなく、むしろ小室氏はさすがの深い教養と洞察力により、かなり正鵠を射ていた分析をされていたと思うんですよ。江草が見ても、確かに「資本主義は足りてない」。

するとどういうことになるかというと、新自由主義的な空気が一挙に広まった21世紀初頭(なんなら今も)、小室氏が目指した意味での「理想の資本主義化」は全然進んでなかった、というのが江草の見立てです。

つまり、ますます資本主義批判が高まってる昨今であるにもかかわらず、もしも小室氏(故人)が天国から現在の日本経済を評するなら「全然資本主義化できてないじゃないか」と激怒されるんじゃないかと江草は思うわけです。

昨今のアンチ資本主義者たちによる「資本主義はやりすぎた」という批判と、小室氏の「資本主義が足りてない」という主張が同時に成立するのは、すなわち双方の「資本主義とはなんぞや」の認識の違いに起因してるんじゃないのと。

というか、小室氏に限らず、今現在でも「資本主義が足りてない派」の人々は一大勢力としてかなりの存在感を示してらっしゃいます。

だから、この「資本主義が足りてない」VS「資本主義はやりすぎた」の対立は、現在の経済を見る上で、あるいは今後の経済の行末を考える上で、非常に重要な切り口ではないかと江草は思うんですよね。この切り口に入っていくきっかけとして、「資本主義とはなんぞや」を明解に示されており、その上で資本主義化の重要性を訴えられている本書は非常に貴重な価値ある一冊と言えるわけです。


さて、大変盛り上がってきたところで、早速この「資本主義が足りてない」VS「資本主義はやりすぎた」の対立を具体的に紐解こうと思っていたのですが、江草が本稿を執筆しているのが既に深夜に及んでおりまして、ここらで限界が来た状態です。

散々煽っておいて申し訳ないのですが、「この続きはまた書けたら書きます」というところで今日のところはお許しください。(しかし、あまりに深いテーマすぎて大巨編になりそうなのでちゃんと書けるかどうか……)

なお、一応誤解されないように申し上げておくと、江草は単純な資本主義推進派でもないし単純なアンチ資本主義派でもないというなんとも言えない立場にあたるんじゃないかなーと思います。(だいたいの物事で仏教で言う「空」みたいな謎の立場になりがちなのが江草なのです)


ともかくも、こうやって資本主義論について深く考えさせてもらえた本書。古い本ですが、今読んでも(そして今読むからこそ)面白かったので、オススメの一冊です。ボリュームはそこそこあるのですが、語り口調の文体でとても読みやすいので、結構サクサク読めますよ。

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