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田園交響楽(4)

 音楽的才能がないのに指揮者を務めるというのは結構つらいものがあり,できればやりたくない。それでも,頼まれればやるのは,指揮者の楽しみがあるからだ。それは,オーケストラが自分の楽器となることである。うまくいけば,の話だが。

 指揮者として練習を率いるのは,彫刻に似ているかもしれない。あらけずりのものに細かく手を入れて美しいものに仕上げていく。練習指揮では,自分の望むデザインにはできないが,それでも濁った音が澄んできたり,合わなかったリズムが合ってくると楽しくなる。

 ベートーベンの「田園」第2楽章は「小川のほとりの情景」という副題がついている。ベートーベンが散歩したの小川は,街の中を流れる小さな水路のようなものだったらしい。

 しかし,曲のイメージとしては田舎の野に流れる小川だろう。決して急峻な流れではない。淀んだ水でもない。魚が泳ぎ,鳥が飛び交う清澄な流れだ。森からはカッコウの声も聞こえてくる。

 第2楽章を指揮するには,まずこの淀みのない流れを表現することから始まる。フォルテがあっても「強い」というより気分が盛り上がるという感じだ。水の流れを感じさせる細かい音符の上に,各楽器がメロディーを奏でていく。指揮者は,それぞれのパートに合図を出して「どうぞ歌ってください」と促しながら進んでいく。
 ということは,練習ではそれができるようにしなければならない。音程が合って清らかな響きが出ること,それぞれのパートがバランスよく聞こえること。クレッシェンドやデクレシェンドがほどよく流れを作っていくこと。
 これがアマチュアの場合は結構難しいのだ。同じパートを複数名で演奏する弦楽器はリズム・音程をしっかり合わせる。場合によっては,使う弓の量や,弾く箇所を相談して,いい音が出るように工夫していく。このときは,コンサートマスターが頼りだ。要求を伝えて,弾き方を示してもらい,楽員にそれを伝える。
 管楽器の場合は,場合によってはスタッカートの有無なども指示する。「フルート吹きとして」でも題材としてあげた次の箇所では,お互いに聴きあいながら全体が1つのメロディラインになるように意識してもらう。

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 こういうところは,奏者にとっても合奏の楽しみのあるところだ。

 第3楽章から第5楽章までは,楽章の切れ目がなく続く。
第3楽章では,ずれないようにきちんとリズムを取ることが大切なことと,強弱バランスをうまくとること。これができれば,表現上での工夫はそれほどない楽章である。とはいえ,村人が楽しく踊っている様子は表現したい。

 続いて第4楽章に入る。嵐だ。不安をかかえた静寂なピアノと雷と風雨のフォルテシモ。これを明確に振り分ける。落雷はそれなりのアクションで表現する。全5楽章の中でもっともアクションを大きくする楽章である。

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 ピッコロが第4楽章だけにある。高音のソ・フラットからソへの動きが,空を切り裂く閃光だ。

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 ピッコロにアインザッツを出し,ピカーッと光ったときはうれしくなる。光らないときは,練習を止めて,「そこは思いっきり鳴らして」と要求することになる。
 この楽章にはティムパニがあり,ここからトロンボーンも入る。これらのパートが出るタイミングにアインザッツを出すことも忘れないようにしたい。
やがて雷鳴は遠のき,雲間から太陽の光が差し込む。「フルート吹きとして」でも言及したところだ。

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 最後の シ ・ ド で5楽章に入るときはほんの少しルバート(ゆっくり)するのだが,それは奏者に任せる。しかし,なにもしないならば,「そこは少しルバートしても構いません。クラリネットにうまく引き継いでください」と指示することになる。

 第5楽章でやることはいままでとほぼ同じだ。音程を合わせること,各楽器のバランスをとること。それができてくれば,あとは全体の流れを淀みなくすすめることに気を配るだけでよい。もっとも,これが結構むずかしいのだが。なぜなら,パート間のバランス,縦の線(音の出や切り方のこと)がどうしても微妙にずれるからだ。そこをどこまで精密に合わせるか。残念ながら,私の実力ではそれを完璧に聞き分けて修正することができないのだが。

ここまでの記事

田園交響楽(1) クラリネット吹きとして
田園交響楽(2) フルート吹きとして
田園交響楽(3) 指揮者として