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『ふしぎなキリスト教』読んだよ

橋爪大三郎、大澤真幸『ふしぎなキリスト教』読みました。

10年以上前のヒット作のようなのですが、ようやく読んだんです。ぶっちゃけ江草もだいぶ前に冊子で買ってた気がするんですけれど、積んでた挙句にどこかに行方不明になっちゃったようで、今回改めてKindleで買い直して読みました。

どうして今になって読み始めたかというと、最近聞いたPodcast番組『a scope』の橋爪氏のキリスト教解説がめちゃ面白かったので、もっとキリスト教のこと知りたいぞと思って手に取ったというわけです。


新書だし、しかも対談形式なのでサラサラりと読めました。とても面白かったし学びも多かったので、なるほど売れるのも分かるなあという一冊でした。

特に日本では無宗教、無信仰を誇る人が多いわけですけれど、たとえ意識的には神を信じていなくても、現代社会のシステムや文化のそこかしこにキリスト教の思想を基盤にしたものが張り巡らされているがために、私たちは知らず知らずのうちにキリスト教に大きく影響を受けているんですね。

そうしたシステムとして代表的なのは資本主義ですけれど、マックスヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で指摘したように、資本主義の勃興にはキリスト教の背景が強烈にある。すなわち、キリスト教とはほとんど縁がない私たち日本人も結局はキリスト教の影響下にあると言っていいわけです。

なので、キリスト教について学ばないと、社会のことが分からない。そういう趣旨の本ですね。江草も確かにそうだなと思うので、キリスト教のエッセンスがちょっと掴めた感じでとても良かったです。

一神教とはなんぞやとか、ユダヤ教からキリスト教が生まれた経緯とか、そもそも「イエスって何者やねん。結局人なん、神なん?」とか、「イエスが処刑されたらなんで人類の贖罪になるん?」とか、「精霊って何よ?」とか、非キリスト教信者からすると誰もが思う(けれど失礼かなと思って尋ねられない)素朴な疑問や基礎知識をドシドシ語ってくれるので、面白くって小気味よいですね。

特に、同じ一神教でもユダヤ教やイスラム教ではなく、なぜキリスト教圏が抜きん出て理性主義や科学主義や資本主義を発達させることができたのかの解説は面白かったですね。ユダヤ教やイスラム教では宗教法が強いのに対し、キリスト教は宗教法がない(「愛」のような抽象的な教えが軸)ので、人間が法律制定をする自由度が高いのが重要であったと。

あと、世界(宇宙)もあくまで神の被造物(モノ)でしかないから、そこに特別な神聖性がないので自由に研究したり活用して良い。それで科学主義や資本主義の発展の基礎になった。すべてのモノに神や魂の姿を見る日本のアニミズム的な感覚では、地鎮祭をしたりして「その地の主」のお赦しを得てからしかモノをいじらないけれど、キリスト教のような一神教では偶像崇拝も禁止なので、そういったモノには神は宿ってないという感覚なんだとか。めっちゃドライなのでガンガン行けちゃう。そして理性も神から与えられた能力ということで、理性を活用するのはとても善いこととなると。

この辺の話が、科学者の中でも敬虔なキリスト教徒が多い理由にも繋がってるようでとても面白かったですね。言わば「プロテスタンティズムの倫理と科学主義の精神」とでも言いましょうか。

以前読んだ『科学者はなぜ神を信じるのか』への一つの回答にもなってる気がして、だいぶ腑に落ちた感覚があります。

こうやって、別々の本の読書体験がつながるのは、読書家の醍醐味ですよねえ。


こんな感じで最近は宗教の勉強もちょこちょこしています。別に何かに入信しようというわけではなくって、本書『ふしぎなキリスト教』も指摘している通り、いくら無宗教さを装っていても結局は私たちの社会の背景には今までの人類の宗教観が強く作用しているために、宗教のことも学ばないと社会のことが理解できないだろうと考えられるからです。

つまり、世の中のことを知ろうとすると、ある程度宗教の勉強をすることは避けては通れないわけです。

もっとも、それぞれの知識や歴史の蓄積は膨大すぎるので、我が身一つでは学べる部分などたかが知れています。それこそニュートンが言ったように大海の浜辺で遊んでる子どものようなものでしょうけれど、広く浅く学ぶのは放射線科医のサガみたいなものですから、まあそれでも学びたいものなのです。

この世界の全部はおろか1%すらも、いや0.00001%たりとも我が身で知ることは到底できないのはもちろん分かっているけれど、そんなん気にせず学び続けたいんです。

なお、この感覚は「楽観的虚無主義(Optimistic Nihilism)」と呼ばれる考えに近いと思われます。(下記の解説動画は江草のお気に入りです)

よくよく考えると、これ自体、絶対的な強者である神と、その前にポツンと存在してるにすぎない矮小な人間個人を対比しているキリスト教などの一神教の感覚と地続きな気もしないでもないですね。


ともかくも、そういうわけなので、各種宗教を学ぶためにアンチョコ本でもいいからとにかく手広く手は出していますね。

キリスト教でなく仏教については『仏教思想のゼロポイント』を読んだり(オススメ本です)、


『よくわかる浄土真宗』を読んだりしました。

なお、こちらの書籍では浄土真宗がキリスト教から強く影響を受けているという説が書いてあって、これも今回の読書とつながった感じがしました。

阿弥陀如来が、なぜか陽が昇る東方ではなくて、あえて西方から来る描写になっているのは、キリスト教の聖地が西にあるからなんだとか。ほえー。

実際、浄土真宗の他力本願と、プロテスタントのカルヴァン派の予定説って「自力では決して救われることはないんだよ」という点で共通してますしね。


こういう意味で、今後学びたいなあと思うのは、儒教とイスラームですかね。これらも今なお社会や世界に強い影響を及ぼしてる教えと思うのですが、個人的にあんまり実態を掴めてない。ので、今後何かしらアンチョコ本でもいいので履修したいなあと思ってるところです。

何かいい本あるかしら。

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