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イメージ・インタープリテーション・セッションをAIが荒らす日

たまには放射線科っぽいトークでも。


放射線科と言えば、「AIに仕事を奪われる仕事」の筆頭としてあげられがちですが、放射線科業界の偉い先生方からの「そんなことはないぞ」という主張が目に付きます。

(一応、非医療系の読者のために補足説明しておきますと、ここで言う「放射線科医」はレントゲンやCTやMRIなどで撮影した医用画像を見て病気を見つけたり診断する仕事を担当してる医師です)

たとえば、今回総会開催に当たってこうした談話も出ていました。

ここで挙げられてる、放射線科医がAIに置き換えられないと考えられる理由は、今のAIがほとんどモノタスクに過ぎないこと。すなわち、肺の結節を探すこと専用のAIであったり、動脈瘤を下がること専用のAIであったり、どのAIも一つのことしか出来ないレベルに過ぎないから、総合的に全体を診て多様な疾患の可能性を判断することができる生身の人間の放射線科医の出番がなくなることはないというものです。

一言で言えば、局所専門的にはAIが強い部分があっても、ジェネラルに診られる人間の強みがあるから大丈夫だという見解です。

まあ、現状としては確かにそうかなあと江草も同意はするんですけれど、でも、これってそもそもそんな簡単な話でないからこそ、たびたび懸念として持ち上がってるんじゃないかと思うんですよね。

つまり、今大丈夫であったとしても、近いうちにはそうでなくなる可能性をみんな感じ始めてるからこそ、そういう危機感を覚えた声があがっているんじゃないでしょうか。

たとえば、昨年から巷を席巻しているChatGPTを始めとした生成系AIも、モノタスクどころか多種多様な役割を果たせるということと、急速な能力の進歩と様々な分野への応用発展拡大が続いてることで、多くの人の度肝を抜いてるわけです。すなわち、AI自体は以前からあったわけですが、それが急に絶大な注目を集めるようになったのは、最近のAIのジェネラルさとスピード感(そして誰もが気軽に使えるようになったアクセシビリティ)に圧倒されてのことでしょう。

ここで「現状はAIもモノタスク機能のものしかないから」はちょっと楽観的過ぎるきらいがあるのではないでしょうか。


で、これは放射線科に限らず「AIで仕事は奪われない論」でしばしば見られるパターンなのですが、「いやそれでも残されたこの部分は人間にしかできないから」という理屈で仕事が奪われないと主張するロジック、これもあんまり妥当ではないと思うんですよね。

これつまり「簡単で重要でない仕事をAIに任せておいて、残された複雑で重要な仕事を人間が担うから大丈夫だ」という見立てだと思うんですが、いくつかツッコミどころがあります。


まず、複雑で高度だからといって必ずしも重要であるとは限りません。仕事をする側としては重要と思っていても、依頼する側や周りの社会からするとさほど重要でない(と思われてしまう)ということはザラにあります。

たとえば、一世を風靡した日本の家電メーカーが色々と多機能でゴテゴテした家電を作り続けていたら、結局シンプルで機能を絞ったエレガントなデザインの海外製家電に押し負けるようになってしまった話は有名ですよね。残念ながら消費者目線ではそんなややこしい機能や高度な機能は要らなかったわけです。これは新規開発された高度で複雑な各機能に価値がなかったということを意味しません。たとえ価値があったとしても消費者としてももはや使いこなせないので「もうそこまでの機能は要らないよ」と思われてしまう可能性は常にあるということです。

だから、おおよそのことをAIが出来るようになった時には、放射線科医だって「もうそこまで細かい読影はいいです。すぐに出てくるAI読影レポートで十分間に合ってます」となるかもしれません。

もちろん、人の目が必要な場面は絶対残るでしょうけれど、その残ってる仕事量が今人間が担ってる仕事量と同程度残るという保証はありません。つまり、絶滅までしなくとも相対的に仕事の需要が減るのであれば、それは十分に「AIに置き換えられている」と言うべき事態でしょう。


それに、こと放射線科においては、依頼者も臨床医という人間であることを忘れてはならないでしょう。たとえ「人間にしかできない仕事があるんだ」と言っても、「じゃあその部分は我々依頼側の人間がやりますんで」ってなりえるんですよね。

こうした自動化の結果残されたラストワンマイルを結局はユーザーという人間が行なうことになる事例も全然珍しくありません。

最近のファミレスで導入されている配膳ロボットも、人間の店員であればテーブルの上にちゃんと配膳してくれたわけですが、今は客が自分自身で食事を取って配膳していますよね。確かにロボットは配膳という細やかな作業をすることはできないわけですが、それで「店員がやっぱり必要だ」となるのではなく「最後の一手間は客にやってもらえばいいんじゃない?」になることが、このように実際にあるわけです。

鉄道だって「家の前まで送り迎えしてくれない」という決定的な機能不全があるわけですが、そこはユーザーが自ら駅に通いにいったり、駅の近くに住み直したりしてますよね。ユーザー側が技術側に自ら合わせにいってます。

「残された、人間にしかできない仕事」がユーザー側に降りてきても、自動化・機械化によって「それ以上に便利」あるいは「その分破格にリーズナブル」と感じられるなら意外とみんな納得してしまうんですね。

だから、放射線科の場面においても、いくら「人間にしか総合的な判断はできない」と言っても、そうした人間的判断を臨床医が担うということは十分ありえるわけです。

臨床医というのはそれぞれの各科の領域においてはむしろ放射線科医以上にエキスパートですから、自身のフィールドの判断であればよっぽど判断力は高いですし、それに、放射線科医が「総合的に判断」と言っても、患者本人と対面して話をしたり直接診察したりしてるわけではないという最大の盲点を残してる以上、その総合的判断力はどうしても限界があるわけです。

もちろん、繰り返しますが、現状ではAIがそこまでのレベルにはなってないのは事実でしょう。しかし、今後AIが発展していけば、臨床医からしても「わざわざ放射線科医に見てもらわなくてもいいや」という段階にどこかで到達する可能性があります。

そして、これまた繰り返しですが、これは放射線科医にしかできない高度な画像診断判断が残らないということを意味しません。やっぱり臨床の先生も判断に悩んで放射線科医に相談したいという場面は残るでしょう。しかし、それが今の仕事量に足るほど残る保証はありません。総量として出番の需要が減るのであれば、それはやっぱり「AIに置き換えられた」と言わざるを得ない状況なのです。


しかし、こう言うと「たとえAIが仕事を奪ったとしても、その分、放射線科医がAIに置き換えられない高度な仕事をもっと担うようにしたら仕事量も減らないし、より診療の質が高まるからいいのでは」とも思われるかもしれません。つまり、「AIに一部の仕事が置き換えられた分、他の仕事をすることができるのはやっぱり全体として良いことのはずでは」ということですね。

気持ちは分かるのですが、これも必ずしも妥当ではないんですね。

まず、先ほども述べたように複雑で高度な仕事だからといって必ずしもユーザー側から(絶対的な)需要があるとは限らないという点があります。

加えて、たとえその高度な放射線科業務がそこそこに臨床的意義がある(と依頼側も感じる)仕事であったとしても、それでも全体的な状況において、他の仕事、すなわち放射線科以外の仕事が優先されるという可能性も十分にあるという点です。

ご存知の通り、医師の人数は医学部定員等々でかなり制御されています。そしてその上で働き方改革もあいまって、臨床現場の医師をどう回すかが喫緊の課題となってるわけです。

ここで、AIが発達して放射線科の簡単な仕事はあらかたAIが担えるようになったとしましょう。この場合、「では引き続きAIに置き換えられない高度な部分の放射線科診療をしますね」と放射線科医が言ったら、「別にそれに意味がないとは言わないけど現場がひっ迫してるからこっちをまずは優先してくれ」となりうるわけです。

つまり、放射線科領域以外の仕事の需要が相対的に高い場面では、いくら放射線科領域内で人間(放射線科医)にしか出来ない仕事が残っていたとしても「放射線科以外にマンパワーを回してくれ」と言われても仕方がなくなるわけです。
無論、AIの進歩による放射線科業務の置き換えはこの放射線科領域の需要を相対的に下げる効果を持ちます。
だから、AIによる「人間でなくてもできる仕事」の置き換えは、必ずしも「人間(放射線科医)にしかできない仕事」に人(医師)を誘導することを保証するものではなく、むしろ「人間(臨床医)にしか出来ない仕事」に人(医師)を誘導する可能性があることを見落としてはいけません。

もっとも、既にできあがった放射線科医は、臨床現場を離れ過ぎていて臨床医としては使い物にならなくなってる可能性が高いですから(江草もまさにそうなってます)、臨床各科としても別に「既存の放射線科医」にうちに転科しろとは思わないかもしれません。ただ、「今後育成される医師はAIで代替できうる放射線科でなくうちの科に誘導するべき」とはきっと思われることでしょう。
現にすでに専攻医シーリングなどで診療科偏在を是正する圧力は高まっています。今後、本格的に画像診断AIが発達した場合に「放射線科への人材流入を抑制すべき」という意見が強まらないと考えるのは楽観的すぎる気がします。

したがって、こうしたマンパワー配分に対する政治力低下効果をもたらしうるという意味でも、やっぱり「AIは放射線科の仕事を奪いうる」と考えるべきではないでしょうか。

これになんとかして対抗しようとすると、結局は「放射線科の仕事はAIに奪われるようなものではないんだ」というポジショントークによって政治的アピールを盛んにするしかなくなるわけですが、それこそ、以前書いたようにそれは「AIに仕事を奪われてないのではなく、奪わせないようにしてるんでしょ」ということになります。

(↑ 今改めて見たら、けっこう本稿の内容とかぶってますが、あしからず)


そういう意味では「放射線科の仕事はAIに奪われにくい」とあえて強弁することは(政治的な意味で)合理的と言えば合理的な立ち回りとは思うのですが、江草はあまのじゃくなので、ついこうやって空気を読まない逆ポジショントークをかましてしまいたくなるのです。

学会長レベルの偉い先生ではなく、江草のような場末のnoter医がこっそり逆ポジトークを書いたぐらいでは影響力ないでしょうから、まあお許しくださいませ。



で、放射線科とAIの発展の関係を考えていてふと思ったのは、イメージ・インタープリテーション・セッションがAIに荒らされたら放射線科はどうなっちゃうのかなということです。

放射線科医の皆様はご存知すぎることではありますが、イメージ・インタープリテーション・セッションとは、学会開催にあたって開催される、画像診断において珍しかったり難しかったりする症例を(もちろん匿名化した上で)クイズ形式で出題して、病名を当てられるかどうかを競い合う、放射線科医の腕試しコンテストみたいなものです。病歴や画像を載せた問題が出題されて、それを各自が回答して正答が多かった優秀者が表彰されるみたいな仕組み。

これ、もしかするといつか全問正解者が「いやあ、実は全部AIに解いてもらいました」と暴露してざわつく日が来るかもしれないなと。実際、開催前に事前に問題は配られるので、現状でもやろうと思えばデータとしてAIに投入はできてしまうんですよね。

放射線科医の誇りとも言える花形セッションなので、これがAIに完全攻略されたら、並み居る放射線科医たちはいったいどう反応するんだろうと、怖いもの見たさな興味はあります。悪趣味な性格ですみませんが。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。