暇瑞希
暇なとき読んだ本
暇なとき好きになった短歌
暇なとき書いた備忘録
語られる事柄、あるいは語るという行為を特殊化しないようにしたい。語ったあと、聞いたあと、どう生きるかという問いを忘れないために。 李静和『つぶやきの政治思想』
アーティストが時に死を表現するのに対し、デザイナーはどんな時も『生かす』ことから発想する人間です。 三宅一生、日本経済新聞のインタビューに対し
ふるさとの山が夜ごとに刷り出だすガリ版刷りの旧きほしぞら 鈴木加成太『うすがみの銀河』
彼らは、ポストモダニズム運動宣言を書いていたわけではなかった。彼らは、なんらかの構造的な力によって、不可避的に起こってしまったことを、単に記述しているつもりだったのだ。 デヴィッド・グレーバー『価値論』
とある夏、髪の分け目の中に一本の白髪をわたくしはみいだす。なるほど、まさしくこれは脱落した “年月”である。そしてその年月の中に人びとの終わらない死が定着し始めたのだな、とわたくしはおもう。わたくしはその白髪を抜かない。 石牟礼道子『苦海浄土』
オットセイと罵りあへる夢を見し朝ひつそりと目方をはかる 石川美南『砂の降る教室』 夢の感触が残ったまま乗る体重計が冷たい。
こんどこそ、一部始終が見とどけられるだろう。目くらで、唖で、つんぼの子が創った目の穴と、鼻の穴と、口の穴のあいている人形のような、人間群のさまざまが。それらの土偶の鋳型を、わたくしはだまってつくればよい。 石牟礼道子『苦海浄土』
切れの長いまなじりは昼の光線のただなかで茫漠たる不審に向けてみひらき、その頭蓋の底の大脳皮質や小脳顆粒細胞の”荒廃”やあるいは”脱落”や”消失”に耐えている。 石牟礼道子『苦海浄土』
ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた 友達の遺品の眼鏡に付いていた指紋を癖で拭いてしまった 岡野大嗣『サイレンと犀』 あぁ取り返しがつかない。
布団より片手を出して苦しみを表現しておれば母に踏まれつ 花山周子『屋上の人屋上の鳥』
白い息人は吐きいる永遠の青ぞらいっぱいの無色の孔雀 花山周子『風とマルス』
電話したいと思うときには朝の四時うらがえしても朝の四時なり 花山周子『屋上の人屋上の鳥』
この空の青の青さにやってきた屋上の人屋上の鳥 花山周子『屋上の人屋上の鳥』
美術館を巡りめぐって落ちゆけるわが内臓は深海にある 花山周子『屋上の人屋上の鳥』 美大生だった筆者にとって、作品と対峙する時間は静謐で神聖なものであると同時に、小さな絶望が育まれる時間でもある。
目を閉じていつも見ていた風景に傷のごとくに蟻の這いくる 花山周子『屋上の人屋上の鳥』
祖父の内にありしシベリアも燃えてゆく鉄扉の向かう火の音たてて 澤村斉美『Gallery』