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みんな苦労してるんだよね

最近、このジョン・スチュアート・ミル(以下、ミル)の生涯と思想をまとめた新書を読み進めてます。

ミルは、『自由論』や『功利主義』で超有名な思想家です。江草個人的にもけっこう好きで、特に『自由論』と『大学教育について』はとても琴線に触れました。

余談ですが、ミルは、これまた江草の推し思想家であるバートランド・ラッセルの名付け親という面白い流れがあります。(つまり江草はこの辺の系譜の人の思想が好きなようです)


で、ミルの著作、別に全部読んだわけではないんですけど、めっちゃ硬派でかっこいいんですよ。理路も緻密だし、明らかに知性あふれてる。

そして、肖像がこれですからね。

ジョン・スチュアート・ミル
London Stereoscopic Company, Public domain, via Wikimedia Commons

うん。威厳がすごい。特に横の髪の毛の凸具合が何とも言えず強い。このミル先生に直々に講義とか説教とかされたら、ハハーっとひれ伏すしかないでしょう。何もしてなくても「すみません、すみません」と謝ってしまいそうです。

なので、ミルは威厳あふれるめちゃんこかっこよすぎる凄い偉い人みたいなイメージに江草的には正直なってたところがあるんですが、この度、冒頭で挙げたミルの生涯をまとめてる書籍を読んでてそのイメージがけっこう変わってきたんですよね。

若き頃、理想(ベンサム主義)に燃えてたけど、自説を批判、論破されて落ち込んだり、精神的に抑鬱状態になったり、自分でも失敗作と思う論説を出してのちのち後悔してたり。

まだ進捗としては序盤なので、青年期までしか読めてないんですけど、「うわーめっちゃ人間的ー」と思って、一気に親しみが湧いてきました。

完成された著作だけ見ると、完璧ですごい人としてその威厳に気圧されてしまうけれど、その人の生涯を見るとやっぱり彼も人間だったんだなと壁が取り除かれた感じがします。

これはもちろん良い意味で言っていて、江草的にはむしろますますミル推しになってきたぐらいです。

プロダクトとしての著作物だけでなく、その人の生き様を綴った伝記的な話も摂取することの醍醐味はここにあるなあと思ってます。

そう、一見完璧そうに見える偉人も、まあまあ苦労してる。

先ほどちょろっと名前を挙げたラッセルも以前伝記的なものを読んだことがあるんですが、

彼もまたけっこう苦労していて、いいとこの生まれなのでさぞかし裕福に暮らしてたのかと思いきや、意外にも途中お金に困ってたりもしてたんですね。確か、文章書く原稿料を前借りしてたエピソードがありました。それでも、理想のために愚直に活動し続けてたのだと。ノーベル文学賞まで取ってる人ですよ。

著作群からだけでは見えてこない人間としての彼らの姿は、とても愛らしいし、そして、等身大の人間としてやっぱり苦労してたことが分かるからこそ、そのカッコ良さがさらに引き立ってきます。

「誰が言ったかではなく何が言われてるかを見よ」というのが、権威主義に陥らないための理性的知的活動の原則ではありますが(論文査読が匿名化されるのもそのため)、それでもやっぱりその人がどういう人でどういう生き様であったかを知ることは、その発言内容の解釈に(良い意味でも悪い意味でも)影響があるし、時には「誰が言ったか」を追うことも必要なのかもしれないなと思わされます。

実際、今回のミルの生涯をまとめた書籍も、その生涯を知ることで彼の著作が何を意図して書かれたかということがより理解できるというスタンスです。「その人はどんな人なのか」というのはあながち無視できない大事なファクターなのかもしれません。


内村鑑三の『後世への最大遺物』で、「誰であっても後世に遺せるものがあるとすればそれは生き様(生涯)である」と語られてたのが思い起こされます。

(無料で青空文庫でも読めます)

こうして、偉人たちの生き様に触れると、さて自分の生き様はどうなのだろうと、改めて考えさせられますね。

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