見出し画像

男性育児アファーマティブアクション

京大の入試に女性枠が創設されるとのことで、ネット界隈が騒がしくなっておりました。

いわゆるアファーマティブアクションというやつで、理工系に進学する女性の少なさの是正のために進められてるトレンドですね。他では今年度から東工大も女性枠を導入していたようです。

アファーマティブアクションの常として「これが逆差別ではないか」すなわち「男性差別ではないか」という論点からネット上で議論(口論?)が紛糾しているという状態です。

プロセスの公平さか、結果の平等かという、永遠の難題です。結果の平等(男女入学者数のバランスを取ること)を重視するこの制度ですが、プロセスの公平さ(入試内容や合否判定が同条件であること)を重視する立場からすると不公平に見えてしまうというジレンマを抱えています。

たとえば理工系学部に女性が少ないのはもともと優秀な理系の女性受験生が理工系よりも医歯薬看護系を選好しているためにすぎないから、それを是正するために入試プロセスをいじるのは不公平であるという主張もあります。

実際、既設の女性枠も定員割れがそこそこあるんだとか。


我らが医学部では、以前、女性入学者数を抑えるために合否判定が操作されてた問題が大騒動になりましたが、この場合はむしろ入試のプロセスの不公平を無くす方向に向かったので、改善に際し公平性の面からの批判は生じなかったかと思います。(その代わり卒後の女性医師の働き方に批判の焦点があります)


この「隠された偏り」が批判され解消に向かった医学部不正入試事件と異なり、今回の女性枠増設のようなアファーマティブアクションの場合は、逆に積極的に偏りを作るためにこそ入試をいじるので、公平主義の観点から「おかしい」「やりすぎではないか」と批判が出やすいパターンになるんですね。

もっとも、ここでややこしいのが、女性が理工系学部を避けるのは、「ステレオタイプ脅威」のような社会文化からの心理的抑圧による適応的選好であって、本人たちの真の自発的意思ではないとする立場が同時に成り立つことです。

たとえば、女性は「理工系の能力に劣る」と思い込まされたり、「理工系以外の分野の方が女性の性格向き」という空気を作られたりしてるせいで、理工系を選ばなくなっているという理屈ですね。

その心理的抑圧を解除するためにこそアファーマティブアクションによって歓迎の意を示すことが大事であると。この見方からすると、女性枠の設置によって入試制度を女性有利に偏らせることで初めて社会全体としては偏りがない公平な状態が実現する、ということになります。

これは、ちょうど江草が以前解説した議論でもめがちパターンの「原因は内か外か」にハマっていて、正直なかなか意見の相違が解消しがたい厄介な議論になってるわけです。

つまり「理工系進学者が少ないのは女性たち自身の能力や意欲の問題だ(内部因子のせいだ)」と「女性たちを取り囲む環境や文化の問題だ(外部因子のせいだ)」という構図になってると。

現に医学部入試不正問題の発覚したことによって世の中に女性の進学を阻む空気の存在があり得ないとは言い切れないところがありますし、一方で論拠となってる「ステレオタイプ脅威」の方も再現性の問題が指摘されてたりと、判定が一筋縄ではいかないんですねこれが。


一応、江草がこの問題についてどう思ってるかと言うと、なんというか、もうちょっと前段階(メタレベル?)の観点で「大学入試に女性枠を作らないといけないとか悲しいなあ」と思ってる感じです。

江草は夢見がちな理想主義者なので、そもそも大学というのは「学問のための場所」であって欲しいなと思ってるんですね。それゆえに、その学問を修めたいと志望してる者がそれを学ぶための知的準備要件を満たしていれば全員受け入れるべきであろうと。志望者固有の条件としては本心から学びたいという意図で志望してるかどうかだけが肝要で、年齢やら性別やら人種やら国籍やらは本来そもそも尋ねる必要さえないんじゃないかという立場です(最終的にはその上で金銭面も大きく影響しないようにあってほしい)。だから、性別が入学可否に大きく影響する重要要素として尋ねられることは江草の理想から乖離するので悲しいなあと思ってるわけです。

しかし、こうした理想論から乖離して「大学入学者の結果平等を保たないといけない」という話が出るのは、結局のところこれが学問の問題ではなくって、政治や経済の問題だからなんですよね。

たとえば、ちょっと前に、我らが医学放射線学会でもクオータ制が導入されて女性理事が増えました。これは要するに放射線科医集団内の政治的発言権の男女バランスを取るためです。

同様に、社会の中で学歴が政治的・経済的に重要なステータスになっていて(いわゆるメリトクラシーですね)、だからこそ学歴を平等に分配することが求められるようになったと江草は見ています。

そこに全く学問的な意欲が伴ってないとは言わないですけれど、皆が大学に求めてることが学問的意義よりも社会的価値に寄ってることは否定しきれないのではないでしょうか。ネーモさんがよく出すたとえの「東大卒の学歴と、東大卒レベルの学びと、どちらかだけ選べと言われたら、ほとんどの人は前者の学歴を選ぶだろう」というやつです。

(この話題は過去にもこの記事で触れてます)

なんなら、政府も政府で、「稼げる大学」然り、堂々と大学を職業訓練校や日本株式会社R&D部門みたいな扱いにしていますから、学問的意義よりも経済的役割に関心が高い姿勢を隠していません。

もちろん、帝国大学の時代から国の政治的目論見のために大学は常に利用されてきたわけですから、江草の嘆きはまあほんとただの甘々の理想論に過ぎないんですが、それでもやっぱり寂しさは感じちゃいますよねという話です。

せっかくなんで、さらに理想論を語ってしまいますと、こうした大学への政治的経済的調整介入を緩和するには、結局のところ社会のメリトクラシー(能力主義)志向を緩和するしかないと思うんですね。

だから、マイケル・サンデルトッド・ローズが提案するように入試成績のボーダーライン(学力の相対評価でなく絶対評価)を超えた者から抽選で入学者を選抜するという発想はあながち悪くないと思ってます。定員枠をそもそも増やしたり(ローズによる才能定員主義批判)、もともとの抽選対象者を十分な大きな人数にすれば、アファーマティブアクションに依らずとも女性などのマイノリティの絶対入学者数は増えるでしょう。



……さて、本稿は実はここまでが前座で、ここからが本題です。(マジか)

いや、そもそも、江草も今回ネット上でちょろっと見ただけで、大学入試のアファーマティブアクションの背景情報や現状をちゃんと知ってるわけではないので、今回の女性枠の是非についてははっきりした立場を表明できないんですよね。だから、上の話はただのimpressionを述べただけの前置き。

で、今回の件みたいに女性のためのアファーマティブアクションが社会で許容されるのだとしたら、それならついでに男性のためのアファーマティブアクションも許容して欲しいなあと思うんですね。

何に対してかというと、そりゃ育児ですよ。

男性の育児参加がなかなか伸び悩んでるのは皆々様もご承知の通りです。まだまだ「女性(ママ)が育児を担う」という役割固定が強いということですね。

なら、女性枠みたいに、男性の育児参加を促す是正策が強化されてもいいと思うんですよね。

もっとも、現状で存在しないわけではないんですよ。
たとえば国が定める子育てパパ支援助成金という制度があって、男性が育児休業を取った時に助成金が出るんです。出るんですが、要件も5日程度取ればOKと長期育児参加を促す雰囲気じゃないし、そもそも支給対象が企業に対してなので本人にはインセンティブがつかない(育休取得ハードルを下げる意義はある)という、なんともしょっぱい制度にとどまってるんです。

なので、本気で社会が男性育児参加を応援したいなら、もっとがっつりアファーマティブアクションかけてくれないかなあと思うんですよね。

男性育休時の給付金額は女性の倍にするとか、取得期間も2年とか3年とかOKにするとか、育休明けの保育園入園時の点数優遇をつけるとか。

個人的にはこれでも男性陣を育児に導くには弱いかもしれないと感じますけど、せめてこれぐらいのガッツリ感を出さないとアファーマティブアクションとしての意味はないと思います。


あとは、世の中の授乳室。

男性が入れない授乳室がままあって、けっこう困るんですよね。もちろんおっぱいを出せるわけじゃないので、ミルクをあげるために授乳室を利用するわけなんですけど、「授乳室はこちら」の案内通りに向かってみたら男性が入れないタイプの授乳室で引き返す羽目になったり、男性も入れるけど手前の男性可の狭いスペースしか使えなくって苦労しながらミルクをあげる羽目になったり、パパが外出時に授乳しようとすると意外とすんなりいかないんです。

授乳室じゃないその辺でやればと思われるかもしれませんが、ミルクの準備は一定の作業スペースが要りますから、ちゃんと椅子と机が確保されて欲しいんですね。出先で机までしっかり付属してる休憩スペースって案外ないです。あっても、たいがい誰かが座ってますし、「飲食禁」となってて授乳しちゃダメな雰囲気があって困ったりとかも頻繁です。だから、やっぱり、椅子、机、そして手洗い場やお湯やゴミ箱が完備されてる授乳室でミルクやりたいんですよ。

授乳室がママたちにとってナーバスな空間なのはもちろん分かってます。でも、「ここから先男子決して入るべからず」の暖簾の前でちっちゃくなって授乳するパパも居心地ほんと悪いんですね。最初から男性専用の授乳室があってくれたら我々もそっち使います。

なので、アファーマティブアクション的に、男性陣が快適に使えるパパ用授乳室の積極的増設支援もぜひやって欲しいなあと思います。

こう言うと、「そんなの作っても使わないだろ」という批判が出そうな気はしますが、それは定員割れ大学入試女性枠批判にも直結するので途端に話がややこしくなる覚悟が要ります。それに、たとえあまり使われなかろうとふんだんに用意することで歓迎の社会的意思を示すのがアファーマティブアクションの役目でありますから、低稼働率自体は許容すべき要素ではないでしょうか。

もちろん、最近は少しずつ環境が改善されてきてる印象はありますから、全然こういう施策が取られてないと言うつもりはありません。しかし、まだまだ男性陣の育児参加が足りないのだとすれば、男性陣育児用の設備の改善にどしどし投資すべきなんじゃないかと思います。(女子トイレにしかオムツ替えシートがない施設もほんと嫌ですので、これもなんとかして欲しいです)


あと、ここまで来るともはやアファーマティブアクションの話でもないんですが、世に溢れる「ママ」「ママ」コールもそろそろ改めて欲しいですね。

何を言ってるかと言うと、育児関連グッズに見られる「ママも喜ぶ」とか「ママのために」とかパパ抜きでママだけに呼びかける記述のことです。マタニティ商品とか搾乳器とかそういう明らかにママしか対象にならない製品ならわかるんですけど、「それママじゃなくてパパが使っても良くない?」的な製品で「ママ」しかコールがない説明文や広告文がしばしばあるんですね。

別にだからと言っていちいち落ち込まないし、普通に使用するんですけど、やっぱりじわっとした違和感はあります。そういう「ママのみ記述」の商品の写真を撮ってネット上でリストアップしてみようかと企んだこともあります。

過去に夫婦そろって子どもの健診に行った時に「付き添いは1人しか入れないので、パパはここでお待ちください」と指示されたこともありました。ちょっとしたことなんですが、「お、ママが行く前提?」とモヤっとしました。

そんなこんなで、育児の呼びかけの場面はけっこう「ママ前提」になってることが多くて、パパ的には正直肩身が狭いし寂しい気持ちになるのは事実としてあります。

個人的にはあんまり言葉狩りのトレンドは好かないのですが、もし社会文化を変えるためのアファーマティブアクション的な動作が社会に認められるのであれば、「ママのみコール」を積極的に解消するように働きかけてくれたらなあと思わないでもありません。

ちなみに、こういう「ママのみコール」に遭遇した時は、江草でなく妻の方が毎回怒ってくれるんですよね。「世の中のパパに失礼すぎる、あり得ない!」って。あまりに怒るもんだから、江草の方がなだめるぐらいなんですけど、当事者すぎて言い出しにくい問題についてこうやって代わりに怒ってくれる人が居るのはすごくありがたいなとしみじみ感じます。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。