月収が少ないと言われた時、しあわせのハードルについて考えた①

コロナウイルスで外出することがなくなり、世間では「オンライン飲み会」が流行っていると聞いた。大学の同期がやると言っていたので、私も混ぜてもらうことにした。これが先週のことだ。

大学の同期は、留学していた人以外はみな社会人になっていた。社会人になってからはほとんど話をしていない面々だったが、顔を合わせればやはり色んな話で盛り上がった。飲み始めて1時間ほど経った頃、月収いくらもらっているか、という話になった。

私は大学を卒業後、故郷で事務員になった。他の同期は関東に就職。院を卒業して社会人になった人もいる。まずは私から、という流れになり、私が「手取りは十数万」というと、少なすぎる、という声が噴出した。そんなので生活できてるのか。先月の自分のバイト代のほうが高かった、忙しいと聞いていたのにかわいそう、とまで言われた。気になったことがあったらすぐ調べる癖のある同期にいたっては「学士の平均月収」を調べて、私に見せてくる始末。

みんな、バカにするわけでも、笑っているわけでもなかったが、私は、不思議なかなしい気持ちでいっぱいになった。なぜなら、私の月収がそんなに少なすぎるとは、思ったことが全くなかったから。そのあと、30万近く貰っている話や、残業が過酷な話を同期がしているのも、ほとんど上の空で聞いていた。お風呂に入るといって、途中で退室した。

社会人になりたての頃は、自分の故郷と、故郷に住む人々のために働けることへ喜びさえ感じていた。しかし当然現実は甘くはなく、税と法律の関わりが多い課で、お客さんに怒鳴られることもあった。同僚にパワハラされたこともあった。夜遅くまで残業したこともあった。入社して2年間、上司が怖くて怖くて仕方なく、終業すると翌日の始業のことを考えて憂鬱になるほどだった。一度歩いて通勤中、ぼうっとして木に激突したこともあった。しかし、仕事を覚えはじめ、パワハラをする上司がいなくなってからは、私の視野は一気に広がった。工夫ができるようになり、作業に余裕が出てきた。余裕が出てきたことで職場の人とも会話が弾むようになり、仕事も少しだけだが楽しみを感じられるようになってきた。

自分自身がここで働いているのは誰かのためになっていること。自分の働きがお金になっていること。そのお金で暮らしていることが、自分の自信につながってきた。そうすると仕事が終わってから思い悩むことも減って、ギターをやったり、ミニトマトを育てたり、勉強したりお菓子をつくったり、やってみたいと思っていたけど、受験勉強などで出来なかったことにも、たくさん挑戦することができるようになった。

通知表、内申点、偏差値、GPA…学生時代は競争に勝つことばかり考えて、自分のやってみたい、という気持ちを疎かにしていた。それが、社会人になってやっと人と比べなくていい楽しみを見つけられた、そう思っていた。しかし同期たちの中で、競争は終わっていなかった。給料という形でまだ、続いていたのではないか。

もちろん私だけ地方住みだし、中には院卒の同期もいるわけで、給料に差があるのは当然のことだ。しかし、給料が低いという意識は全くなかったし、給料が低いと言われたことに関してはそんなに気にならなかったことが不思議だった。私はしばらく、自分が何を言われたのが悲しかったのかを、考えてみることにした。


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