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菟田野と阿騎野

 奈良の宇陀市にある菟田野。吉野から伊勢に向かう経路の一つである。「ウダ」と「ウタ」は同じ語源と考えていいだろう。今回は(2016年6月)菟田野にある入谷(にゅうだに)が主な目的地。「にゅう」は「丹生」に通じる。実際,ここには「丹生神社」がある。「丹生」といえば,吉野に丹生川上神社がある。上社,中社,下社の3つがあり,水神を祀っている。菟田野にも水神を祀る宇太水分神社がある。

 近鉄榛原駅前から自転車を持ってバスに乗る。目的地までは上り坂になるので,こういう場合はバスを利用するのが原則。
 「松井西」でバスを降りたら,ちょうど目の前に喫茶店。地図(goo)には載っていない。「歌楽」とあるので,そうかなーと思ったが,行って見たらカラオケ喫茶だった。菟田野(うたの)とかけて「うた路」というネーミングか。他に客はおらず,ひとりだけ。アイスコーヒーを飲む。

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 国道166号線(バスの道)を600mほど進んで,新松井橋の手前を県道31号線へ。この先の山のあたりが「入谷(にゅうだに)」
「入谷金兵衛の墓」という道しるべ。えっ,これは寄ってみなければ,と地図を見ると,こっちの道が目的地への道らしい。気がつかなければ行き過ぎていたところだ。

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 山あいの道を上っていくと(それほどの坂ではなかった)入谷の集落。やはり「入谷金兵衛の墓」道しるべがある。

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しばらくいくとまた道しるべ。そこに自転車をとめて登る。
木立の間をのぼっていくと墓地があり,その先に,金兵衛さんの墓。由緒書きがあり,それによると,南北朝の時に南朝の忠臣であった金兵衛さんが,嶽山(だけざん)の中腹のオウバイという所でのろしを上げて吉野側(南朝)に敵の動向を知らせたという。「入谷」には「にゅうだに」とふりがながしてあった。

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 先ほどの民家の前の道しるべがあったところへ戻り,さらに奥へ進む。地図によると「丹生神社」があるはず。つきあたりは民家でそのちょっと手前の小道の先を見てみると神社らしきもの。行ってみると,あった。
 金兵衛さんの墓があるなら,入谷の集落に「入谷」という家があるかと思ったがわからなかった。聞いて回るほどの学術研究でもない。

 来た道を戻る。バスを降りた松井西からさらに榛原駅方面へ戻ると,宇太水分神社。由緒書きによると,延喜式の宇陀郡17座の第一の大社で,本殿は3つ。いずれも国宝。祭神は,天水分神,速秋津彦の命,国水分神。境内には春日神社,宗像神社もある。崇神天皇七年二月の勅祭。水の配分の守護神として,大和の東西南北に祀られた東に当たる神社だという。本殿は鎌倉時代のもの。十月の例大祭には,惣社水分神社から姫神がお渡りになるという。

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 本殿の前に湧水があった。「宇太水分神社湧水」と書いてある。コップも置いてある。ペットボトルに汲んだ。

 ここから,もう一つの目的地,西の大宇陀へ向かう。3kmほど。
宇陀市松山重要伝統的建造物群保存地区。酒蔵がいくつか並ぶ。
JTBMOOKに載っていた店「件」で夕食をとることにした。まだ5時だが,わがやの標準が5時なのでちょうどよい。

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 大和牛丼定食900円。牛肉はとろとろに煮てある。豆腐は自家製で,醤油をかけずにまず食べてみてくださいというので,そのまま食べる。どれもおいしかった。食後に頼んだ珈琲がまた専門店にもひけをとらないおいしさ。ほかに客はおらず(店内もテーブル席2つのこじんまりした店)「どちらから?」と聞かれて,いろいろとおしゃべり。珈琲には何かこだわりがありますか,と聞いてみたら,一度で4杯分をいれるのだという。それが一番おいしいと。他に客はいなかったから私一人のために4杯分をいれたことになる。恐縮していたら,おかわりをどうぞ,と言われた。

 6月なので5時を過ぎてもまだ明るい。町並みを走る。いかにも古い家が建ち並ぶ。「日本の町100選 小さな町 小さな旅 関西周辺」(山と渓谷社)に銘菓として紹介されている「きみごろも」の松月堂。残念ながらもう閉まっていた。

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 宿に向かう途中,「件」で教えてもらった阿紀神社に寄る。話では,元伊勢第1号だそうだ。由緒書きにも,崇神天皇六十年に,倭姫が天照大神を遷座させる途中四年間滞在したとある。なお,「阿紀」は「阿騎」に通じる。このあたりが,人麻呂の歌に詠まれた「阿騎野」だ。

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阿紀神社のすぐ近くに「高天原」があった。阿紀神社はもともとこっちにあったらしい。

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ちょっと上ってみる。ほんの2,30mだ。鬱蒼とした茂みの中に,「高天原」の札があった。

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 今日の宿は椿寿荘。どの地図にも載っている。大宇陀の町から1kmほど西のところである。

 翌朝,目が覚めたら外が明るかったがまだ日の出前(山からのぼるので)。せっかくだから「かぎろひの丘」へ。宿からほどないところにある「万葉公園」だ。説明板によると,持統6年初冬,軽皇子(後の文武天皇)が亡き父の草壁皇子を追慕し,この阿騎野で狩をしたときに,柿本人麻呂がこの場所で歌を詠んだという。有名な「ひむがしの野に かぎろひの立つみえて かへりみすれば 月かたぶきぬ」である。

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 また,すぐ近くの「阿騎野・人麻呂公園」にも行ってみた。平成7年の発掘で,弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時代にわたる遺構が発見された中ノ庄遺跡を公園としたものだという。公園の中央にあるのが,東を向く人麻呂像。(タイトル写真)

 宿に戻り,朝食をすませて出発。吉野方面に下り,芋峠を越えて奥明日香に行く。その話はまた次回。