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『独学の地図』読んだよ

荒木博行『独学の地図』読みました。

最近ハマっているPodcast「超相対性理論」で知った荒木博行さんが新著を出されたということで購入しました。
荒木さんは株式会社学びデザインの代表取締役。グロービスの講師をされているなど、ビジネス分野での「学び」に取り組まれてきた方です。

荒木さんが出演されている「超相対性理論」は3人のメンバーが具体と抽象を行き来しながら鼎談するPodcastチャンネルで、「我々は数字の奴隷から脱却できるのか」とか「真面目に遊ぶ人類の謎」などなど、およそ答えが出そうもない問いをテーマに熱く語り合う内容となっています。
これが毎回とても面白いんですよね。(この度の深井さん卒業は寂しいですが)



さて、本書のテーマは「独学」です。

少し前に読書猿さんの『独学大全』がヒットするなど、最近は「独学ブーム」が来ています。
荒木さんはVoicyでも読書チャンネルを運営されているなど圧倒的な読書量を誇ってらっしゃる方。「超相対性理論」での話しぶりをうかがっていても見識の深さが只者ではない印象の荒木さんが「独学」をどう語られるのか、江草自身「独学者」の一人としてとても気になったのでした。


読後感想を一言でいうと、とても面白かったです。
独学に臨むための考え方の土台を非常に読みやすくまとめてらっしゃる一冊でした。
『独学大全』もとても素晴らしい本ですが「鈍器本」とまで称される大著ですから、「独学入門」という意味では、ボリュームも長くなく「独学とはなんぞや」「どう学ぶべきか」という基本的問いにフォーカスした、この荒木さんの本がより入りやすいかもしれません。

荒木さんはビジネス畑の方ということでビジネスに役立つ「学び」を指南されるのかと思いきや、むしろ純粋な知的好奇心に促された「学び」の大切さの方を強調されています。「学びとは生きること」「遊び心をもった学び」などの自由な学びのイメージを提示され、「必然性に迫られた学び」から距離を置くことを勧められています。
この辺は、非常に江草も共感するところで、うんうんとうなずいて読んでおりました。

「超相対性理論」内でもしばしば他メンバーから指摘されていらっしゃったように思いますが、荒木さんは「ラーニングパレット」や「独学筋」など独自コンセプトの提示のセンスが素晴らしいです。
自分では何となくでスルーしていたところを、見事に整理・言語化してくださっている感覚があります。
こういう「まとめセンス」はほんとビジネス界隈の方々にはかなわないなといつも思います。


本書の内容の中で、一番ギクッとしたのが、「それっぽい一般論に逃げるな」という指摘です。
たとえば、何か講演を聴いたり本を読んだりしたときに、「いやー、勉強になりました!」とか「やっぱり自分の頭で考えることは大事ですね」みたいに、聴講や読書をする前から分かってたはずの表層的な話で感想を閉じてしまうのが「それっぽい一般論に逃げる」行為です。
恥ずかしながら、正直、ちょくちょくやっちゃってる気がします。。。

ちゃんと経験を学びに結びつけるためには、こういう「それっぽい一般論」に逃げるのではなく今回の経験の前後で得られた具体的な「差分」を取り出すことが大事だと、荒木さんは言うわけです。
言われると当たり前のようで、実際にはできてない。
こういうことをきちっと意識できるかどうかで学びの質は大きく変わるだろうなと反省させられました。(もっとも、これを聞いてしまうとこのnoteでの感想文も「よかったです」だけで安易に終われなくなってしまうプレッシャーがあるのですが……)


本書全般を通じて感じたのは、荒木さんが「具体と抽象を行き来する」Podcastに参加されてるだけあって、抽象レイヤーだけでなく具体レイヤーも大事にされてることでした。

一般的に「学び」というと、「世界の真理」みたいな「万人に共通する統一理論」を学ぶような印象が強いように思われます。すなわち、抽象的な客観的正解を学びに行ってるような姿勢です。
ところが、先ほどの「それっぽい一般論に逃げるな」という指摘からも分かるように、荒木さんは本書を通じて徹底して「学びを自分個人に落とし込め」というところを強調されてるように思います。本書で提言されてる「ラーニングパレット」のコンセプトもまさしく「具体的な個人の経験」を整理したものでしょう。
タイトルにもなっている「独学の地図」も、最初から「正解ルート」が大量にコピー印刷されてるような代物ではなく、後から個々人の中で独自の地図が生み出され続けていくというイメージで語られています。

つまり、「独学」という言葉には、「独」の文字に「個人具体的である」という重要な要素がこめられているのでしょう。だから、荒木さんも本書で批判的に言及されているように「大規模で体系だった統一的学習カリキュラム」というのは「独学的」ではないわけです。

 遊びに体系という要素が入り込むと、その体系は「こう進むべき」という暗黙のメッセージとなり、それを受け取った側は「こなす」という意識が出てくる。かくして、学びは作業化されていくのです。
 たとえば、何かの資格取得のためのオンライン講座を受講する時を想像してみましょう。
 最初は未知の学びに対する期待に満ち溢れているかもしれません。しかし、いったん講座に入れば、そこにはしっかりと体系化されたカリキュラムがあり、それぞれのコンテンツには体系に基づいた明確なメッセージがあります。
 そして最後には「そのメッセージをちゃんと学んだか?」という確認テストまでセットされている。この予定調和の世界観の中に入れば、自ずと一つ一つのコンテンツは作業的に「こなしていく」というマインドセットになってしまいかねません。
 このように、あらかじめ体系化された「地図」という存在は、無駄なく合理的な振る舞いをサポートしてくれる一方で、遊びとは対極の窮屈感が出てきてしまいがちなのです。

荒木博行『独学の地図』

もちろん、子どものころはどうしても基礎学習が必要なのもあり、ある程度そういう統一カリキュラムは必要とは思いますが、大人の学び方として必ずしもふさわしいものとは言えないでしょう。

こうした本書での「体系的カリキュラム学習」と「独学」の対比を通じて、江草が「新専門医制度」になぜ腹立たしく思っているのかが腑に落ちたところがありました。
各科で完全に縦割りに分割され、事細かに学ぶべきことや達成すべき目標が定められてる新専門医制度のシステムは、極めて「体系学習」的なのですよね。
学業優秀で十分に大人と言える年齢の医師たち、十分に「独学」をしうるはずの頭脳を集めて学ばせるシステムがこれでいいのだろうか。これは医学領域の知的発展を阻害する「学び」を「作業」と化すシステムになってしまっているのではないか。
そういう疑問が自身の中にずっとあったことが、本書のおかげでより明確になったのです。

しかし、医学界では毛嫌いされてるビジネス界から、こういった純粋な知的好奇心を支持する言説が出てきているのはなんとも皮肉な話です。
最近では「医師育成を早めるために大学の教養課程は廃止せよ」とか医師の大御所が真顔で言ってたりします。完全に「必然性の学び」の発想です。悲しいことですが、ビジネスを批判する医学界の方こそ、その純粋なアカデミズムの精神を失い、実用主義や近視眼化myopiaにまみれてしまってるのかもしれません。

医学界でさえ蝕まれるぐらい、実用主義の「窮屈な学び」であふれる世の中だからこそ、純粋な知的好奇心で駆動される「遊び心を持った独学」が見直されてきているのだろう。
そのように思いました。


というわけで、とても良い読書体験でした。
また「ラーニングパレット」など書いてある内容の実践もやってみたいと思います。

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