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「各個人が努力して生産性を上げよう」「長く働けば働くだけエライ」の罠

昨日「指数関数ヤベえ」という話の一般論を書きました。

ちょうどいい機会なのでその応用編を今日は調子に乗って書いちゃいましょう。

題材は「働き方改革とは何か」について。

「それ指数関数と関係あるん?」と思われるかもしれませんが、関係オオアリなんですよ。


働き方に関して、特に日本社会では「各個人が一層努力して生産性を上げよう」とか「長く働けば働くだけエライ」という考え方が根強くあります。
ところが、指数関数パワーの存在を知っていると、この考え方は非常に危険でナンセンスであることが見えてくるのです。

最近では「脱成長」を目指す意見も強まっていることは知っていますが、今回は便宜上あえて経済成長をしようとする前提で考えていきますね。

つまり、結論から言ってしまうと、仮に経済成長をしようとするんだとしても「個人の努力で生産性を上げよう」とか「長く働けば働くだけエライ」という戦略を取るのはマズイんだということを江草は言いたいわけです。


まず、産業革命以来の資本主義経済の爆発的成長は何によってもたらされたかをよくよく見直す必要があります。
お察しの通り、この成長は「指数関数パワー」を活用したからこそもたらされたものであり、その基本を忘れるならば成長は当然おぼつかないわけです。

経済成長をもたらした「指数関数パワー」の礎として「エネルギー」と「共通規格」と「イノベーション」の3つの要素が挙げられます。

順に説明していきます。


ひとつめ「エネルギー」。
とりあえず誰にとっても分かりやすい例が、石炭や石油、果ては原子力に至るまでのエネルギー資源利用ですね。蒸気機関の普及が産業革命の始まりであることから、これは経済成長の礎としてイメージしやすいところでしょう。
人力を遥かに凌駕するエネルギーを用いてさらにエネルギー資源を採掘するという、エネルギーがエネルギーを呼ぶサイクルはまさに指数関数的動きと言えます。
その指数関数に駆動される形で各国がさらなる資源獲得を目指して拡張し続ける帝国主義が20世紀には全盛を迎え、その指数関数的拡張同士が衝突した結果が二度の悲劇的な世界大戦であったわけです。

そして、忘れちゃいけない意外な重要な「エネルギー」が食糧です。
エネルギー資源利用とハーバーボッシュ法を用いた効率的な大量食糧生産が、世界の爆発的な人口増加をもたらしました。
前回の記事でも説明した通り、人口というのは指数関数的な増加を示します。人ひとりひとりは非力であっても、人口が指数関数的に増加するならば、その総量は爆発的なパワーをもたらすわけです。

このように、エネルギー資源の利用と人口爆発という「エネルギー」指数関数サイクルが経済成長の大きな支えとなったのです。


つぎは「共通規格」。
度量衡でもネジでもコンテナでも時刻でも、世の中にはみんなで共有している規格が様々ありますね。これも指数関数パワーを引き出すための重要技術のひとつです。

全ての製品がいちから設計していちからそれ専用に組み上げていくオーダーメイド製品であったならば、ひとつひとつの製品に大変な時間と労力を要します。
そこで、同じ役割をする部品は共通規格を定めて、色んな製品で使えるようにした方が効率的です。なんなら同じ設計図から同じ製品を大量にコピーするように作るならもっと簡単です。

これは別に人類が発見した偉大な発明というわけではなく、そもそも有史以前から生物はこの「共通規格」発想を取っています。

たとえば、細菌が無性生殖で増える時、単純に自分のDNAをコピーして増殖します。工場で同じ設計図から同じ製品を作るのと全くやってることは同じです。そして、その細菌の驚くべき増殖速度はみなさんも御存知の通りです。

また、私たち人類も含めた生物の構成材料が炭水化物やタンパク質や脂質といった共通の材料でできていることもまさに「共通規格」的です。
動物も魚も植物も、私たちと同じ成分でできているからこそ、私たちは栄養としてそれを摂取し、自分の身体という製品に簡単に組み上げることができるのです。

このように「共通規格」は指数関数サイクルを回すハードルを下げる効果があり、これが指数関数パワーを引き出す大きな支えになっているわけです。


3つめの「イノベーション」。
前回の記事で「人気(口コミ)」の例を出しましたが、「イノベーション」はその知識バージョンと言えます。

蒸気機関でも飛行機でもコンピュータでも何でもいいですが、誰かが何かすごい発明をした時、発明をしただけでは世界は変わりません。「秘伝のタレ」とか「一子相伝の秘密技術」みたいにそのノウハウが隠されていたなら、世界は真似することができませんよね。
そのイノベーションの知識がオープンに公開され共有されることで、世界に広まるわけです。

何かすごい発明がありました。誰かがその知識を見て「何これすごい」と他の知り合いに教える、教えてもらった人たちが「何これすごい」と他の知り合いに教える……みたいに、「すごい発明」は「SNSでのバズ」と同じく急速に指数関数的に広まっていくわけですね。
そしてその新しいイノベーションに刺激を受けた誰かが、それを元にまた新たなイノベーションを起こすという指数関数サイクルが始まることもしばしばです。

この有用な知識が爆発的に広まっていく「情報の指数関数」が、高度なテクノロジーの発展と普及をもたらし、経済成長の源となったわけです。


さて、全然「働き方」の話にならないじゃないか、とそろそろ怒られそうですが、お待たせしました。ようやくここから始まります。

で、なぜこうして経済成長の礎の3つの要素を見直していたかと言えば、経済成長にはこうした「指数関数パワー」が大きな貢献をしていることを実感してもらいたかったからです。

このことを実感した上で、社会に根強い「各個人が努力して生産性を上げよう」とか「長く働けば働くだけエライ」という考え方がどういう意味になるのかを見ていただきたいのです。


確かに個人が努力することで生産性は上がります。
1日に3個の製品を作っていた労働者が、努力して1日4個の製品を作れるようになったとします。確かに生産性は上がってます。
ところが、これは「指数関数」ではない、ただの「比例」。所詮「線形関数」に過ぎないのです。
「y=axの係数である"a"の数値を増やしました。これでyが増えました。」という意味でしかありません。

また、「長い時間働くのがエライ」という文化には、「2倍の時間働いた人は2倍の生産をしている」ということを意識していることは明らかですが、これも「指数関数」ではない、ただの「比例」です。
「y=axの変数である"x"の数値を増やしました。これでyが増えました。」という意味でしかありません。

もちろん、確かに生産は増えるんです。だから無駄だとか無意味だとか言うわけではありません。
ところが、それもあくまで指数関数パワーを味方につけてこそです。指数関数サイクルを妨げないことが前提です。
何度も言うように「指数関数」はそんなちょこざいな「線形関数」などかき消すほどの強大な爆発力があるからです。


まず、「個人の努力で生産性を上げよう」という主張が言われる時、ほんとに生身の人間である個人の創意工夫が想定されてることがほとんどです。「サボらずに作業に集中しろ」だとか「無駄な動作を省け」だとか、なんとも素朴な個体での工夫の範囲です。これは全く「エネルギー」という外的爆発力を頼るものでもないし、個人が個人である以上、原理的に人口爆発の助力も得られません。

そして、個人の範囲での努力を推進した結果「属人性」が高まることになります。なにせ個人の中で創意工夫をして無駄を省いたノウハウは本人しか知りえないからです。
もちろん、そのノウハウをマニュアル化(共通規格化)して広めることができれば、いわゆる「イノベーション」として指数関数サイクルに入りえないわけではありません。

ところが、ここで厄介なのが「個人の生産性と個人の報酬(名誉)が直結しがちな文化」です。それと「長い時間働いている方がエライ」の「長い時間」は「長い時間生産に従事している」という意味が含意されてることも。

個人の生産性と個人の報酬が直結している(比例している)場合、自分の生産(仕事)を止めてまで自分が得たノウハウを他者に教える(マニュアル化する)インセンティブが生まれません。
しかも、ノウハウを自分で独占した方が、生産性の評価で他者から一歩抜きん出ることができるわけですから、なんならノウハウを「秘伝のタレ」化する方が合理的とさえ言えるでしょう。
さらに、生産の手を止めてノウハウを他者に広める活動をしていることが「仕事(生産)をしていない」とみなされるのであれば、なおさらそんなことをする気がなくなります。

さらにさらに言えば、生産の手を止めて怒られる文化であれば、他者がありがたいことに公開共有しようとしてくれているイノベーションの知識を学ぶインセンティブがなくなります。長い時間働くことが報酬と名誉につながるからと、本当に長時間働いているならば、学ぶ時間も余力も残らないでしょう。

このように個人の生産性と労働時間の長さを重んじる労働観は、イノベーションの知恵が広まるサイクルや共通規格(マニュアル)の創造を抑制し、それがひいては「指数関数サイクル」に冷水を浴びせることになるのです。


そして、さらにまた、その労働観が社会全体の大きな問題につながっているのが「少子化」です。
先ほども取り上げたように「人口」というのは重要な指数関数パワーの一つでした。もちろん、増えすぎも「指数関数の暴走」になりかねないので扱いが難しいのですが、それが経済を支える大きな大きな要素であることは間違いありません。
だから、少子化というのは「人口」という経済成長のための有力な指数関数サイクルが冷え込んでいることを意味します。

少子化の要因として、仕事という名の「生産」ばかり重視して、出産育児という名の「再生産」を軽視してきたことがあることは論をまたないでしょう(あえてドライな表現で言ってます)。まさに先ほどから述べている個人の生産性と労働時間の長さを重んじる労働観です。

各個人を仕事の生産量に関わる「y=ax」の比例関数でしか判断しないのであれば、誰もがaとxを増やすことにばかり躍起になります。具体的に言えば、時給を上げることと長い時間働くことの掛け算で年収を上げようとするということです。

長い時間働くことが高い評価につながり出世と高時給につながるのであれば、長い時間働こうとする人ばかりになるのは当然です。
出産や育児でキャリアが中断することがaもxも目減りさせるのであれば、それをあえて選ぶ人は少なくなるのは当然です。

その結果として、少子化が進み労働人口が減少してしまったならば、目先の比例関数的な個人レベルの生産性向上にこだわった結果、もっと大きなパワーであった人口という社会レベルの指数関数を破壊してしまうという本末転倒なことをしているわけです。


意識的にか無意識的かわかりませんが、社会もようやくこの問題に勘づいてきたようで、それで「働き方改革」が出てきてるんです。
「長い時間働きゃいいってもんじゃないな」とか「仕事以外の時間にも人がやること(対人交流、家事、育児、学習)はいっぱいあるよな」と、ようやく思い直し始めたのです。

これぞ、比例関数へのこだわりを反省し、本来の経済成長を支えてきた指数関数パワーを取り戻そうとする動きと言えます。

「働き方改革」を「仕事ダルいしゆるくまったり生きよう」的なヌルい話と思ってる人は少なからず居るようですが、実のところ、全然冗談でもなんでもない、このようにめちゃくちゃ真剣な運動なのです。



さて、まとめに入ります。

一応最初に注記しておいた通り、そもそも経済成長にこだわるべきかどうか自体に議論があることは承知しています。
そしてまた、出産や育児が経済成長を目的になされる行為とも江草はもちろん思っていません。

だから、本稿は別に経済成長を第一義に置いているものでないことを再度強調しておきます。

にもかかわらず、なぜわざわざ経済成長を前提に今回の話をしているかと言えば、経済成長そのものの是非は置いておいても、「経済成長を目指そうとしながらなぜか経済成長しえない発想を用いていること」が社会にとって最も悲劇だろうと思うからです。
「経済成長をしようとして経済成長した結果あかんかった」よりも、「脱成長をしようとして脱成長した結果あかんかった」よりも、最もバカバカしいでしょう?

ところが、世の生産性の議論では、個人の努力で生産性を上げることが経済成長につながると言わんばかりの空気がはびこっています。

そんなわけないじゃないですか。

個人の努力なんて古代から、いや有史以前から人類はずっとやって来たでしょう。
それとも昔の人たちは愚かでサボり魔で、私たち真面目な働き者の現代人とは違う下等な存在だと思っているのですか?
せいぜいが数世紀程度前の遺伝情報もたいして違いがないはずの私たちの先祖をどうしてそう見下せるでしょうか?

私たち現代人がご先祖様たちと違う点があるとすれば、個人の努力の有無ではなく、幸運にも指数関数サイクルを味方につけられたかどうかなんですよ。

強力なエネルギー源の収得。
人口爆発と共通規格の整備、教育体制と学術の発展に伴う巨大な協働システムと情報ネットワークの構築。
これらの礎があってこそ、私たちの今の生産力があります。

それをみな自分個人の努力の賜物と思うなど傲慢にもほどがあるでしょう。

もちろん、個人の努力が無意味とは言いません。
それこそ、先祖の方々の個々の努力の無数の蓄積があったからこそ、私たち人類はついに指数関数サイクルに入ることができたわけですから。

むしろ、努力がかけがえのないからこそ、先人たちの努力をムダにしないように、私たちは努力の使いみちをよくよく考える必要があります。

だからこそ、「指数関数がヤベえ」ことを知ってしまった以上、考える努力を放棄し分かりやすい目先の「比例関数」に飛びつくことが「最もサボってる行為」と言わざるを得ないのです。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。