海/身体

コロナ渦の街に暮らす学生である凜さんの写真を撮った
かつてはバレエが凜さんの生活の中心だった

身体の奥が踊るのよ

20世紀モダンダンスの祖、イサドラ・ダンカンの言葉を目にしたとき、こんなことを心から言えたらと思った。交通事故で二人の子を失ってもなお、彼女はソロダンスを創り続けたという。私はといえば、運動会のソーラン節以来、踊ること全般に苦手をおぼえてきた人間なので、「内側から身体を突き動かす力を表出させる」なんて理解も共感もできない。それどころか高校時代の体育で必修だった、創作ダンスの不愉快な思い出が蘇る。直前に慌てて暗記した振付と、鏡に映るちぐはぐな自分のギャップが苦痛で苦痛で仕方なかった。

香川の丸亀から終電で、東京駅に向かう。自室の敷布団にやっと潜りこんだのは午前2時前だった。ほんの数時間前まで私は、瀬戸内海の塩飽諸島のうちのひとつ、本島(ほんじま)の急な坂を自転車で駆けていた。戦国時代には塩飽水軍と呼ばれる腕利きの船乗りを輩出したこの島には今、白と黒でできた旧市街がひっそりと残っている。
誰も知らない。
屈んで波打つ黒い岩のひだをなぞり、その冷たさに慌てて手を引っ込めたこと。小さな老婆が、あらぬ方向に向かって何か呟きながら、流木でできた杖をついて通り過ぎたこと。穏やかと聞いていた瀬戸内の、意外に鋭い潮風が頬を撫でたこと。それらは既に私から遠ざかり温かい羽布団の中で「遠い記憶」または「夢みたい」というやつになりそうだった。しかし同時に奇妙な直観が、私を捕らえる。

身体に海が残っている

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自分のうちに波をみた。黒い磯に打っては広がり吸い込まれる。心地よさにいつしか眠ったその夜のあと、考えれば考えるほど、気づかず海を持ち帰ってしまったことは奇妙ではなくなっていった。場にあることは、場の一部であること場の一部であることは、場をつくることだとすれば。瀬戸大橋を望む本島の砂浜で立ち尽くしていた私の身体もまたあの場をつくっていたのだから。身体に瀬戸内海が残ってしまうのは奇妙どころか、どうにも自然な成りゆきと考えても良さそうではないか。




身体は常に場と、その場をつくるあらゆる人と、あらゆるものに晒される。夜の日暮里の公園に、
取れなかった単位に、
重症化リスクに、
赤いワンピースに、
今は亡き子どもたちの体温に。
それらと身体は交絡する。
交絡するだけではない、蓄積する。
蓄積するだけではない、現れる。
口を衝く言葉に、
背筋の伸び具合に、
苦手なお酒に、
そして身体の奥に。
脳は私だが、私は脳ではないならば、理由はきっとこのあたりにある。

ここまで書いてから分かる。
凜さんが踊る場に晒された私の身体はどうやら、
あの踊りまで持ち帰ってしまったらしい。

なぜなら身体の奥が踊っている

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