暇瑞希

虚と実の間に暇

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『眩暈 Vertigo』模倣/追悼

恥ずかしながらジョナス・メカスの作品を一度も観たことがなく、吉増剛造の大ファンというわけでもないのに、特設サイトを覗いた時、なぜかこの映画を観たいと思いました。説明書きから、ひとりの人間が旅に出て、ひとりの人間を追悼する映画らしい、ということが分かったからかもしれません。亡くなった人が食べて寝て起きて、の繰り返しを過ごした生活の場に足を踏み入れるとは、とてつもない旅ではないか、と思ったのです。懐かしんだり思い出を語ったり、という温かくて安全な旅にはとどまり得ず、遂にかたち に

    • 「深瀬昌久 1961-1991レトロスペクティブ」 動き/かたち

      深瀬の初期の作品に見て取れるのは、かたちへの偏愛、「または」恋人と過ごす日常への素朴な愛おしさのようなものだった。一方の極に、名前のない人間の臀部や背中を並べた、マン・レイを彷彿とさせる抽象表現がある。もう片方の極には、川上幸代という個人を収めたポートレートがある。その両極が、<屠>の時期くらいから距離を縮めて混じりあいはじめる。日常に潜んでいるというよりはごろんと転がっている不気味さを、ユーモアと一緒に剥き出しにする写真へ変わっていった。そうした方向性を持った深瀬の写真、写

      • 海/身体

        身体の奥が踊るのよ 20世紀モダンダンスの祖、イサドラ・ダンカンの言葉を目にしたとき、こんなことを心から言えたらと思った。交通事故で二人の子を失ってもなお、彼女はソロダンスを創り続けたという。私はといえば、運動会のソーラン節以来、踊ること全般に苦手をおぼえてきた人間なので、「内側から身体を突き動かす力を表出させる」なんて理解も共感もできない。それどころか高校時代の体育で必修だった、創作ダンスの不愉快な思い出が蘇る。直前に慌てて暗記した振付と、鏡に映るちぐはぐな自分のギャップ

        • 終焉/秘伝のタレ

          縁があって、西麻布の料亭で鰻をいただいた。そのかば焼きには142年間継ぎ足し続けられている、秘伝のタレが用いられていた。黒いしゃもじのような、模様が付された壺に入っているアレである。 秘伝のタレが沁みた鰻のかば焼きを食べるとき、人は何も考えない。「秘伝のタレって腐らないのかな」とか「142年前の旨味成分が入っているんだよね」といった意味のないことを口にし、お高めの鰻を半年に一度は食べられるという自らの現状に満足するだけだ。 学生の身分で、こんな美味い鰻を食べることはしばら

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          時間/こがらし

           この記事を読んで振り返れば、私にとっての特別な表現方法は、書くことだと感じる。読書感想文や小論文、SFから詩まで、色々な言葉を書いたり書かされたりしてきた。それらの記憶の中で最も鮮やか、かつ私の中での書くことの意味を決定的に変えてしまった、書道教室での出来事を辿りたい。 半紙という場で、何が起こっていたのか? 小学二年生の私は何事も、はやいことが至上だと考えていた。足は速い方が良い、作文は一番に書き終えて教卓に出しに行くのがカッコいい。手を挙げるのが早い人から、先生が当

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