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ミュースカイで豊橋に向かう

旅行をしていて、見知らぬ街に来たと実感する瞬間がある。
見慣れた漢字なのに読めない地名を見つけたときだ。
その単語を見た途端に、私は日常を身から切り離して
非日常へと自分を放り出したことに気づく。

ミュースカイに乗って豊橋をめざしている時。
車内の電光掲示板に、国府、という地名がオレンジ色で表示された。

国も府も、もう20年近く見知っているはずなのに、正しくよむことはできない。普通に読めばこくふ、だろうが、今までの経験上、おそらく普通の読み方はしないだろう。

正しい読み方が判明するのは、国府が次の停車駅になり、アナウンスで読み上げられる時だ。一体なんと読むのだろう。音読みなのか訓読みなのか。はたまた訛って原型をとどめていないのか。濁音はあるか。駅へ近づくにつれ、私の緊張感も高まってゆく。

車窓の眺めに目をやった。少し曇っているからか、私の顔と外の景色が二重写しになる。屋根瓦や家屋の作りに地方独特の特徴があるか探してみるが、真新しい分譲地が多く、中には最近調査に行ったメーカーの、全く同じタイプの家屋を見かけた。少し残念な気持ちになった。既にこの国は気候による多様性を着々と失い始めているのか。瓦が味噌色だったり、ど派手な喫茶店があったりしないのか。私が愛知に抱いていたイメージは、「長野の人はみんなスキーがうまい」などに似た、ベタな偏見だったのだろう。

5席ほど後ろには子連れがいる。子供は4歳ほどの男の子で、母親の膝に膝立ちし、私と同様、電車の外に目をこらしていた。彼は時たま、「たんたん」とつぶやいた。
この、たんたん、は規則的ではなく、たんたんたん、と三回続いたり、1分くらい間が空いたりしていたこともあった。橋に入った時の電車の音まねをしているのかと思えばそうでもない。

私は国府の事を忘れ、彼独自の掟を突き止めようと躍起になった。しかし、たんたん、だと思っていた発音が、かんかん、だということに気づき、瞬時に踏切の音まねであることが分かってしまい、興味が失せてしまった。しかし、この1号車の中でこの規則性に気づけたのは私だけだろうと思うと、彼と秘密のコードを共有したかのような優越感に浸ることができた。

そうして過ごしていると、案外目の前に国府は迫ってきていた。アナウンスが頭の右上から聞こえてくる。「次の停車駅は、こうです。」
こう、、、、

意外性と、始めて見知った読みへの興奮と若干の期待外れが、私の脳をがつんと刺激した気がした。私は、不思議な消化不良に襲われた。
胸焼けした私を気遣うこともなく、ミュースカイはスピードを保ったまま、淡々と私を豊橋まで運んでいった。

#紀行文
#車窓
#愛知
#旅行記録

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