見出し画像

本当に怖い「生娘シャブ漬け戦略」

つい男女論を語る上海から来た悪い猫です。

今回はですね、巷を騒がせている「生娘シャブ漬け戦略」について話していきたいと思います。時事ネタなので全編無料です。(そのうちマガジン化するかも知れません。)

事件の発端はこんな感じです。早稲田大学のマーケティング講義で吉野家の伊東正明常務が、女性向けのマーケティングスローガンを悪ノリで「生娘シャブ漬け戦略」と名乗って叩かれて解雇されたという話です。

もう、犯罪臭しかしない露悪的な言葉に、女性から苦情が寄せられて拡散されて炎上してキャンセルされたという流れですね。当たり前ですね。女子供には早すぎた言葉ですね。

マーケティングという資本主義、消費主義の悪の本質を、ガキに直面させるべきではなかったというご最もな流れではないでしょうか?

マーケティング上手のシャブ漬け地獄


今亡き、Appleの神様、スティーブ・ジョブスのiphone発表プレゼンを聞いてみましょう。当時、iphoneが世に出た時の感動を覚えている方々も多いと思います。

何年か一度、全てを変えてしまう新しい製品が送り出されます。アップルは何度もこれをやってきました。

全てのデバイスを一つに収め、尚且つインプット手段も変えてしまうというイノベーション。もう、これを所有したら「新世界の王」になりそうな予感ですよね。素晴らしい、これでこそステータスであり、スマートな人間のデバイスであり、田舎っぺには到底手の届かない範囲の人間になるに違いありません。

しかし、ジョブスは自分の子供にスマホを触らせません。トップ企業の幹部はそもそも自分の子供にスマホを与えないのです。それが人間のドーパミンをガンガン刺激して支配してしまうシャブ漬けデバイスだと分かっているからです。でも、それを口に出さない。

https://forbesjapan.com/articles/detail/39067/4/1/1

我々という消費者は自分が世界を掌握した直感を得たと同時にスマホに支配されていることを理解していません。新世界の王どころか奴隷と化しています。現実、我々はこの携帯を持った猿と化しています。この未来とこの現実を頭の良い人間は完全に掌握しているのですよね。

恋愛と贅沢と資本主義とシャブ漬け


この世界には「顕示的消費」というものがあります。周りの人間にいかに自分はすごい人間かを見せつけるための消費です。要するにステータスを見せびらかすための虚栄心のための消費ですね。

そして、広告を出す誰もが常識として理解していることですが、人間は二つのものに最もよく注意を惹かれます。一つは自己成長につながる広告、もう一つは自分の性的魅力の向上につながる広告です。

顕示的消費を軸にしたマーケティングは常に人間に「この消費をすることによって、もっと自分が魅力的に見えていく」ということを吹きかけていきます。それがめちゃめちゃ効くわけですよね。そして、さらにエスカレーションして、性的なコンプレックスを克服できますと宣伝する広告も非常に多いのですよ。

この基本を知っている人間ならば誰でも「生娘」に「シャブ漬け」することの意味を理解しており、そしてその露悪的な表現がどれだけ下品なのかを知っていることでしょう。世界の本質は下品そのものなので、決して口に出してはいけないというだけの話です。

しかし、私は悪い猫なので気にしません。

ラジウムガールを知っていますか?


では、歴史上で本当にあった怖い「消費者シャブ漬け」地獄を紹介していきます。キューリー夫人が放射性物質を発見して、以来、欧米ではラジウムを利用した夜光塗料が大流行しました。それについて映画化されます。

この脚本は、実在したラジウム・ガールズの物語に基づく。ラジウム・ガールズとは、時計メーカーの工場でラジウム夜光塗料を文字盤に塗っていた若い女性労働者のことだ。作業に正確を期するため、彼女たちは口で筆の先を整えるよう指示されていた。そのため、筆を口に含むたびに少量の放射性塗料を摂取したのだった。

光る時計文字盤を支えて女性たち

労働負荷が低い割に給料が高く、口に咥えたラジウムが全身を巡りパーティーで体が光るからと注目の的になった「生娘」たちの悲惨な運命を映画で描いています。

当時のラジウムというのは夜光塗料だけではありません。靴を買うのにも放射線でレントゲンを撮ったり、ラジウム入りの歯磨き粉や化粧品をが作られ、女性の間で人気の商品となりました。

おぞましい放射能が含まれていたものを口に入れたり肌につけたりすることがステータスだったのです。選ばれし者にしか消費できないと吹き込む。それだけで人間は自分が自分以上にステキになったと勘違いします。

現在のハイブランドと言えば納得できるでしょうか。

そして、その工場で働く女性も花形の職業として持て囃されました。これは明かに当時のマーケティングの成功であり、皆が羨望するものを虚構として作り上げた結果です。

https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/the-light-that-does-not-lie-1

当時は、女性たちが扱っていたくらいの少量のラジウムは、健康に良いと信じられていたからだ。ラジウム水は強壮剤として飲まれ、この魔法の物質が入った化粧品やバター、牛乳、歯磨き粉などが売られていた。新聞は、ラジウムで「長生きできる」と報じた。

上記サイト

まさに、よりステータスを上げるための万能薬です。自分のステータスが上がるかもしれないという期待はドーパミンをドバドバ放出させます。この消費にハマった人間はしゃぶ漬けされていると同じなのです。

「生娘シャブ漬け」と一言も言わずに、当時のマーケター達は「生娘」を放射性物質をガンガン摂取する「ぬか漬け」状態にしたわけです。「より美しくより健康になれる」と謳いながら。

ラジウムをつけられる人間は新世界の女王なのでした。男子からもモテモテ、青春を謳歌しようと意識高くキラキラな毎日を送りました。

本当にそうでしょうか?

唯一の被爆国日本国民なら容易に想像できることですが、その結果がこちらですね。美しさはとは程遠い女性としての尊厳を奪われた状態になりました。(閲覧注意)

そう、彼女たちはことどとく放射線被曝で倒れていきました。より美しくより健康によりキラキラなろうとしながら。

歴史とは残酷なものです。理不尽に死んだ人間は、あとで誰かが主役にしても、無念の中で死んだという事実は変わらないのです。「時代の大きな波」に弄ばれた人間であることに変わりはない。その勝利者側ではないのですよ。

歴史の残虐さは、我々がいくらナイーブでも気にしません。悲劇はそれ自体キャンセルされません。事実は事実として残り、解雇はできないのです。それに対して目を瞑りことはできてもですね。「共感力があれば、こんな話はしない」なんて通用しません。

事実に立脚した危険に対して警戒せずに、その結果に責任を負うのは我々生きている人間なのだから。

この波に乗るしかない「波」は「人間」が起こしている。


現代の話に戻りましょうか。

我々は顕示的消費のために、あとどれくらい自分の人生を犠牲にするのでしょうか?この社会は残酷です。能力ある者ない者の差がすぐに開き、美人とそうでない人の待遇の格差もすぐに現れます。そして、社会は情け容赦なく一人一人をジャッジしてくる。それに音を上げている人も多いではないでしょうか?

人生は辛い、社会は残忍。その渇いた心とエゴを満たすため、我々は顕示的消費に手を染め、本来の自分ではない誰かになろうとする。「何者にもなれる気分」を味わってみたいものなのです。

しかし、自然現象と違って消費主義の波というものは人間は起こしていることにも気がつくべきです。天災と人災は別ですから。誰かがそこで得をしているのです。

さらに言えば、こんなものは平和時代の優しい波でしかありません。

キラキラしたものに惹きつけられてその時代だけの政治的正しさに目覚めて革命や戦争に身を投じて人生破滅する若者を考えれば、顕示消費主義を謳歌してナンボやという考えもあるかもしれません。

消費主義も悪いことばかりじゃないんですよ。「適度な無駄は文化」ですからね。キラキラしたもの全部文化の源泉ですよ。

しかし、露悪な表現と同じように、何事も「ほどほどにする」ということが重要でしょう。どう考えても「生娘シャブ漬け戦略」という無駄な表現だって、イキろうとして加減を間違えた自己顕示が過ぎた表現だったのでしょう。他人に顕示させても、自分が飲み込まれないように注意していきたいのものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?