はじめまして。

一歳の娘がいるパパです。
パパの傍ら、パーソナルジムを2店舗ほど
経営してみたりしています。
私のnoteでは、
役に立つような事を書けるかどうかは
わかりません。
もっと素晴らしい先人の方々が沢山いる中で、
自分のこれまでの人生を文章に起こし、
何かを自身で気付き直すきっかけがあれば
それでいいと思っています。
もし、その中で誰かのお役に立つ事があれば幸いです。

さて、皆さんには人生において「タイトル」は
ありますか?
私は、人生は映画のようなものだと思っています。
自身が死ぬ時に、なんというタイトルを
つけられるのか。つけたいのか。
ここが私が思う「人生の志」であり、
そこに沿った生き方をしたいと常々思っています。
ちなみに私の人生のタイトルは、
「人生一度きり、やろうぜ。」です。
なんとも青臭く、ありきたりではありますが、
結局のところ27年間生きてみて
現在辿り着いたのはこれに尽きます。
よく聞くような言葉ですが、
本当にその意味を考え、理解する人は
少ないのではないでしょうか?
よくニュースで芸能人の方の訃報を目にしますが、
その時に皆さんはどういった感情でしょうか?
好きな芸能人の方であれば、ショックでしょう。
名前を見ても、存じ上げない方も中にはいるでしょう。
私は訃報を見るたびに、
死ぬのは自分の番かもしれない。と
強く思います。
別に希死念慮があるわけではないですし、
病んでいるわけでもありません。
ただ、そう思うのです。
ながいように感じる人生は、
いつ死ぬかわかりません。
何故かおじいちゃんやおばあちゃんまで
生きられることが当たり前のように
思っている人が多いのです。
違います。人は簡単に死にます。
病気、事故、何が起こるかわからないのが
人生というものでしょう。
訃報を見ると、と書きましたが、
厳密には朝起きた時と寝る時に
「今日死ぬかもしれない」
「明日死ぬかもしれない」
と思っているのが正しい私の日常です。
そう本気で思えば、怠惰に漠然と人生を
垂れ流している暇はないのです。
24歳で結婚し、25歳で独立しましたが、
世間様から見れば早いのだろうと思います。
ただ、私が本気で熱意を燃やし続け、
バイタリティー溢れる期間というものは
あと何年続くのでしょうか?
50歳になった時も同じ気持ちでいられるのでしょうか?
人生において失敗など、
成功への通り道でしかありません。
若いうちに苦労は買ってでもしろという
言葉があるように、
今のうちに必死に生き抜いて自分が生まれた
意味を知りたいのです。
お金で買えるようなものは大したものでは
ないことが多いのです。
お金で買えるものは自分が死んだ時に
自分のものではなくなります。
自分が必死に生き抜いて死んだ後に
残した者に何を残せるのか。
これこそが大事なのではないのだろうかと、
27歳の若造は愚考しています。

ついつい長くなりましたが、
私の人生観はこのような形になっています。
やはり文字に起こすといいですね。
改めて自分が脳で考えていることが引き出されます。
拙い文章ではありますが、
もし見ていただいた方がいるのであれば
ありがとうございました。

これから定期的に生意気な若造が
投稿していきますので、
宜しくお願い致します。

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