見出し画像

【人生】中年は「人生の納め時」??

どうも、悪い猫です。

適当にTwitterをしていたら、いつのまにかモテの仕組みを語るプチアルファとして注目されるようになりました。昔はナンパをして腕を磨いていましたが、最近はすっかり丸くなりました。

巷ではポンデベッキオさんの発信により「45歳独身狂う説」がすっかり定着してしまったのです。

しかし、実は人生の「節目でもなんでもないところ」で「人間が狂いやすくなる話」は、数十年前からされていました。そんな話をしていきたいと思います。追記しません。最後まで無料です。

狂っているのは独身だけ?

今ではライフスパンが変わり、もはや死語ですが「中年危機」という呼ばれて病理扱いされていた概念がありました。

それは孤独でも貧困でもなんでもなく、しっかり家族と職場の立場がありながら、すっかり鬱になってしまう精神状態です。

河合隼雄『中年危機』朝日文庫

心理学で中年を大切に取りあげたのは、スイスの分析心理学者、C・G・ユングである。彼は自分のところに相談に来る人に、中年以後の人が多いと言っている。それに興味深いことに、彼のところに来る約三分の一の人は、一般的な意味で言うと、何の問題もない、むしろ「適応がよすぎることが問題」とでも言いたいほどであった、と言っている。

そのような人は、財産、地位、家族などについては、問題がないどころか、むしろ他と比較すると、はるかに恵まれた状況にあった。しかし、彼らのすべてが「何かが足りない」と感じたり、「不可解な不安」に悩まされたりして、ユングのところを訪れたのである。

河合 隼雄. 中年危機 (Japanese Edition) (p.8). Kindle 版.

しかし、現代の結婚もしない子供も産まない人間からしたら、不可解な話かもしれません。そんな贅沢な悩みがあるだろうか?実は、身近に物語として常に存在しているものなのです。

患者例:ベジータ

例えば、ドラゴンボールの魔人ブウ編にはベジータのこんな姿があります。魔人ブウを復活させて宇宙征服をしようと地球へやって来たバビデイに、わざと自分から洗脳されて悟空と決闘しようとする姿です。

セリフを振り返ってみましょう。

はい、元々、ベジータはサイヤ人の王子として戦闘エリートのキャリアを積んで殺戮の限りを尽くしていました。若きリビドーの赴くままに自分より弱い相手を殺し尽くしていた悪だったのです。

まさに、支配欲、承認欲の塊だったわけですが、それがフリーザー戦の挫折で少し弁えるようになり、セル編での悟空らとの共闘で徐々に仲間の絆に目覚め、自分の強さが中心なイキリ青二才から、徐々に地に足ついた人格になってきます。さらに地球を故郷と思い始めて丸く大人になっていくのです。

セル編の最後には「もう、俺は戦わん」とまで言っています。

『ドラゴンボール』28巻:セル編の最後に自分の限界に気がついたベジータ

まるで、引退宣言を繰り返す宮崎駿先生のネタです。(※ネタです)

妻子にも恵まれ地球での平坦な生活の軌道に乗り始めたのと同時に、若いころのときめきがなくなってしまい迷走状態になるのです。生きている実感が湧かない「本当の自分」が見つからなくなってしまう姿なのです。

そこで、ベジータは「自分が最強のサイヤ人ではない物語」の終わりの始まりだった「悟空」と決着をつけていこうとするわけです。それは「悟空」という相手よりも自分の過去と決着をつけたかったのでしょう。

みんな大好き中年からの「自分探し」

結婚した男が急に自分探しを始める物語はベジータだけではありません。さまざまな物語の悲劇として描かれています。

サトシのお父さんは妻子を放棄してポケモントレーナーとして旅立ってます。

そのうちどこかで会えるかもしれないぜ!じゃねーよ。探しに行けよ。

こちらはワンピースのウソップの父親です。女が男の意味わからん冒険の美学に共感するとか意味が分かりません。今だったら「あんたの親父は死んだのよ」とか言って親権を独占します。息子もチー牛になります。

尾田栄一郎『ワンピース』 

ウソップの母親の覚悟と善良さはおかしいです。

これは、日本の物語だけではない。

ディズニーの映画『リメンバー・ミー』では、ミゲルの親父は妻子を捨ててギタリストになると言って消えていく設定がありました。ミゲルはそれによって母親からは「音楽禁止」(お前も消えかねない)という教育虐待を受けています。

世界中、至る所で男が家族を捨てて冒険に行く話があります。

今の恋愛弱者化して社会には贅沢に見えるかもしれませんが、婚姻や仕事など人生が軌道に乗っている人間でさえ中年危機という狂いに遭遇し、変な冒険に旅だつのですよ。意味不明な離婚をする男もいれば、鬱になり自殺するケースもあります。

キャリアや婚姻などが軌道に乗ってしまった分、軌道から降りられなくなったのが確定してしまったのです。男だけではありません。いつまでも少女でいるべきかを悩むのは女性も同じです。

田中みな実さん、若さのままに自由にきままに、美を究極まで追求した「美容のサイヤ人」に地球の生活は重すぎたのでしょう。

『ドラゴンボール』無許可クソコラ:美貌の破壊力

キャリアと婚姻、それが自分が選んだ軌道だとしても、急に自由を奪われたことにより、自由を求める「内なる野生児」(サイヤ人)が悲鳴をあげてしまっているのです。隣の芝は青いとでも言うかのように。

隙あれば自由でふざけていた人間、職場でも家庭でも立場がはっきりしてしまうと、大人しくペルソナ被りの人間になってしまう。どうも、自分の内心に焦点が当たらないと狂ってしまうということです。

一方、人間としての成長という意味でもスランプに陥る時期になります。確実に「老い」は目の前へと近づいてきている。まだ、自分は成長できるが頑張るのがしんどい、成長し足りていない危機感ともどかしさから感じる哀愁に圧倒されてしまうのでしょう。

孔子の迷走:30歳から50歳は長い鬼門である

かつて、論語ではこんな言葉を孔子はこう述べていました。

三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る

「これは30歳で自立して、40歳で困惑しなくなって、50歳で自分の運命を受け入れる」という人間が成長する言葉です。

しかし、よくよく考えたら恐ろしい話です。30歳から50歳まで人間は常に悩み続け、心境が変化し続け、人生を模索しているという意味になるのですよね。

いい歳した「大人」が??人生を模索?自分探し??!なんだそれは、と言いたい気持ちもありますが、他人事ではありません。「いい加減大人になれよ。」と人々はいいますが、「素直に俺の都合よく動け」以上の社会的な意味はないのです。

その人の人生の意味での「大人になる」とはどういうことか、その人しか分からないのですよね。

逆説的に考えてみましょう。

20そこいらで社会に出るはずの人間だが、30より前は自立していなかった。40より前は自立していても困惑しながら過ごしていた。50よりも前は天命しら知らずに過ごしていた。そして、天命すら知らずに、なんと40は「不惑」だったのだ。おかしな話でしょう。

人間、なんと50歳まで天命も知らずにダラダラと生きているのです。

何歳になっても、人生とはわからないものである。自分の魂の動きも分からないもの。大人になれない自分を恥と思いながら、悩みながら人間は生きていく、悩みすぎると人生は進まない、悩みもほどほどにしながら、淡々と毎日を過ごしていく、人間はそんなもの。

独身、結婚、出産、趣味、キャリアを固めるのはいいが、人生には、納め時などない。なので、あまり気負わなくてもよい。独身じゃなくても人間は「狂う」、「狂い」と上手に付き合って、人生を安全運航しましょう。

というお話でした。

過去ノート:




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?