悪事を共有せよ
おはようございます。
takumaです。
本日もコミュニケーションについて。
皆さんは、何か悪いことをしでかしたことはありますか? 胸に手を当てて考えてください。
きっと1つや2つはあるでしょう。
今日はその良し悪しを問うわけではありません。
その悪事から、“コミュニケーション”が生まれるというお話しです。
それはどんなコミュニケーションなのでしょうか。
ずはり「濃密」なコミュニケーションです。
以下は私個人の考察です。
●悪事の共有で、濃密なコミュニケーションが生まれる
人は何か悪いこと(犯罪行為といった過激なものは除く)をしてしまったとき、そこに共犯がいると絆は強くなると考えます。
悪いことなので、決して他には口外できません。
いわば秘密の共有です。
「他の人には言えない秘密を共有している」
という事実が、その人たちのコミュニケーションを深いものにしていくのです。
かといって、抱えきれない程の悪事では意味がありませんが。
例えば、学生時代に授業を抜け出して一緒にサボった友達とか、校則を破って学校帰りにゲーセンに立ち寄った友達とか。
また、良くはないですが「人の悪口」を共有することも仲良くなりますよね。そうやって仲良しグループになっていくこともよく見られます。
私も学生時代に学校をサボって遊んだ友人とは今でも仲が良いです。
しかし、元来おとなしい性格の私ですので、付き合いの浅い人には「悪いことなんて1つもしていない優しい人」と認識されがちです。
そうなると、悪事を共有できません。
私も遠慮してしまい、仲を深めるということが出来なかったという経験が多数あります。
より深いコミュニケーションをしようとしたとき、清廉潔白で純粋なものばかりを求めていてはダメなのです。
だから、コミュニケーション研修なんていって、どこにでもありふれているようなことをしたところでそれは表面上のもの。
人は内側を共有したとき、初めて本質的なコミュニケーションが生まれるのではないかと私は考えます。
今後、もう少しここら辺を深めたいですね。
それでは。
色々な実験を行い、その結果を公開していきます!もし何かしらの価値を感じていただけましたら、サポートしていただけますと幸いです!