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見張り仕事と生産性

先日、医療界を騒がせていたこの話題。

報道自体は医療界の事例ではなく、全く異業種の東京メトロの事例なのですが、この事例で「時々対応をする感じの当直業務」が労基署から正式な労働時間とみなされたとして、「それなら医療従事者の当直やオンコールも労働時間として認めないといけないのでは?」とザワついていたというわけです。

ちなみに、医療界では「宿日直許可」という許可を医療機関が取得すると、当直時間が労働時間規制の適用除外になるという制度が普及しています。

これが事実上の夜勤を労働時間外扱いにする脱法スキームに悪用されてるとしてよく議論になっています。本当は当直(宿直)中に頻繁に対応に呼ばれると許可が出ないはずだし、許可があったとしても事実上夜勤であれば労基署から怒られるはずなのですが、経営層の意識として「宿日直許可出たから働かせ放題だぜ!」ってなりがちという問題が指摘されてるんですね。


で、今回触れたいのは実は医療界の宿日直許可の問題ではなくって、もっと広い一般論的なお話です。

というのも「生産性を上げれば労働時間が減らせる!」という言説はしばしば世の中で語られてますが、こうした素朴な「生産性労働観」ががっつり見落としてる大きな死角がここにあると思うんですね。

東京メトロの事例にしても、医療界の当直問題にしても、共通してる背景は「24時間365日誰かは即応のために待機していないといけない」という要件です。言うなれば「見張り(Watcher)型の仕事」です。しかし、こうした見張り仕事というのは生産性と実に相性が悪いのです。

「見張り仕事」というのはその性質上、何も起きなかったり何もしなかったとしても仕事として誰かが現実に従事しています。「何も起きない」ので外見上「何もしていない」すなわち「生産性的にはゼロ」なんですね。別に担当者がサボっていたわけでなくても、何も起きなかったならば生産性が上がりようがないわけです。

逆に、いかに世の中の「生産性」が高まったとしても、誰かが即応するために待機しないといけないことには変わりありません。もちろん、うまいことテクノロジーを駆使して待機に要する人数を多少は減らすことはできるかもしれませんが、従事している人員自体が不要になることはないでしょう(少なくともAIやロボットが超高度に発達する未来になるまでは)。

つまり、この「見張り仕事」分の労働時間はいかに生産性が上がろうともどうしても削れない時間として残ってしまうんですね。

で、ここで生産性主義の思考でやりがちなのは、「なら、暇な待機時間(スキマ時間)に仕事をさせて生産性を上げさせよう」という案です。要するに「どうせ暇なら何か生産的なことをやれ」と。

これ、一見合理的に見えるのですが、実のところ、「見張り」が忙しくしているということは、その「見張り」が本来期待されてる役割を果たしにくくなるという本末転倒な問題が生じています。

まず、「見張り」が忙しいと異変に気づきにくくなります。

そして、たとえ異変らしき事象が起きたことに気づいても、手がけてる「生産的な仕事」を継続するか中断するかで悩んで判断が甘く遅くなります(「まあきっと大丈夫だろう」などと言い出す)。

でもって、いざ異変に対して即応が必要だと判断したとしても「生産的な仕事」を忙しくやっていた結果、既に疲れていて、対応のためのエネルギーが残ってなかったりするんですね。

そもそも、「見張りが必要な仕事」というのは起きたときの緊急性や重大性が大きい事象に対処するためにこそ置かれてるわけですから、いざ起きたときの負荷は凄まじいものが多いのです(ほっといていいならそもそも見張りが置かれません)。にもかかわらず、そうした緊急事態に対応するための余力を「生産性向上のための仕事」で既に使い果たしてしまっていたとすれば、それこそ本末転倒なんですね。

また、先ほど「テクノロジーを駆使したりして待機人員自体を減らすことはできるかもしれない」と書きました。けれど、これもただ「アラート通知を機械化しただけ」みたいなことで人員を減らすみたいな作戦であったならば、どうでしょう。別に対応そのもののプロセスを効率化したわけではないので、当然ながら実際の対応について個々人にかかる負担(負荷の程度、頻度)はその分増えますから、余計に対応の余力が足りなくなりがちです。

そんなわけで、「生産性向上こそ善」みたいな発想で「見張り仕事」に手を入れると、見張り中に他の仕事を混ぜ込ませて見張り本来の役割を果たしにくくしたり、見張り対応にこそ必要なエネルギーや時間を奪っていたりと、単純に「見張り仕事」自体の意義を毀損するような方向性になりがちなんですね。

見張り仕事と生産性は非常に相性が悪いと言ったのはこうした次第です。

この点を「生産性を上げれば労働時間が減らせる!」という言説は見落としていますし、たとえもし認識していたとしても少なくともその大問題の議論を伏せているとは言えるでしょう。


なお、こうした「見張り仕事」であるのは育児もまさにそうなんですね。

子どものトラブルは常に誰かが見張って予防しないといけませんし、実際に病気や怪我などが起きたら誰かが即応しないといけません。堂々たる「見張り仕事」です。

しかし、育児についてはそもそも「仕事」と認識すらされてないという点で、医療や鉄道の当直業務以上に厳しい立場に置かれています。

医療界の宿日直許可の実際に対する疑問や、東京メトロに対する労基署の是正勧告は、その業務内容の生産性の有無に左右されない「見張り仕事」の重要性が改めて見直されてる動きと捉えることができます。

ところが、育児については仕事と見なされてないという点で、こうした「見張り仕事」保護の動きからさえもまだまだ蚊帳の外だなという印象です。「生産性向上」のスローガンが大好きな世の中にあって、これがいかに厳しい立場に置かれるか想像に難くないでしょう。

というより、「生産性主義社会との相性が悪すぎる」という育児の窮状が実際に反映されてるのが、少子化という世界的現象でしょう。

なので、泊まり勤務の休憩時間が労働時間と認定されるのであれば、育児での寝かしつけや夜泣きで起こされるかもしれない夜間睡眠時間も事実上の「労働時間」と見なされるべきではないでしょうか。世の親御さん方は、東京メトロの事例で認められた「1週間に2,3回の対応」どころかもっと多くの頻度で子ども達に対応してるはずですしね。



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