社長の決断 「事業撤退」 〜自分が事業撤退してみての感情と感謝〜

全ての物事がうまくいくことはありません。
ビジネスにも人生にも苦境があり、試練があり、挫折があります。

そして、経営者にとって最も苦しい決断の一つは事業の撤退や解雇ではないでしょうか。

私は今日、事業の撤退を決め、関わってくれたメンバーAさん(業務委託)に正式な決定を伝えました。
彼は私の事業のために会社を辞めてくれていましたが、彼にもう業務委託料が支払われることはありません。(幸いにして他の業務委託があって彼は退職以前と同じ生活水準にありました。)

その事業は私が人事コンサルとして自分なりの発信(動画配信)をしたものでした。
今でもその発信の中身には自信があるのですが、サービスの内容がいいことと売れることは違うことがビジネスの難しいところであり、醍醐味ですね。

さて、初めはAさんと打ち合わせをしながら意気揚々としてスタートしたこの事業。ブレストや徐々に企画が明らかになっていく過程はとても楽しいものです。Aさんはマーケティングと、その仕組みを構築する役割でした。
しかし、いざ始めてみると、うまくまとまらない企画、すれ違うコミュニケーション、遅延するシステムの構築、なかなか売上につながらない状態に私は徐々に焦りと苛立ちを覚え始めました。
そういった私の感情はAさんにも向かい、彼も自ら約束した仕事が思い通りに進まず、メンタルや体調にも支障を来たすこともありました。(ちなみに神に誓って、私は暴言を吐いたり、人格を否定したりしたことはありません。ただ、丁寧な表現は心がけたものの、態度に出ていたことは自覚しています。)

事業にかけたお金はトータルで700万円ほどでしょうか。
人によっては、そんな小さな額?と思われるかもしれませんが、ほぼ一人の会社ですから、投じるお金は自分の資産と言ってもいいようなもので、まさに身銭を切っていました。
溶けていくお金、過ぎていく時間、遅々として進まない仕事、全く成果が出ない状況に私は苛まれました。

そこで期限を改めて切って、継続か撤退を決めることとしました。

期限の日までに設定していた目標は全く達成しておらず、売上はゼロでした。
実は目標を下げたのですが、それすら達成せず、正直カスりもしなかったと認識しています。

事業を続けるかどうか、私は本当に悩みました。

投じたお金がもったいないのでは?
続ければ目標を達成できるのか?
自分は本当にこの事業がやりたいのか?
これはやるべき事業なのか?
このやり方があっているのか?
Aさんはこの仕事がなくなって生活できるのか?
諦めるのか?諦めるなんて恥ずかしくないのか?
一体誰の何のせいでこんな状態になってしまったのか、、、?

こんな考えや想いが何度もぐるぐると頭の中を回り続けました。

そして、考え続けた結果、私は事業の撤退を決めました。
理由は、散々考えた挙げ句、やりたいか?(will)できるか?(can)やるべきか?(must)という枠組みで考えました。
特に向き合わされたのは、willです。経営者としての信念が問われるところですね。
本当にこの事業を自社の信念としてやりたいのか?という自問はそう簡単に答えられることではありません。
もちろん残り2つの問いも不確実な要素が含まれますし、3つそれぞれが複雑に絡み合いますので、そう簡単には答えはでません。
できる限りの要素をつみあげ、つなげ、できる限りロジカルに考え、自らの胸に問いかけ、最後は自分の直観と信念に従い決断しました。

決断した後は、どっと疲れが出ました。
今日の仕事が終わると眠気が襲ってきて、日が暮れた頃に少し寝ました。
そして、目覚めてから寝ぼけなまこで考えていました。

すると、こんなことを思ったのです。

学びしかないな、と。

事業を撤退するまでの間に本当にたくさんのことを学べました。
MBAを取得し、人事のコンサルとして社長に寄り添い、多くのことを勉強してきましたが、自らが事業にチャレンジして、撤退したことで今まで他者の経験だったものが全て自らの体感になったのです。
血と肉となったのです。(今までコンサルとして、私は嘘をついたことはありません。自らの信念に従って本心で経営者にアドバイスをしてきました。伝える言葉自体はこれからも同じかもしれませんが、言葉の重みが変わってくるでしょう。)

その後に私は、この経験をさせてくれた、自らの人生、関わった全ての人や事に感謝しました。
自分だけでここに来たわけではありません。
親も兄弟も、社会も、友人も、仕事仲間も、描いた夢も、苦しみも悲しみも喜びも、そして、Aさんもいて、ここに辿り着きました。
だから、この大切な学びを与えてくれた全てに感謝しました。

こういった学びや気づきはどこかで聞いたことがある話でしょう。
情報に溢れた世界の中では稀に聞く話ではありません。
これを読んでいる人にとっても耳タコかもしれません。

しかし、経験というのは、自らするしかありません。
代理経験(疑似体験)という言葉がありますが、文字通り代わりであり、似ているものであり、経験は自らにしかできません。
この心と身体をもってしか得られないのです。

だから、この経験をさせてくれた全てに感謝したいのです。

最後に、挑戦した自分と、そこから学びを勝ち得た自分に最大限の賞賛を送りたいと思います。

そして、チャレンジをし続けます。