書くと出す。ソートリウム

マニッケ。故郷で事務員をやっていて思ったことをまとめます。都会でできること、きっと田舎…

書くと出す。ソートリウム

マニッケ。故郷で事務員をやっていて思ったことをまとめます。都会でできること、きっと田舎でもできる。がモットー。ソートリウムは造語。26歳。社会人4年目。注意力を高める薬を飲んでいます。持続可能でハードルの低い社会人の楽しみを追求したい。

最近の記事

ヒュッゲなノートに書くこと

ヒュッゲなノートを昨日完成させました。気に入ったデザインで作ることができたので、本棚から取り出して何回も見たり、手にとったり、表紙のボコボコした油絵の感じを楽しんだりしました。 1ページ目はやはり、このノートの書き方についてまとめておこう。と思いました。わたしは少し忘れっぽいので、探偵小説や歴史小説を読んだ時、人物の名前と役割が分からなくなってよく、はじめのページに戻って人物紹介を確認します。 なにをどんな風に書くか、読み返せばざっとでも分かるような一枚目にしよう。そうし

    • ヒュッゲノートをつくる

      ヒュッゲなノートを作ろう!と思いたって今日。文房具屋さんにノートを買いに行きました。うちの実家のまわりの文房具屋さんには、あまり洒落た柄のノートは売っていません。かろうじてお洒落な無地のノートが売っています。midoriのMDシリーズは、私の愛用品です。 ヒュッゲに感じたことをブロックメモにメモする感覚でつけていきたかったので、今回は新書サイズのものにしました。文庫本サイズより少しスラっとしててかっこいい。 用意したものは □MDノート 新書サイズ(罫線) □絵筆2本 □

      • ヒュッゲなアイテムづくり

        収入が少ないと友達に言われ、少し悲しくなったマニケでしたが、なんとか少しだけ立ち直り(ただ、思い出すだけで気分が落ち込むのでそれについて書くのをやめました)。安らぎについて考えるようになりました。 毎日、窓口応対をこなし、家に帰ってもやることもなく、だらだらとしていました。仕事柄、頑張っても給料はあがらないので、上司は程よく手抜きをし、若い人に仕事が集まってきます。 ストレスで弱りきっているとき、タロットカードをやりたくなりました。やったことはありませんけども。イオンの本

        • 月収が少ないと言われた時、しあわせのハードルについて考えた①

          コロナウイルスで外出することがなくなり、世間では「オンライン飲み会」が流行っていると聞いた。大学の同期がやると言っていたので、私も混ぜてもらうことにした。これが先週のことだ。 大学の同期は、留学していた人以外はみな社会人になっていた。社会人になってからはほとんど話をしていない面々だったが、顔を合わせればやはり色んな話で盛り上がった。飲み始めて1時間ほど経った頃、月収いくらもらっているか、という話になった。 私は大学を卒業後、故郷で事務員になった。他の同期は関東に就職。院を

        ヒュッゲなノートに書くこと

          ミュースカイで豊橋に向かう

          旅行をしていて、見知らぬ街に来たと実感する瞬間がある。 見慣れた漢字なのに読めない地名を見つけたときだ。 その単語を見た途端に、私は日常を身から切り離して 非日常へと自分を放り出したことに気づく。 ミュースカイに乗って豊橋をめざしている時。 車内の電光掲示板に、国府、という地名がオレンジ色で表示された。 国も府も、もう20年近く見知っているはずなのに、正しくよむことはできない。普通に読めばこくふ、だろうが、今までの経験上、おそらく普通の読み方はしないだろう。

          ミュースカイで豊橋に向かう

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          おのぼりさん向け!旅行計画の立て方

          おのぼりさん向け!旅行計画の立て方

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          付きまとうボンカレーの丸②

          三浦梅園に関して、私はほとんど知らない。 ただ学生の時、間違えて入った講義室でやっていた授業で、少し紹介されていた程度だ。本命の講義は遅刻厳禁だったため、することもなくただ90分、国文学の授業を聞いていた。 梅園は大分県国東半島の出身の学者だった。そんな彼がなぜ、後世に名を残すことになったか。それは、人生のほとんどを国東の地で過ごした梅園が、天文・医学・哲学・歴史・政治経済など多くの学問を修め、思想を作りあげたからである。 長崎遊学や伊勢参りに行ったこともあったようだが

          付きまとうボンカレーの丸②

          付きまとうボンカレーの丸①

          友人が失恋をしたことがあった。 彼女は私と同い年、学生時代の友人で、今は大阪で働いている。突然別れを告げられたようで、とても沈んでいるようだった。リフレッシュも兼ねて、セミナーに行ってダンス教室に行き、バルで友人と飲み明かし、おしゃれな店で自分のためにアクセサリを買う、洋服も選びに行く。彼女はそうSNSで言っていた。 私はふと考えた。私が今失恋したら、どのように乗り切ろうか。私にはさして趣味もなく、セミナーなどをやっているところも知らない。友人も、ほとんどが県外に出てし

          付きまとうボンカレーの丸①

          くらしデザイナーになりたい。

          くらしデザイナーになりたい。

          ここちよいくらしのために。③

          片付けられない人の心理から、発達障害の歴史、日々のくらし方、色んなジャンルの本を読んだ。時にはSNSのアカウントから、情報を得ることもあった。ADHDとはどんな症状なのか、向いている仕事は何なのか、大人のADHDとは何か、芸能人にはいるのか。治療法はあるのか。原因は何か。山のようにサイトは存在した。 病名がなくても、症状が違っても、困っている人は多くいるように思った。しかし、情報を収集しているうちに私は疲弊してしまった。おそらく発達障害ということばに、縛られすぎてしまった

          ここちよいくらしのために。③

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          トルコのタイルマグネット

          トルコのタイルマグネット

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          ここちよいくらしのために。②

          社会人になり、仕事でのミスが頻発するようになった。大学の頃の最悪の自体は、「単位を落とすこと」だったが、社会での最悪の自体はそれどころの騒ぎではない。人に迷惑をかけてしまうことがある。 その意識が、仕事への緊張感を増大させ、かえって精神を追い込んでしまう。私は慌てると、なおさら仕事に集中できなくなる。慌てなければ怒られないようなことでも、あたふたしてしまって叱られる。 業務中気を張り続けていると、とてもじゃないが帰宅後、何もする気力がおきない。帰宅し、しばらく放心状態に

          ここちよいくらしのために。②

          ここちよいくらしのために。①

          大学3年の時、2年間住んだ寮を出て、生まれて初めてのひとり暮らしをはじめた。 初めはまだよかったが、徐々に引きこもるようになり、奨学金の手続きを行うためにしぶしぶ大学へ行った時、健康支援センターでの面談を薦められた。 そうして大学病院で見てもらうことになり、精神科で、発達障害の傾向があると言われた。 片付けられない、時間の管理ができない、バスの停留所を間違える、忘れ物をする・・・異様に街の雑音は大きいのに、隣で話しかけてくる人の声が聞こえない。やる気が出ない。それまでも

          ここちよいくらしのために。①

          ポータブルアトリエが、ほしい!

          作家といえば、アトリエだ。 丸いめがね、コピックマーカー、石膏像、キャンパス、ジオラマ、、、表現をするために必要なもの、リラックスするために必要なもの、、、、創作活動にまつわるあらゆるものたちが控えていて、そこへ行けば創作に真っ向から向き合える、作家のサンクチュアリ。 アトリエを持つ作家はたくさんいるだろう。 しかしアトリエというのはは大半が、大々的に創作活動を行っている作家のものだ。 ペン、紙、小さな部品をしまっておくスチールのキャビネット、椰子の木みたいな観賞植物

          ポータブルアトリエが、ほしい!

          SNSの平和利用。

          私は九州の田舎に住んでいます。 友人はほぼ関東に就職してしまっていて、個人的な連絡をとることはあまりありません。「最近どうしてるかな」と思って覗くのは、TwitterやInstagram、Facebookなどです。しかし、SNSで友人の動向を知る、というのは、割とエネルギーが要る作業なんですよね・・・・ インスタ映えする写真とか、ごもっともな意見とか、知的な専門用語とか、世間への提言とか悪口とか、不幸な話とか。日々色んな挑戦をする、前途洋々たる輝かしい人たちとか。

          気になるキッチングッズ

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