見出し画像

2020年読書マラソン『ことり』小川洋子

2020年、本をたくさん読む年にしたいと思ってます。読むの遅いけど。それから、ちゃんとアウトプットも大事にしたいです。
本を読んで感じたこと、考えたこと、忘れないようにnoteで記録していきます。


2020年読書マラソン1冊目
『ことり』小川洋子 朝日文庫

画像1

・読みやすい度:★★★
・考えさせられる度:★★★

人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて……。慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、著者の会心作。≪解説・小野正嗣≫


・小鳥の小父さん:主人公。お兄さんの言葉を唯一理解できた。
・お兄さん:小父さんの兄。11歳のころから、突然人間のものではない言葉を話すようになった。
・青空商店:近所にある、日用品などを売っているお店。小さいころはお兄さんと毎週訪れてポーポーを買っていたお店であり、大人になってからは湿布を買いに頻繁に訪れていた。
・ポーポー:青空商店で売っている、小鳥の包み紙に包まれた棒付きキャンディー。広口ガラス瓶に入って売られている。
・ポーポー語:お兄さんの話す、鳥のさえずりのような言葉を指したもの。


・・・

ポイント① ”ことり”と”鳥籠”の関係性

”鳥籠は小鳥を閉じ込めるための籠ではありません。小鳥に相応しい小さな自由を与えるための籠です”

作品に出てくる、鳥籠を製造している会社「ミチル商会」の言葉だ。ことりは鳥籠によって確かに世界を区切られ、外の世界とのあいだに境界を設けられるが、それは必ずしもことりにとって「不自由」や「居心地の悪さ」を意味しない。

こうした関係が、物語の中にはよく出てくる。


青空商店はあらゆる雑多な商品を材料にして作られた小部屋だった。小鳥がぼろ布や針金を集めて嘴でこしらえた巣だった。

青空商店は、小父さんにとっての商店と、店主にとっての商店でイメージが異なるのが興味深い。


「店の中に立つと小父さんはなぜか、安全な場所に守られているかのような気分になった」

「あまりにも長く同じ場所にいるせいで、影が商品棚に吸い取られてしまったかのようだった。」


つまり、小父さんにとっても店主にとっても青空商店は「巣」であり「鳥籠」だ。そこは安全で安心できる場所だが、長くいすぎると徐々に生気を失うような場所でもある。


昨日と同じ一日を過ごすこと、これが小父さんにとって最も大事な留意点だった。(中略)こうしたことこそがお兄さんを安心させると、小父さんはよく分かっていた。
彼らは二人だけの巣を守って暮らした。


小父さんとお兄さん、二人にとってのもうひとつの「鳥籠」は、家だった。特に、些細な変化でも苦手とするお兄さんのため、小父さんは毎日同じ時間に同じ行動をとることを心掛けていた。そうして守られた鳥籠の中は、安心に値するが、一方で彼らの世界を極端に狭めていった。

こうした世界の狭さが、お兄さんを亡くした後の小父さんに影響を与えていることは確かだ。


「青空商店」と「店主」
「図書館」と「司書」
「仕事部屋」と「父親」
「広口ガラス瓶」と「ポーポー」

誰もが、たとえ自由なように見えたとしても、あるいは誰かに自由という「救済」を与えるかのように見えたとしても、何かしらの「鳥籠」の中で生きている。そしてそれはおそらく、私たち自身にも言えることだ。

居心地が良くて、守られていて、だけど閉鎖した空間、あるいはコミュニティで多くの人は生きている。


ポイント② お兄さんやことりと小父さんをつなぐ”言葉”

お兄さんの話す、ことりのさえずりのようなポーポー語を唯一理解できた小父さん。その関係性は、彼とお兄さんの関係性をより深く、閉鎖的なものにした。

お兄さんを亡くした後、小父さんは、それまで聞いて理解するだけだったポーポー語を自分でも話すようになる。そしてそれは、ことりにも確かに伝わるのだった。

兄弟の鼓膜には、二人だけに通じる、生まれる前からの約束が取り交わされていた
お兄さんの言葉が分かったのと同じように、小父さんにはメジロの言っている意味が分かった
もちろんメジロもこのポーポー語を理解した


言葉がわかるという事実が、お兄さんを、そして小父さんを鳥籠の中で1人にしなかった。
だからこそ、彼らはことり達の歌声や、ラジオの音に耳を澄ませた。ただじっと、動かずに言葉が聞こえてくるのを、彼らはさまざまな場面で待った。それがおそらく祈りにも似た姿であっただろうことは、次のポイントから推測できる。


ポイント③ ことりにまつわる「神聖さ」

小父さんは、ことりを、そしてその言葉を話すお兄さんを神格化して見ていたような節がある。

たとえば、夜の日課であるラジオを聴くお兄さんの姿。

お兄さんのすべてが耳になったかのように見える。その耳は音の前でひざまずいている。


たとえば、ひどい台風の夜のことりの様子。

小鳥についてよく知らない人は怖がっているのだろうと勘違いするが、本当はそうではない。小さな場所で、忍耐強くひたすらじっとしている者だけに届けられる合図を、受け取っている。その啓示の重さに、ただ心を震わせているだけなのだ。


そしてお兄さんの死後、小父さんが鳥の本ばかりを借りに行った図書館での、司書の姿。

彼女は本をとても優しく扱った。ただ単に職業柄というだけでは済まされない、慈しみのようなものがあった。疲れ果てた渡り鳥たちが何かしらささやかな慰めを得たようで、小父さんはうれしく思った。


やがて小父さんは、怪我をして落ちていた一羽のメジロを拾う。それは小父さんにとって、これまで聖なるものとして見ていたことりを自分の手で掬い上げた、初めての経験だった。


かつてこれほどまで慎重に、震える心で、何かに触れたことは一度もなかった


聖なるものとの生活は、お兄さんを亡くした小父さんの世界に新たな息吹を吹き込んだ。そして小父さんはそれまで日がな自分を苦しめていた頭痛も忘れ、安らかに日々を生きる。それはまさに「巣」での生活で、安心できるものでありながら、徐々に小父さんを死に向かわせていく。そうして迎えたのが、物語の最後での、そして冒頭での「小父さんの死」だ。だがそれは彼にとって、決して苦しいものではなかった。


もがき苦しんだ様子はなく、むしろ心から安堵してゆっくり休んでいるように見えた。


それはおそらく、小父さんが天使かのように見ていたことりが彼を死後の世界へ導いてくれたから。あるいは、そうした「聖なるもの」たちが集う場所へと彼が旅立っていったからなのだろう。何も特別なことなどなかったかのように、まるで渡り鳥たちが元の場所へ帰っていくかのように、小父さんは亡くなった。


・・・

ラストシーンで小父さんが苦しむことなく亡くなったからなのか、読後の気持ちは落ち着いていて、あまり悲しい気持ちにもならなかった。たださまざまな登場人物たちのように、自分の世界の境界にあるであろう「鳥籠」を思った。鳥籠の中で安らぎを得る一方、そこで生きる(≒死へ向かう)私たち一人ひとりの生涯の、尊さと切なさ。そんなものを、この本を読んで感じた。

小川洋子さんの著作は『博士の愛した数式』しか読んだことがなかったけれど、他の作品も読んでみたくなった。ちなみに、この作品が2019年の東北大の入試に使われたとのことなので、時間があったら入試問題も解いてみようと思う。作品のチョイスがいいなあ。


2020年読書マラソン、2冊目にバトンタッチします。


#2020年読書マラソン #読書感想文 #読書記録
#小川洋子 #朝日文庫

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします。頂いたサポートでエッセイや歌集を読み、もっと腕を磨いていきます!