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(22) 結婚しーの、1年過ぎーの、涙しーの、トツギーノ

ハワイで結婚式を挙げてから既に1年位経った頃、グリーンカードの手続き、面接も無事に終えて、遂にマトさんのもとへ飛び立つ日がやって来た。


この頃って結婚してたけど、まだ付き合いたての熱々バカップルみたいな感じだったのではないかと思う。緊張してた司会者のその声が更に揺れちゃう程の恥ずかしい手紙を読まれたりしたのに、ドン引きしても良いところだったのに、なぜでしょうか、それでもマトさんのもとへ旅立つ日が待ち遠しかった。


今回は誰も一緒に来てくれない1人での渡米。
そして帰って来る予定もない。(←失敗しなければ)
自分で持って行けるスーツケース2個に入る物だけ。入らないけど持っていきたい物は郵便局から船便で送った。
ハッキーさん元へ旅立つ前のYちゃんを思い出すこの作業。英語も自信ないし、箱を持って横須賀まで行くのが大変だから、私は横須賀の基地からではなく地元北品川郵便局から送った。近所なのに1人じゃ持てないから、父が一緒に行ってくれたと思う。


うちの父はいつも荷物を持ってくれる。今じゃ私の方が力強いくらいだと思うのに、里帰り度に私の重い荷物、中でも一番重いスーツケースは誰よりも先に手にとって運んでしまう。


『お父さん、自分で持てるから大丈夫だよ』



って言っても


『いいから、いいから』


っと言って、絶対に持たせてくれない。どちらが先に重たい荷物を運ぶかという、ちょっと椅子取りゲームにも似たそのやり取りは、もはや恒例行事的になっている。どこかに出掛けてもお金も払わせてくれない。


"何かをして貰うよりも、してあげられる方が良い"


いつもそう言う。
若い時は両親に甘えていた私も、今ではどうやってお父さんより先手を打つか、みたいな事を考える。それでも甘えちゃう事も多い、40代でもまだ甘えております、私。


お父さんの足は決して長くないのに、どうしてか歩くのが早い。背もそんなに高くない。春美さんのがちょっと高い位。2人が出会った頃、お父さんの自己申告によれば身長は、


"春美さんと同じくらい cm"


という自己申告だったと、昔聞いたことがあった。
"身長16#%^$ cm"と言って誤魔化す所が掴みだった、あのナインティナインのデビュー当時の漫才を思い出す。



春美さんは164、5cmあったけど、
娘から見ると "お父さんのがちょっと低い cm" の身体で重い荷物を一緒に運んでくれたお父さんには早歩き&汗かきがいつもセットで付いてくる。いつもこういう感じ。おばあちゃん(父方の祖母は)こう言っていた。



"辰雄(お父さん)は武田鉄矢とか西田敏行と似てるよねぇ"



似てるのは顔じゃなくて体型です。
おばちゃんが生きていた頃はこんな例え方だったけど、今では出川哲朗を見るたびにお父さんと姿が被って仕方がない。
多分これで何となくお父さんの想像は付くかと思います(笑)



荷物も送り出して、他には送り出すのは自分だけ。
旅立つ前の日、私は例の


"お父さん、お母さん、長い間お世話になりました"



を、言ったか言わなかったか覚えてない。。。
結構大事な事なはずだけど、覚えてない。
多分言ったような気がする。


そのことよりも、記憶に残っているのは旅立ったその日。
父は駅まで、そして駅前留学のかおちゃんが空港まで見送ってくれた。

春美さんは"雀荘"が忙しいから、家でお別れ。
泣かないように、泣かないように、頑張った気がする。
志乃お姉さんと一緒に見送ってくれた。
志乃お姉さんは母の姉、母とお姉さんはいつも一緒。私にとってはおばさんなんだけど、昔から"お姉さん"と呼んでいます。小さい頃、志乃"お姉さん"って言うと¥100貰えたの。だから80歳越えた今でもお姉さん(笑)


多分母1人だったら、私もっと泣いてたと思う。
何を言ったかも覚えてない。私が泣いたらお母さんも泣いちゃうんじゃないかと思って泣かないように頑張った、その事以外は覚えてない。

家の前に着いたタクシー乗り込んで、小さく見えなくなっていく母の姿、横には志乃お姉さんがいてくれたから、お母さんが1人じゃなくて(私の気持ちが)救われた、そんな感じだった。
お母さんと離れる事はこんなにも寂しいものかなって、あの日そう思った。


重たいスーツケースを2つと、お父さんとかおちゃんと私。品川駅でタクシー降りて、成田エクスプレスのホームに向かう。もちろん、お父さんはいつも通り一番重たい荷物を持って早足で歩いていた。


ホームで電車を待つ間、お父さんはこう言いました。



『マット君の事信じて、着いて行けば大丈夫だよ』



きっと、お父さんがそう言うならそうなんだと思う。この時点ではそうするしかないもんね。


お母さんは"ダメなら戻って来ればいい"そう言ってくれたけど、お父さんがくれた言葉は、


"信じて着いて行け"


だった。


何言われても涙が出そうだった。でも泣いたらお父さんがかわいそうだと思った。多分涙は出てた思うけど、泣かないように我慢していたら、もう成田エクスプレス来ちゃったよ。。乗るしかない。
座席から見えるホーム、窓越しの笑顔のお父さんが、ゆっくり走り出す電車と共に段々小さく見えなくなって、お父さんともここからは別の道。寂しくて戻りたい気持もあったけど、ここからはマトさん信じて行くしかないんだよね、私が自分で選んだ道だから。



旅行好きなかおちゃんが、空港までは一緒に来てくれた。かおちゃんは空港の”これから旅立つワクワク感”みたいな物が好きらしい。私もその気持ち分かる。外国への入り口の空港ってなんか気持ちが高まる場所だと思う。


でもこの時の空港は違った。
お母さんと別れ、お父さんとも別れて、今度は大好きなかおちゃんともお別れです。


いつも私の方がお姉さんに見られてた。
かおちゃんって柔らかい、おっとりとした人だから、私が怒ってケンカしようと思っても響いてなくて、ケンカにならない感じ。かおちゃんなりに"お姉さん"だから我慢してくれていたのかもしてないよね。妹がキーキーうるさかったから(笑)


成田空港の第1ターミナル。荷物チェックインして、その後お茶とかしたかな? それも覚えてない。覚えてるのは、お互いにちょっと泣いた事、そしてハグをしたこと。本当にさみしかった。私なりに結構頼りにしてきたお姉ちゃん。毎日会えないなんて、つまらない。かおちゃんが飲み会の帰りにコンビニで買ったカップラーメンぶら下げて帰ってくる姿、見るの好きだったよ。毎日隣で寝て、いろんなこと一緒にしてきたのに、これからは別の道。
泣きながらパスポートを手に手荷物検査を通って、ゲートへと向かうエスカレーターに乗り込もうとしたらガラス越しにかおちゃんが立っていた。お互いにまだ涙目。別れがたかった。



でも涙目のかおちゃんが一生懸命何か言ってる。



『#%^*[>/=×@*([>*$#!』


分厚いガラス越し、音が全く聞こえない。
かおちゃんの口が動いてて、とにかく一生懸命何かを伝えようとしている。
私はもう携帯も解約して持ってないから、メールも使えない。でもその必死さに、何か凄く重要な事なんだろうと思って、こちらも口の動きで読み取ろうと必死。


『ふ。。。い。。。』



ワカラナイ、日本語だけど、読み取れない。
その後、何度も何度も繰り返した。
あきらめかけたその時、かおちゃんがハッとして私の後ろあたりを指差した。必死に指差している。指さしている方向に振り返る私。



その先には






『ふ•る•た•ち•い•ち•ろ•う』



そう、古舘伊知郎が歩いてた(笑)
なんっちゅータイミング!



涙の別れをした直後、かおちゃんは芸能人を発見していた。
私にどうしても伝えたかったらしい。
颯爽と歩く古舘伊知郎を私が目にして、ようやく伝わっった、そして何を言ってるのか理解できた安堵感。


古舘伊知郎のお陰で、かおちゃんとも笑って別の道行くことが出来ました。行先も飛行機も一緒だったようで、ハワイのイミグレーションでちょっと引っかかって大変そうだった姿も見かけて、かおちゃんに伝えなくちゃ、そう思って出口へ進み、お正月の芸能人が取材を受けるあの出口から、私はマトさんとの新しい道を始める事となりました。


結婚式しーの、1年たちーの、涙しーの、古舘みーの、トツギーノ。


いよいよアメリカ生活が始まります。
どんな日々になるのか、ワクワクです。
マトさんを信じて着いて来た道、どうなったでしょうか?


次回へ続く。



《今日のヒトサラ》

•冷製蒸し鶏 コールドジンジャーチキン

冷たくした蒸し鶏に、ハワイで覚えたこのジンジャーソースをたっぷりかけた1品。

前回の里帰りで作った1品ですが、帰る度に、私と家族を温かく迎えてくれる親戚は私の心の支え的な存在。みんながそこにいる、帰る場所があると思うから頑張れます。みんなと囲む食卓は、子供の頃に戻ったようで安心する。早くみんなと美味しいごはんが食べたいな。



エッセイに登場する”出演者”である家族に”出演料”として温泉旅行をプレゼントするのが目標です。イッテQ!の温泉同好会の様な宴会をすべく、各自芸を磨いて待機中との事ですので、サポートしていただければ幸いです。スキ、シェアだけでもすごくうれしいです。よろしくお願いしますm(‐‐)m