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人類最後の構築主義: 「壁」を不安をもって迎えるために

社会的隔離政策 (social distancing) は権力による政策ではなく、もはや市民単位で始まっている。五人組、いや七十億人組かのような相互監視体制。アクティビズム、市民のイニシアチブとしての政策、連帯。民主主義。

隣人が「あれ」を持っているかは不確かである。持っているかもしれない、という不安は不確かさからくる。

隣人とのあいだに壁を設ける。私は、団地のアパートメントの部屋と部屋とを別ける薄い(アスベストの)壁のことを言っているのではない。私は社会的な「壁」、つまり不確かさによる不安によってもたらされる「壁」について語っているのであって、物理的な壁にはまったくといってよいほど興味ない。いや、物理的な壁には興味はあるが、それはただ単に不安による「壁」の結果であって、それ以外のなにものでもない。

壁を設けて隣人と自分とを隔てたら、もう問題ない、と思ったら、大間違いだ。壁を設ければ、焦る。壁を設けた、ということは、隣人が「あれ」を持っている、ということが確かになった、ということである。少なくとも、確かであることを決めつけた。隣人は「あれ」を持っている、ので、あとは隣人と究極的に隔離するしかない。目標は、もっとも "良い"「壁」を隣人とのあいだに設けることだ。それは物理的な壁、つまり厚くて高い壁、かもしれないし、空間的な壁(6フィート以上の距離)かもしれない。

壁は増殖する。壁は徐々に厚くなって、壁は徐々に高くなる。壁は自分の四方を囲み、牢屋と化す。壁を増殖しないと不安になる、と焦る。不安にならないために、焦る。でも、私たちは焦らないために、不安になる、ことはあまりしないのではないか。焦らないために不安になる、とはどういうことだろうか。

「不安」という語は名詞または形容動詞形で「気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。」を意味する(注1)。また、「不安」は「安」に否定・打ち消しの接頭辞である「不」がついたものである。「安」という漢字には、こんな意味があるという。「①やすらかである。落ち着いている。心配がない。「安住」「安泰」「安堵(アンド)」 [対]危 ②値段がやすい。「安価」 ③たやすい。簡単である。「安易」「安直」 ④たのしむ。甘んじる。「安逸」 ⑤おく。すえる。「安置」」。これらの定義を、単に、何も考えずに、否定してみると、こうなる。「①やすらかでない。落ち着いていない。心配がある。[類]危 ②値段がたかい。「高価」 ③たやすくない。簡単でない。 ④たのしまない。甘んじない。 ⑤おかない。すえない」(注2)。この否定された定義(のとくに①)は、さきのもとの定義、つまり「気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。」としての「不安」と一致する。

英語で「不安」とほぼ同義の「anxiety」、もしくは形容(動)詞形「不安な」を意味する「anxious」、は古典ラテン語「anxius」(困惑している、かき乱された、気難しい、不安や苦悩を含む、苦悩や苦痛を生む、注意深い、骨が折れるような、慎重な、の意)から派生した語である。そして、「anxius」は「angere」と形容詞をつくる接尾辞「-ius」とが組み合わさってできた語だ。「angere」は、息苦しい、窒息する、と言う意味がある(注3)。

「angere」は英語の「anger」(怒り)に綴りが似ているが、語源に類似性はみられないという(注4)。

息苦しい、窒息しているときは、もはや怒ることもままならない。とにかく落ち着かなくて、心がかき乱されているので、その場で動くしかない。不安になること、不安であることを続けることはたやすくない。一方、怒ることは簡単である。私は怒ることが苦手だし、怒ることもないので、簡単であることには共感をまったく覚えないのだが、怒ることで事を済ませようとする人がいる、そのような人にとって怒ることは簡単である。「anger」と「angor」の一文字違い。eの壁とoの丸さ。

不安にならないために、壁を設ける、増殖する、ことの背景には、壁は安定している、という信念がある。この信念も、あの壁のように揺らがない。安定した職業。安定した暮らし。結局、誰もがそんなことを憧れる。

壁の問題は権力の問題と関係している。だれが壁を設けるのか、そしてだれが壁をつくればだれも文句を言わないのか。アメリカとメキシコとのあいだの壁はアメリカの大統領が建てた。課題の締め切りは先生が決めた。まず、権力は壁が安定しているという信念を人々に植えこむ必要がある。

“I would build a great wall, and nobody builds walls better than me, believe me, and I'll build them very inexpensively.”(注5)。

「お前たち、明日までに宿題やってこないと、居残りさせるぞ!先生の時代なんて、宿題やってこなかったら、竹刀で頭叩かれたんだから、お前らはまだいいほうだぞ。」

すると、大統領や先生といった権力は我々を焦らせる。権力とは人々を焦らせる主体なのである。

しかし、どんな壁も不安定である。物理的な壁は、不安定な壁の例として考えるには最適である。アメリカとメキシコとのあいだにある壁。それを考えると、壁は設けないほうがよいと思うし、設けたとしても、結局、越えられる。なんだか壁は乗り越えられるためにある、かのようにも思えるときがある。壁が乗り越えられるのであれば、壁は無意味である。意味を失った壁がただ屹立する。ベルリンの壁も「無意味」だった。実際、あの壁は東側から青年たちが必死になって—実際死んだ人もいたが—乗り越えていた。

壁がつくられ、それをだれかが乗り越えるということは、切断からの再接続という千葉雅也の概念に対応する。このとき、壁を乗り越えるというだれかの行為が壁を無意味なものにするので、千葉のいう「非意味的切断」は再接続のときにはじめて「非意味化」される。

壁が壁自身の増殖を過剰にする。不安が壁の設立を促し、それが焦りを生む。焦りが壁を増殖させる運動を活発化させ、その焦りは伝染をとめることはない。真の社会的隔離政策、anti-social distancing—これには二つの意味がある、ひとつは反-社会的隔離政策(anti-“social distancing”)として、もうひとつは反社会的-隔離政策(”anti-social” distancing)/反権力からの隔離政策として—は焦りの感染をとめるものでなくてはならない。
    焦らないように、不安になる。
それは息苦しく、窒息しないような環境で、壁に染み付いてる信念を不安定にさせる(destabilize)ことである。これは反社会的、反権力的ではない。これは不社会的、不権力的である。権力から指示されるものでもなければ、完璧な市民のアクティビズムでもない。これは社会全体を、権力を不安定化させ、それらを非意味にする。不安定な連帯、民主主義。


注1:http://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%B8%8D%E5%AE%89/#jn-189739.
注2:日本漢字能力検定協会 漢字ペディアより、 http://dictionary.goo.ne.jp/word/kanji/%E5%AE%89/.
注3:Oxford English Dictionary (OED) より、”classical Latin anxius worried, disturbed, uneasy, involving anxiety or distress, causing anguish or distress, careful, painstaking, cautious ( < angere to choke, strangle (see angor n.) + -ius , suffix forming adjectives) + -ous suffix.” http://www.oed.com/view/Entry/8970#eid1189744.
注4:OEDより、”In early use this word is sometimes difficult to distinguish from angor n. Although it occasionally translates classical Latin angor angor n. (e.g. in quot. c1520 at sense 1), the subsequent semantic development of the word shows no evidence of influence from the Latin noun.” http://www.oed.com/view/Entry/7498?rskey=P9ltKx&result=1&isAdvanced=false#eid.
注5:Donald Trump, 2016 Presidential Announcement Speech.

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